ゆのっちから宮古(ひだまりスケッチ二次創作2)
陽ノ下光一
私立やまぶき高校は美術の専門クラスがあるため、人気の高い学校である。その高校正門の真向かいに建つアパート「ひだまり荘」は、美術科の変わり者達が集う事で有名である。余程に奇行を行う生徒が多いためか、「やんちゃアパート」などと表現する生徒もいる程である。
燦々と太陽が輝きを放つ……というよりは、照りつける7月下旬。夏休みに入った高校周辺は、いつもよりは静かになっていた。
「ゆのっちおはよー♪ もう10時だよー?」
チャイムの後に開けられたドアの先、ゆのが眠い目をこすりながら起き上がると、親友で同級生の宮古が、夏の太陽にも負けないだろう笑顔で手を振っていた。
「おはよー……まだ10時―?」
寝ぼけ眼のまま、ゆのがそう返すと、宮古は一回首を傾げてから返してきた。
「ゆのっち。何もしないまま夏休み、終わっちゃうよー?」
夏休みが始まって2日目。宮古のこの言葉で、ゆのの眠気は吹き飛んだ。昼近くまでゴロゴロ寝ていて……適当に見たいテレビを見て……うん、確かにこのままじゃ40日なんてあっという間に終わっちゃう。
夏休み、当然ながら宿題もある。数学や英語といった主要五教科だけではなく、美術に関する課題作品も多数。それらの製作時間を抜かした時間、有意義に使わなかったら……考えただけで空恐ろしい。夏休み明けの同級生達との間に、さらに芸術レベルの差を開けられそうだ。
ゆのと宮古が後輩達の部屋を回ってみれば、乃莉に至っては1年生だというのに、夏休み全期間と1日毎のスケジュールまで作成していた。まさに準備万端という感じで……と、ゆのはそれを見て後輩にすら負けていそうな気持になる。
「沙英さんとヒロさんは学校……だよね?」
「うん、ガッコの夏期特別講習出てるはず〜♪」
乃莉の103号室を後にして、階段を上り、宮古の部屋、202号室へ向かう途中そんな会話を交わす2人。ゆのの問いかけに宮古の返す言葉は、最上級生の2人が講習を受けているというものだ。
「夏休みの半分くらいは行く日があるみたいだよー?」
宮古の声に、ゆのは胸に突き刺さるものを感じた。みんなちゃんと大事に夏休み過ごしている。2日目とはいえ、自分のだらしなさに反省せざるを得ない。やまぶきでの高校生活はもう折り返しているのに、まだ自覚が持てていなかった自分を恥じざるを得ない。
「あっ、宮ちゃんは? 宮ちゃんは昨日とか何してたの?」
ゆのが振り返って問いかける。宮古はピースサインを作ってこう答えた。
「たまご10個食べた!」
「えっ!」
問いかけの意味が違う……と言いかけたが、宮古の部屋に入って納得がいった。宮古の部屋……女の子の部屋らしからぬ殺風景さ、かつ、カーテン丈が短く外から覗けるという問題だらけの部屋……その窓際に横長の紙が置かれ、大小様々な卵の欠片が無数に散らばっていた。
さすがに美術科生徒であるわけで、ゆのには宮古のやっていた事が理解できた。
「あ? モザイク画作るの?」
「ピンポーン♪」
宮古曰く、どでかい壁画よりは身の丈にあったものを作りたいなとの事。誰に求められたものでもなく、夏休み中の『自分課題』というやつだ。
「すごいなぁ。私もこの夏休みの自分課題考えなきゃ……!」
ゆのは親友の向上心というか、芸術家魂の発露というか、それをうらやましいと思ってしまう。2日目にして既にこの差、40日経ったら、どれだけの差が自分との間に生まれてしまうのだろうと。
宮古は、夏休みの自分課題、いい響き……と言った上で、目を輝かせて提案してきた。
「セミの抜け殻集めなんてどう?」
「それも宮ちゃんのしたいことだよね?」
たまごの殻と抜け殻で、殻だけ繋がっているが……美術生の夏休み課題としてはどうだろう。と、こんな途方もないというか、自由奔放な事をぽんぽん言ってのける……その上、実行してしまえる宮古は、ゆのにとってはやはり、憧れの的である。この親友程の行動力があったらどれだけ良いだろう。
「うーん……やっぱり思いつかないよ〜」
