5/20(木)

スポット→「西山荘」<茨城県常陸太田市新宿町590>


 さて、2004年度の史学専攻会バス旅行の二箇所目は、水戸黄門で有名な徳川光圀が水戸藩主引退後の10年間を過ごし、「大日本史」編纂を初めとする諸事業を行った「西山荘」だった。

 今回はバスで来ているが、JR水郡線常陸太田駅からタクシーで5分程度なので、それを利用すれば確実であろう。

 <開館時間>
 9:00AM〜4:30PM


 <料金>
 大人:500円
 子供:250円


 <休荘日>
 火曜日
 (※祝祭日と重複した場合は開荘)
 (※10〜11月は無休)


 駐車場は無料(小型100台、大型20台)

 西山荘内部は撮影が禁止だったので、せめて西山荘の外側だけでも撮影してきた。
 左側の画像は、「突上御門」と西山荘。
 右側は、宴や詩歌を詠むのに使われた「月観山」より西山荘を撮影。
 質素な茅葺の建築物であり、光圀公の人柄を忍ばせるようである。西山荘内部には田んぼもあり、光圀は「藩主を辞めたのだから、一領民として」年貢を納めるために田んぼを自ら耕したという。
 また、彼の書斎は3畳間と狭く、その窓の向かいには梅の木が植えてあり、彼の向学心を今に伝える。ちなみに、梅の木は「学問に励めば梅が咲く」という故事があり、光圀公はそれを念頭に、自分の戒めとしたのである。、西山荘内部には敷居がない。どんな身分の者でもわけ隔てなく接するという態度の表れであり、領民に慕われた彼の性格を表現しているとも言えよう。
 そもそも、門のところに「下乗」とあり、どんな身分の者であろうと、馬や籠を下りて西山荘に入るようにとしてあったのである。
 また「通用門」という、家臣や庶民が出入りした門は、表門よりも立派に作られており、そこでは庶民を重く扱った光圀公の性格が偲ばれよう。
「西山荘」
西山荘「突上御門」を写す 西山荘「観月山」より写す
 これが、西山荘です。
 内部は撮影禁止のため、外の光景だけ撮りました。

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