【真夏のオアシスドリーム】 - 全章まとめ読み -
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真夏のオアシス・ドリーム
                                                       陽ノ下光一

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「期末の結果は来週出るが、赤点の者は補習だからな」
 終礼後、担任の山本の言葉に、ため息を漏らす生徒もいた。せっかくの夏休みに、といった声は、
「お前ら三年なんだぞ。もっと大学のことも視野に入れろ。この時期に赤点を取ること自体、自覚のない証拠だ」
 という山本の声に鳴りを潜めた。蝉だけが鳴りを潜めるどころか、より大きくなった。
 三年か。大学に進むことが至上命題みたいに言われる。
 俺が、視線を教壇で未だに説教を続ける山本に向けたとき、その視線はこちらに向けられていた。
「遊んでばかりいるなよ。このクラスにも模範的な生徒がいるが、そいつのように自覚を持って取り組め」
 山本は、明らかに俺を指して『模範的』と言っていた。それは、他の連中も了解している。
 別に教師に媚びてるわけでもない。ただ、流されるように勉強して、クラスの連中のまとめ役をやらされて、周囲の求めることに応じるうちにこうなった。
 同輩や後輩は、成績優良で、責任感があって行動力があって、その上喧嘩も強い頼れるヤツというレッテルを貼り付けている。
 山本が出て行った後の教室は、喧騒に包まれた。テストの感触はどうだったとか、夏はどうするとか。
 気分が良くない。俺は頬杖を付いて、窓の外を眺めた。外には海が見える。ただ、徒歩で三十分以上離れているため潮騒は聞こえないが。
「おい、僚。帰ろうぜ」
 顔を上げると、友人の京野耕介が鞄を引っ提げて立っていた。
 長身に黒い長髪。ルックスも良く、校内での人気は高いが、性格は軽くて勉強は嫌いだから、教師からの評判はすこぶる悪い。
 けど、俺の大の友人だ。軽いヤツだが、結構気を使ってくれるタイプでもあるし、他の連中と違って物事にこだわらないので安心できる。
「あ、悪い」
 俺が口を開くと、耕介は思い出したらしく、
「三日月園に行く日か」
 俺は頷いた。俺は毎週そこの養護施設に行って、子供たちの相手をしている。その時々で、先生だったり、用務員や友達だったりする。というか、何でもやっている。
「よく飽きずにガキの相手してるよな」
 耕介は大きく息を吐き出し、俺の左腕を見て、
「やっと治ったけどよ、ガキ助けたせいで腕折ったんだろ? よく文句の一言も出ねえよな」
 半ばあきれて言っている。しかし、病院に運ばれたとき、真っ青になってバイクで駆けつけたのもコイツだ。
 そこへもう一人やってきた。高崎旭だ。
 俺を含めたこの三人でしょっちゅう固まっているので、周囲は俺たちを三人組と言っている。
 この旭は、少々感覚がずれているようにも感じる。
「僚、子供たちのヒーローだもんね」
 俺は思わず頭を抱えた。周囲にはまだ多くのクラスメイトが残っている。微笑む旭の隣で、耕介が噴出すのをこらえてるのが見えた。
「やめろ。恥ずかしい。お前ガキか? 何がヒーローだ」
 旭は首を傾げて、不思議そうに、
「ヒーローはヒーローだよ。僚、すごいやさしいし」
「うっせえ。アホなこと言ってねえで帰るぞ。耕介、お前も気味が悪い笑い方してんじゃねえ」
 机の横にぶら下げていた鞄を取って、教室の出入り口に向かうと、後ろから二人が笑って付いて来る。
 いつもの放課後。
 ただ、今年は決定的に何かが違っていた。


 俺たち三人は、高校で知り合った。三人ともずっと同じクラスだったが、旭だけは、一年の二学期から来た転校生だった。
 俺と耕介は、耕介が俺に話しかけてくるようになったのが縁で、しょっちゅう遊ぶようになった。旭は、耕介が転入初日からちょっかいを出していた。で、その旭は俺の隣の席に座っていたから、いつの間にか三人で一緒にいることが多くなった。
 そんな仲だ。
 ある意味どこにでもいるような、ごく普通の三人。