宮古の隣り、201号室の自室に戻った後、色々考えてみたが、『夏休みの自分課題』が思いつかない。別に何かしなくてはいけないという事もないのだが、した方がいいとは思える。
「沙英さんは学校の講習にも出てるし、小説だって書いてるのに。うーん、何もない私が何も出来ないのもおかしいよ〜」
沙英は3年生で、彼女たちにとってはそれこそ憧憬に値するお父さん的存在(ただし女生徒)である。高校生にしてプロの小説家。自分の小説には自分で挿絵を描きたいという理由で、やまぶき高校の美術科に進んだ、明確な目的と行動力を備えた女性だ。ゆのからすれば、1歳しか変わらないのに、10歳以上も年長の大人に見えてしまう。
「後輩の乃莉ちゃんだって、ちゃんと夏休みの予定立ててるのに……先輩の私はダラダラ過ごしてるよ〜」
ベッドに横になって、布団を抱くようにしながらゴロゴロと何度も姿勢を変える。自分の周りの人達はちゃんと夏休み、有意義に過ごそうとしているのに、自分はダメだなあと思ってしまう。
「何したらいいんだろ。全然思いつかないよ……宮ちゃんと同じ、モザイク画でもやろうかな」
宮古とモザイク画の出来を競い合う光景を目に浮かべる。ややあって、首を振った。
「宮ちゃんと同じ事やってもダメだよ……自分でちゃんと考えないと……」
ゆのは不器用なりに一生懸命な性格だ……と周囲から思われている。ダラダラ過ごすのも夏休みのあり方としては間違いではないし、人と同じ課題に取り組むのも間違いではない。そこに正解なんてないのだから。
でも、そうした事に真面目に向き合うのは彼女の美点である……と、周囲は思っているのだが、彼女自身はそう思ってもいないようだ。案外、自らの良いところには、自覚が無いものである。欠点・弱点の類が、他人には優れた性質に見える事は多々あるのだ。
「どったの?」
翌日、ゆのの部屋を訪ねてきた宮古。2人でベッドに横並びに座って話し始めたのだが、ゆのの表情がさえない……というよりも、首が何度も縦に横に振られている。
「んー……夏休みの課題考えてたら、ほとんど眠れなかったよ……」
結局ゆのは一晩中、ベッドの上を転がりながら、あるいは天井を見つめながら、悶々と考え込んでしまっていた。
ゆのは思う。自分は何でこの学校に入ったんだろう。何で美術科の生徒になったんだろう。美術科の人間らしく、これだという過ごし方は出来ないのだろうか。宮ちゃんは、いつもいつも明るい笑顔で有言実行、思い立ったが吉日と作品を作り続けているのに。
創作したいものがすぐに思い浮かばない……これって、美術科の人間として失格じゃないだろうか。
「あんまし深く考えずに、今パッと思い付くやつがいーんじゃない?」
「うーん……パッ! パッとパッと……」
直感で思い付くなら、何も悩まないで済むのである。宮古は直感で思い付くままに創作出来るが、ゆのはどうもそれが得意ではない。以前にもそうした2人の性格の対象さが表れた出来事があった。
1年生の半ばを過ぎた頃。初めての文化祭の時の事だ。文化祭では「個人展示」があり、美術クラスは塑像でも油絵でも水彩画でも何でも構わないのだが、作品を出すのが恒例となっていた。
「どったの、ゆのっちー? 寝不足?」
その時にも、宮古に指摘された通り、ゆのは寝不足であった。何ゆえかと言われれば、
「深く考えなくていーのにー。『何でもいい』んだもん」
宮古の言うこのテーマが難題だったのだ。テーマが決められているなら楽なのに、『何でもいい』……好きなものを作って良いと言われると、何を作って良いのか分からないのだ。
「そうなんだけどね……宮ちゃんは、何作るか決まった?」
ゆのが親友に問いかけると、おそらくゼロコンマ何秒という驚異的速さで答えが返ってきた。
「うん、今決まったー」
「今!」
宮古のインスピレーションには驚き以上に、羨ましさを感じてしまった。その後、ゆのは校舎の屋上に上がって1人空を見上げて悩みこんでいた。
「制約が無いことがこんなに難しいと思わなかった……私、何が作りたいんだろ……」
結局ゆのは散々悩んだ末、文化祭の前日に、出し物の準備にいそしむクラスメート達を描いた……つもりだったが、描ききれない未完成作品を出す結果となってしまった。
