5/22(木)
スポット→鹿島神宮<茨城県鹿嶋市>
さて、私の所属する史学専攻は2003年度もバス旅行を行った。
鹿島神宮はそのときに行ってきた。
鹿島神宮は2600年以上もの歴史を持つ関東でも屈指の古社である。
社殿が造られたのは、神武天皇元年のことだと言われる。
むろん、周知のことであると思うが、
神武天皇などという人物は歴史上にはいない架空の人物である。
また、2600年以上も前に鹿島神宮が立てられたという証拠はない。
全て架空の話である。
確かなのは、大化5年(649)には下総国と那珂国を割いて、鹿島神郡を設置したこと(常陸風土記)
宝亀5年(774)以降、蝦夷征伐に朝廷勢力が力を入れ始め、
その際に鹿島神宮の神威を仰ぎ、東北地域に多くの分祀を行ったことも知られ、
陸奥国には38社もあったらしい(三大実録)
ここからも読み取れるが、つまり鹿島神宮とその分祀は侵略の歴史なのである。
私は歴史を研究している身であるから、「征伐」という単語は普段用いないことは明記しておく。
「征伐」というのは、片方を「善」、もう一方を「悪」とするイデオロギー装置であるからだ。
「宝物殿」には、「国宝「直刀」金銅黒漆塗平文拵 附刀唐櫃 」という、巨大な剣がある。
ちなみに、ここのガイドの宮司の説明も、中の展示物の説明も真に受けるのは危険であると明記しておく。
その説明によれば、神武天皇などという架空の人物が存在することになり、
かつ、
東北地域に当時いた人々は「悪」として「征伐」されたことになってしまうからだ。
このような見方は歴史の見方を歪めることになる。
さて、歴史の話はここまでにして、
鹿島神宮にはおもしろい七不思議がある。
それの一部を紹介しよう。
@要石(かなめいし)
これは、鹿島神宮内にある「石」なのだが、ただの石ではない。
ナマズを抑えているのである。
俗に「地震抑え」の石として有名である。
ナマズが地震を起こす……そういう迷信がかかっているわけである。
ナマズの頭を抑えているから鹿島には地震がないのだといわれる(鹿島誌)
また、徳川光圀が石の根底を極めてみようと、百姓数十人を招集して要石の周囲を掘らせたらしい。
しかし、一夜のうちに掘った土砂は石の周囲を埋めてしまい、
光圀は断念したという話が「黄門仁徳録」に載っている。
画像があるので、見てくれればいい。
A御手洗(みたらし)
これもいくつかあるらしいが、
例伝記によれば、宮造りの折に、一夜にして自ら湧出したと言われている。
ちなみに、鹿島神宮は南北最長約1.5キロ、東西最長約1.5キロという広大な敷地面積を持っている。
ここは、森林(神木)で埋め尽くされている。
そのため、日の光が抑えられ清涼感に溢れている。
森林浴にはもってこいの場所であろう。
また、長い参道は「俗世」と「神の世界」の「回廊」である。
そのため長い道となっている。
私は森林の素晴らしさに感銘を受けたが、
おそらく神聖な雰囲気に感銘する人もいるだろう。