「旭ちゃん、榎に寄ってかないか?」
「うーん」
 旭は耕介の提案に、俺の顔を覗き込む。
「気にしなくていいぞ」
そう言うと、旭の顔がパッと輝いたように見えた。
なんでそんなに甘いものが食いたいか……。『榎』とは汐風駅の南口にある喫茶店で、俺たちの行きつけの店だ。
 ちなみに『三日月園』は、隣の汐風南駅の近くにある。
 俺は、汐風南から通う電車通。他の二人は、耕介がバス通、旭が徒歩通だ。
「僚。そんなに急がないで、駅まで一緒に行こうぜ」
 耕介の言葉に腕時計を見る。電車が出る時間が近いな。ゆっくりしすぎたか。
「いや、次の電車に乗らないといけないんでな」
「しょうがねえな。じゃ、またな」
「僚、気をつけてね」
 俺は二人に背を向け、手を上げて応えた。
 旭はいつもみたいに恥ずかしげも無く、手を大きく振っているのだろう。
 なんかずれているが、あの笑顔と雰囲気は、自分を思考の深みから引き上げてくれる。
 三日月園の子供たちとも通ずるものがあるのかもしれない。子供たちの相手をしている時も、進路やら周囲の期待やら、何も考えないで済む。
 子供たちは俺に重荷を掛けてこない。
 俺は、制服の群れに混じって改札をくぐりながら、違うなと思った。
 旭は重荷を掛けてくるとかこないとか、そんなんじゃない。
 多分、
「まもなくドアが閉まります。危険ですので」
 構内アナウンスに思考を中断して走った。電車通の条件反射。閉まる寸前に列車に入る。
 そして後悔した。この時期の列車は汗ばむ乗客のせいで異常に暑苦しい。走っていたから余計だ。
 次の駅までの五分間は、まさに地獄だった。


 その日の夜、子供たちが寝付いてから家路についた。もう時計は夜の十時を回っている。
 海が近いためか、夜は風が吹いて気持ちがいい。汐風駅周辺と違って、この辺りはまだ昔ながらの家がまばらにあるだけで、自然が多く残されているためか、落ち着いた流れを持っている。
 街灯の周りに、蛾とかに混じってカブトムシがいた。
 昔あれほど夢中で探していたのに、あの気持ちはどこに置いてきたのか。
 子供たちと接した後、より深まるわだかまりが、夏の夜のこの清涼感さえも不快にさせる。
 ピピピ、と静寂を破る機械音。携帯の液晶は旭からの着信を告げていた。
「どうした?」
「あ、僚。お疲れ様。あのね、明日ヒマかな?」
「別に何もないが」
「じゃあさ、明日遊ばない? 耕介君と三人で」
「ヤツの補習前祝か?」
「もう、そんなこと言っちゃヒドイよ。……多分そうだけど」
「お前もヒドイ事言ってるぞ」
 そう言うと、笑い声が聞こえてきた。
「そうかもね。うー、耕介君には言わないでよ」
「言わねえよ。で、時間と場所は?」
 時間と場所を聞いて、二言三言他愛のないことをしゃべってから、
「じゃあ、おやすみ。夜更かしして寝坊したら、めーだからね」
「この年になって、めーはねえだろうが。ガキか俺は?」
「私はあなたの保護者ですから」
「お前に保護されるようなら、人間失格な気がするぞ」
「失礼なこと言わないでよ、もう。じゃ、おやすみ」
「おい、もしもし」
 通話はそこで終了していた。アイツ、何気にヒドイ事を言っている。それともまったく自覚していないのか。多分素だろうが、別に言われても腹は立たないから不思議といえば不思議だ。
 それよりも、明日が楽しみな自分がいる。
 さっきまでの不快な感じは消えていた。