結果的には「画の下部に描かれていない空白がある。それがクラスメートと一緒に準備をする、ゆの自身を表現している」という評に繋がり、企図しないところでの評判を生んでしまった。ゆの自身としては、自分の未熟さで描き切れなかっただけの物が、かえって評価を高める結果になってしまい、心にトゲのように刺さる何かを残してしまった。
宮古はというと、『創作に悩める少女』という題で、なんと、ゆの自身のスケッチを展示していた。作品を見た時、それと自分を交互に見遣る人達の視線に耐えかねて逃げ出してしまった。
同時に、1年に1度きりの大事な展示作品の題材に、自分を選んでくれて、しかもモチーフの心境を十分に表現し、またいつも自分を優しく明るく支えてくれる親友を嬉しく思ったのも事実だった。
1年前の文化祭を思い起こすと、今の夏休みの状況も似ているように、ゆのには思える。『制約の無い』事がとにかく苦手なのだ。親友である宮古は自由なテーマでこそ、本領を発揮してレベルの高い作品を出してくる。
「宮ちゃんは本当にすごいなーって思う……私もそういうの思い付かないかなぁ」
ゆのは宮古の部屋に移動した後、彼女がモザイク画を作成しているのを見ながら、つぶやくように言った。
振り返った宮古が、人懐っこい笑顔で応えた。
「別にこういうのじゃなくてもー♪ ゆのっちが私になりたい訳じゃないんだし」
「えっ? なりたいよー!」
ゆのは、宮古が心底好きだし、同時に羨ましい。
内面的な部分だけじゃない、もちろん、外見だってそうだ。自分は背も低いし、胸だって無いし……宮ちゃんとくれば、背だってそれなりに高いし、胸だってぱよんぱよんって大きい。
芸術に対してだってそうだ。いつでも高評価。見かけたもの感じたものを何でもモチーフにして、誰もが称賛する作品を作ってしまう。
性格は言うまでもない。天真爛漫。彼女がいるだけでどんな場所でも明るくなる。周囲にはいつの間にか人が集まってくる。こういう人に、私はなりたい……と、ゆのは常日頃思っていた。
「なんでやねん!」
そこで宮古のするどいチョップが入った。表情は変わらず笑顔のままだ。というより、笑顔以外の彼女を見たことがほとんど無い。
「えっ、別にボケた訳じゃなくて!」
ゆのとしては偽らざる本心を訴えたのだが、宮古には冗談に聞こえたようだ。つっこみを入れた宮古は、再度卵の欠片に向かって、モザイク画の作成にとりかかる。
「そっかー意外〜。私はゆのっちになれたら嬉しーよ?」
それこそ、ゆのは驚いた。なんで? なんで自分なんかになりたいの? 宮ちゃんみたいな人が、私なんかになってどうするの? と、頭の中をクエスチョンマークがグルグルと回り続ける。
「わ……わかんない何で? 全然わかんないよ〜……」
ゆのがそう親友に言い返すと、彼女は首を少し傾げてこう応えた。
「わかんない? うーん、そういうものなのかもねー♪」
そういうもの……なのかな? と、ゆのは思う。私はもちろん宮ちゃんみたいな人になれたら、たまらなく嬉しい。でも……でも、宮ちゃんは、私になれたら嬉しい……何でだろ、そういうのって分からないものなのかな? と、ゆのの頭の中をさらにグルグルとハテナマークが踊り続けた。
その日の夕方、買い出しに出かけた帰りに小学生達とすれ違った。すれ違った彼らの発言が突拍子もないもので、驚かされた。「オレ、ロボンガーXになる」という子に、「じゃあ、オレ、ロボンガービーム」という子がいたのだ。人気アニメのロボットになりたいという、柔軟というか、何でもありの発想だった。
部屋に戻ってカルピスを作りながら、さっきの小学生達の言葉を思い出して、思わず笑ってしまった。でも、自分も小学生の時は、先ほどの少年達のようだったかもしれないと思った。
小さい時は制約も何も無い、自由奔放な考え方をしていたはずなのだ。いつの頃からか、そうした考え方を「子供っぽい」として封じ込めて、しないようになっていたのだ。
あれ? それって、宮ちゃんの発想そのものじゃないのかな?