「遅いね。耕介君」
 旭のつぶやきに駅前の時計塔を見ると、すでに十一時を回っている。
 さっきから携帯につなげようとしても、一向に出ない。
「具合でも悪いのかな?」
「あのバカ。どうせ寝坊だよ」
「僚。あまり人をバカバカ言ってると、実は言ってる人がバカなんだよ」
 俺は話す相手を間違えたと思って頭を抱えた。
「あ、来たよ」
 バスターミナルに着いたばかりのバスから、遅刻野郎が一人降りてきた。手を振って駆けてくる。
「悪い悪い。いやー実はね、バスに乗る前に妊婦さんを助けたり、おばあさんの荷物持ちをしてたら遅くなった」
 ヤツの今時誰が信じるんだといった言い訳に、信じ込まされる人物が一人いた。
「え、そうなの。耕介君ってすごいね。私たち、てっきり具合でも悪くなったんじゃないかって心配してたのよ。ねえ、僚」
 こんなヤツは、全世界でも一人しかいない天然級じゃないか。俺はそう思う。思いながらうなずいてやる。
「そうだね。すごいね。はい拍手拍手」
 棒読み状態で言ったにも関わらず、旭はすごいすごいと手を叩いた。
 耕介は髪を掻き上げながら、それほどでもとか言っている。
 俺はこの時点ですでに疲れ果てていた。
「メシ済ませてから遊ぼうぜ。腹減っちまって。つーか、起きてからなんも食ってないし」
 耕介は腹を抱え、全身で訴えていた。旭は手を口元に当て、
「え、そうなの? ま、もうそろそろお昼だし、いいよね僚?」
 俺はめまいを感じながら、そうだなと答えた。
 駅の傍ということもあって、喫茶『榎』へ行くことにした。一緒に話している旭と耕介の後姿を見ながら、俺は何か心の底に引っかかりを感じた。
 それが何か思い巡らす前に、いつの間にか隣にいた耕介が、耳元で、
「僚。実はな、ただの寝坊だったんだ」
「うっせえ。誰でもわかる」
「でも、旭ちゃんは信じてるぜ」
「お前が信じ込ませたんだろうが」
 そう言いつつ、旭の後姿を見て、どうやったら信じるのかと、少々心配になる。アイツ、将来大丈夫か?
 で、俺と耕介が後ろでこそこそやっているのが気になったのか、旭が振り向いた。ちょうどヤツが俺の裏拳を受け止めたところで、それを微笑みながら見守って(?)いた。
「二人とも本当に仲がいいよね」
 俺は、耕介のバカに構わず、旭の肩を叩いて、
「さっさと行くぞ」
 と、『榎』へ向かった。後ろでは、旭が俺と耕介を交互に見て慌てているのが、手に取るようにわかる。
「え、え、僚? ちょっと待ってよ。少しはゆっくり歩いてってば」
 旭の慌てる声を聞きながら、俺は足取りが軽くなるのを感じていた。


 駅周辺のゲーセンやカラオケ、旭の希望で洋服を見て回ると、すでに時計は六時を回っていて、周囲は暗くなり始めていた。
「じゃ、今日はこの辺でお開きだな」
「おいおい僚。まーだ早いのと違うか?」
 耕介が不満そうに言うが、旭は気がついたらしく、手をポンと叩いて、
「あ、今日も三日月園に行く日じゃない」
「そういうことだ」
 耕介も仕方ねえなと、髪を掻き上げながら納得した。
 俺たちは、旭を家まで送り、また駅へと引き返した。
「また学校でね」
 という旭の屈託のない笑顔は、夏の気だるさを吹き飛ばす清涼剤でもある。冬であれば、寒さを吹き飛ばすとかに置き換わるところだが。
 駅へ向かう途中、耕介が黙りこくっているのが気になった。いつもは、俺に一方的に言葉を掛けてくるヤツなんだが。
 駅が見えてきて、じゃ、また。と声を掛けたとき、ヤツが俺の肩を掴んで引き止めた。
 俺は、振り向いた途端、ヤツが思いつめた目で口を開くのを見た。
「僚。俺、旭ちゃんのこと好きだ」
 ヤツは、ただその一言だけ。しかし、それで十分だった。俺は、周囲の状況も目に入らなかった。ただ、この空間にヤツと俺だけがいた。
 俺は、何かが自分を締め付けるのを感じた。
 そのまま、長い時間が過ぎたように感じた。
 それは、ものの数分、いや一分にも満たなかっただろうが、あまりに長く感じた。
 俺も、耕介も、一言も発することなく、気がついたら別れていて、俺は『三日月園』に向かっていた。


                                 2
 夏休み前の最終週。目覚ましの音は七時ちょうど。すでに蝉の声がやかましい。
 いつも通りの夏の朝。
 正直言って、起きたくなかった。学校に行けば嫌でも顔を合わせる。皆勤賞なんてどうでもいい。
 朝からうだるような暑さだ。気だるい。このまま休んでも、学校は何も変わることなく授業を進める。ただ違うのは、『模範的な生徒』が『止むに止まれず』休んだと担任が心配するくらいだろう。
 どうせ今日からはテスト返しくらいしかないんだ。休んだって何も困りやしない。
 行かなければ、二人とも心配するだろう。担任とは違った意味で。多分、見舞いにも来るだろう。
 耕介はどうしたのだろう。昨日にでも旭を呼び出したのだろうか。
 旭はどう答えたのだろう……。
「クソッ!」
 俺は手に取った枕を壁に叩きつけた。ポスッと情けない音をたて床に落ちる。
 何を俺はいらだっているんだ。
 あの二人が付き合うなら、それだっていいじゃないか。耕介はルックスはいいし、軽そうに見えて人情家だ。旭にとっても悪いわけはない。多分、付き合うだろう。そうに決まってる。
 だったら、それでいい。
 どうせ、今年は受験で忙しいんだ。なら、耕介のほうが幸せにしてやれる。
「行くか」
 俺は、結局学校を休むことすらできないんだな。


 自宅から学校まで三十分。着くのがいつもより早く感じた。学校に続く並木道は、普段は清々しいものだが、今日はそこに留まる蝉の声が耳障りなだけだった。
 後輩が挨拶をしてくる。俺は軽く手を上げて応えた。
 教室に入る。いつも通りの八時十分。ホームルームの十分前だ。
 耕介はいない。これもいつも通りだ。今日も遅刻と見ていいだろう。
 けど、今日は旭もいなかった。いつもなら俺よりも早く来ているのに。
 今日に限って寝坊とは考えられない。多分、駅のバスターミナルで待っているのだろう。
「ふう」
 俺はため息をついて天井を眺めた。決定的かなこれは。
 クラスメイトたちが入ってきては、雑談を始める。
 時間を見た。八時十八分。そろそろ担任が来る。二人は、
「おっす僚」
「おはよう」
 ホームルームギリギリにやってきた。一緒に。偶然か、それとも、
 俺が漠然とそう思っていると、耕介が怪訝そうに、
「おい、夏バテか?」
 俺は手を振った。
「別に」
 二人を見ていて、余計に気だるくなった。頼むから、そんな心配そうなツラしないでくれ。
「今日の僚。なんか変だよ」
 旭がしゃがみこんで顔をのぞいてくる。俺は顔を背け、
「いつもと同じだ。だるいだけだ」
 旭は、首を傾げて俺の顔を再度のぞきこもうとする。止めろって。
 胸の底のほうから何かがこみ上げてくるのを感じた。
 俺の心中を知ってか知らずか、旭は俺の額に手を当ててきた。
「うーん……別に熱とかじゃないみたいね」
「おい、止めろって」
 俺が額を離すと、旭は不思議そうな顔をしていた。
「おい、僚」
「全員席に着け。ホームルームを始める。日直」
 耕介が口を開こうとしたその時、担任の山本が入ってきた。耕介は口を閉じて席に向かった。ヤツは窓際の後ろから二番目の席だ。これでしばらくは離れられる。
 ただ、
「僚、体調悪いなら無理しないほうがいいよ。いっつも頑張り過ぎてるんだから」
 旭は俺の真後ろの席から小声で言う。多分、心の底から心配しているんだろう。でも、それがツライと思ったのは初めてだ。
 俺は、旭に向けて手をヒラヒラと泳がせて、一応安心はさせておいた。これ以上声を掛けられたら、余りにツライ。