ハッとした。親友の発想はいつでも自由そのものじゃないかと……自分がいつの日にか閉じ込めてしまった考え方、それそのものじゃないのかなと。
自分らしさって何だろう……それは、置き去りにしてしまった、子供のような考え方の中にあったんじゃないだろうか……そう、ゆのは思った。
宮ちゃんに憧れる部分は、彼女が自分らしさを常に出し続けているからじゃないだろうか。
そこまで思うと、別の考えが出てくる。じゃあ、宮ちゃんは何で私なんかになりたい……と言ったのか。じゃあ、宮ちゃんは私のどこに憧れたんだろ。
分針が回るほどに時間が経過する。
もし、もし、うぬぼれでないとするなら、宮ちゃんはこんな風に色々悩んでいる私が好きなのかもしれない。分針が1つ半回った頃に、そんな事を思い至った。
多分、私の自分らしさって……こうして悩んでいる事なんじゃないだろうか。悩んで、色々向き合ってみる事も悪い事じゃないんだろうと……あれ? そうしたら宮ちゃんって、悩んでみたいのかな?
でも、宮ちゃんは以前こんな事を言っていた気がする。「考えない。なるようになる」って。もしかして、私みたいに悩んで考え抜いてみたいのかな……ああでも、これこそうぬぼれかもしれない。でも、そうだとしたら、これは私の長所なのかも……色々考えることだって悪くない……と、ゆのはくすりと笑って頷いた。その時「パッ」とひらめいた。
「いいの思い付いた〜♪」
と、同時に……濃い目のカルピスを作るつもりが、
「あああああ〜!」
水道の蛇口をひねったままだということに、分針が2つ回る頃にようやく気が付いた。どれだけ思索にふけっていたのだろう。コップの中身は完全に水になっていた。
その日の夜、ゆのは宮古の部屋を訪ねて報告した。
「私! 毎日絵日記をつけることにした!」
「お〜! それいいね! ナイスアイデア♪」
ゆのが抱える新しいスケッチブックを見て、宮古は微笑んでくれた。
「買い物の帰りに小学生のコたちとすれ違って、それがきっかけで……」
「あー、なるほどー♪ ゆのっちは文字通りの『身の丈に合ったもの』にしたのだね!」
宮古が自身の頭の上で、手を横に、そしてそれを下げながら茶化してくる。
「えっ? ちーがーう〜!」
小学生並みの自身の身長を茶化されて、ゆのは反論しようとしたところ、宮古に手を引っ張られた。
「えっ、何、宮ちゃん?」
「ん?」
問いかけたゆのに、宮古が当然のように……そして、ゆのにも自明のように思える事を発した。
「よし、じゃ、沙英さん、ヒロさんにも早速お披露目しよー」
宮古に押されるように、102号室へと足を進める。102号室にはきっと、部屋の主である沙英さんはもちろん、ヒロさんが絶対にいる気がする。後輩である乃莉になずなも多分……全員がいるような気がした。「ひだまり荘」はそこにいる全員が家族みたいな雰囲気で、何かある時には全員がいるのが自然体なのである。
「もー、宮ちゃん。……しかたないなあ」
言いながら、ゆのも笑みがこぼれてしまう。きっと、みんなが、良いねー、ガンバレーと、真心でもって自分の決めた事を後押ししてくれるだろう。ちょっと、その光景は気恥ずかしくもあるが、嬉しくもある。
「沙英さん、たのもー!」
「うわ、なんだ! 宮古、普通に開けなさい」
102号室の扉を思いっきり開け放つ宮古。沙英の字面だけなら注意を、色は笑いを乗せた声が聞こえてくる。
「ゆのっちから、発表があるのでーす!」
「あら、何かしら?」
部屋の中から、おっとり柔らかいヒロの声が聞こえる。ゆのがのぞけば、部屋の中には思った通り、「ひだまり荘」の全員が集まっていた。
「えへへ、実はですね……」
宮古に続いて、部屋に上がったゆのは、その場の皆に『夏休みの自分課題』について伝えたのだった。
【完】
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