 その日は、テストの返却日だった。
 一限はオーラル。テスト返却後、テープを再度流して解説を入れていく。
 そして一限終了を知らせる鐘。かなり憂鬱な気分になってきた。
 二人とも、いつものように俺のところへやってきた。
「僚、テストどうだった」
 旭は自分の答案を見せながら聞いてくる。耕介は答案用紙をすでに紙飛行機にしていた。赤点なのだろう。
 俺は、無言で答案を渡す。
「やっぱりお前、なんか変だぞ」
 耕介がそう言ってくる。
「いつもと同じだろうが。普段から俺はそんなしゃべってねえぞ」
「それはそうだがな」
 耕介は髪を掻きながら、まだ何か言いたそうにしていた。その時、
「うわ、何これ? 満点じゃない。どうやったらオーラルでこんなことできるの?」
 旭がクラス中に響くような声で言う。……いじめに近いぞ、さすがにこれは。と思ったが、突っ込む気にもなれなかった。
「何だ?」
 旭は、俺のことをまじまじと見ていた。さすがに気になる。
「突っ込まないの?」
「はあ?」
 なんだコイツは。突っ込みを期待していたのか?
 そんなことを思っていると、旭は手を振って、
「いや、別に突っ込んでほしいとかじゃなくて。僚って、いっつも言い返してくるじゃない」
「そうか?」
「そうだよ。やっぱりおかしいって」
「別に」
 俺は窓に映る海を視界に入れて、二人を光景の外に出した。旭はそれでもしつこく視界に入ってくる。
「どうしちゃったのよ。なんで私たちのほう向いてくれないの?」
「そういうわけじゃ」
 俺はそう言いつつも、二人を視界から外そうとした。
「ねえ、僚ってば」
 旭はしつこく何度も何度も視界に入ってくる。
 制御しがたい感情が沸き起こってくる。
「ねえ……」
「ちょっと静かにしてくれ」
 俺は、旭が差し出してきた手を軽く払ってしまった。思わず目が合った。その表情は今までに見たどの表情とも違っていた。
 なにかをこらえている笑顔。……苦しそうな笑顔でそこにいた。
「ごめんね。ちょっと僚の気持ち考えなさすぎたね」
 旭はそろそろ授業だねと言って、じゃあ、またと軽く手を上げると自分の席に戻った。
 見ていた自分のほうもツライ気分になった。何で手を払ったんだ。
 耕介は俺をにらめつけるようにして、しかし何も言わずに席に戻っていった。
 その日は結局、二人とそれ以上会話を交わすことはなかった。
 帰りのホームルーム後に俺は二人を残して急いで帰ってしまった。
 とにかく、二人を見ているのが嫌だった。


 何をしてるんだ俺は。
 そんなことを自問しつつ、暑い日差しの照りつける夏空の下、駅に向かっていた。海のほうへ向かって吹き降ろす夏風は、いらだたしさをさらに煽るようだった。
「おい、待てよ」
 来た道に顔を向けると、耕介が一人で走ってくるところだった。
 ヤツは、手の届くところまで来ると、肩を掴んできた。
「お前、なんだっていうんだ?」
「ああ? テメエこそなんだよ? 旭はどうした?」
 ヤツは舌打ちして、俺を突き放した。バランスを崩して焼けたように熱くなっているアスファルトに倒れこんだ。
「やっぱりそうか」
 俺を見下ろすその態度が、なんかムカついた。俺は立ち上がってヤツをにらめつけた。
「なんだ、やっぱりって?」
 耕介は鼻で笑うと、
「まだテメエはガキってことだよ、このバカが!」
 胸倉を掴み、怒声を浴びせて、殴りつけてきた。咄嗟に反応できず、またアスファルトに叩きつけられた。
「テメエの気持ち押し込めて、それで俺ならともかく、旭に冷たくすんなんて、筋違いだって言ってんだよ。ふざけんじゃねえぞ」
 耕介の立ち去った後も、その言葉に俺は動けなかった。
 
 
                                 3
 最悪の夏休みの入り方だった。結局、あの日から俺は二人と一言も交わしていない。
 終業式の後とか、学期最期のホームルームの後とか、旭は俺に話しかけようかどうか迷ってるのがわかった。でも、俺は顔すら満足に合わせられなかった。
 もう八月に入ろうとしている。夏期講習と『三日月園』それに自宅を往復するだけの単調な日々が続いていた。
 相変わらず雨が無く、陽がギラギラに照りつける。
 海が近いし、小さな遊園地もある。そして駅の北側には山もあるから、観光客が目立つようになってきた。
 街中では多くのカップルも見かける。今頃は耕介と旭も高校最期の夏を楽しんでいるんだろう。
 夏期講習の帰り道、何もやる気が起きないで、ただただ周囲に流されている自分にも気付き、気が滅入る一方だった。
 耕介の言う通り、俺はバカだ。だから全て失うし、流されるばかりのつまんない生活を送っている。
 街路に冷たい風が流れてくる。目を移すと、脇にあったゲーセンの自動ドアが開いて人が出てくるところだった。俺は無視して駅に向かおうとした。
「待てよ」
 俺は嘆息して振り返った。そこには耕介が一人で立っていた。
「最近携帯にも出ねえから、連絡が取れないって言ってたぜ」
「何のことだよ?」
 素っ気無く返すが、怒鳴ろうともせず冷めた目で、
「旭に決まってるだろうが」
 呼び捨て……そういや、この前も。
俺はその名前が出ると、きびすを返そうとしたが、
「フラれちまったよ」
 視線を戻すと、ヤツはすでに背を向けていて、顔だけこっちに向けて、
「何で俺がフラれたかわかるか?」
 ヤツは視線を外して、歩き出すときこう言った。
「そりゃあ、俺がバカだからさ。で、こんなことをお前に教えてやるのは、お前がバカだからさ」


 『三日月園』への道すがら、ヤツの言葉を何度も思い返してみた。最近切ったままだった携帯の電源をいれてみる。センター問い合わせをすると、大量のメールが届いていた。そのほとんどは旭からで、内容は『電話ください』と書いてあった。
「電話して、何言えってんだよな」
 苦笑して、携帯を胸ポケに突っ込んだ。
「あ、僚兄だー」
 『三日月園』に入ると、外で遊んでいた子どもたちが駆け寄ってきた。
「鞄置いてくるから、ちょっと待ってな」
 はーい、と元気のいい返事が返ってくる。中に入って、職員室に荷物を置きに行くと、そこで園長夫妻がお茶を飲んで歓談していた。
「お、僚君。いつもありがとうな」
 園長はいつもの柔和な表情で迎えてくれた。
「いえ、好きでやってることですから」
 照れくさくて、思わず頬を掻きながら、荷物を置いて『みかづきえん』の刺繍が入った前掛けを着ける。
 この施設を作って四十年という老夫妻は、その雰囲気が旭にそっくりだった。気持ちが落ち着くというか。
 昼下がり時には、子どもたちの多くは疲れて寝ているが、元気が余っているのもいて、砂山を作って遊んだり、なにかしらの遊びをしている。
 遊んでる子に、驚かされたのは、一緒に遊び始めてすぐのことだった。
「僚ちゃん。なにかあったの」
「ん、優ちゃんは何でそう思うの?」
 身を屈めて、目線を合わせると、優ちゃんは俺の顔を指差して、
「だって、僚ちゃん。さいきん元気なさそうなんだもん。かのじょとケンカでもしたの?」
 俺は、そんなことないよと応えて、頭を撫でてあげた。
 でも、優ちゃんは納得してくれなくて。頬を膨らませ、
「うそ。だって、さいきんおねいちゃんの話してくれないんだもん」
 俺はちょっと返答に窮した。子どもって意外なトコに敏感なんだよな。
「だめよ。ちゃんとなかなおりしなさい。僚ちゃん、いつもなかよくしなさいっていってるじゃない」
 俺が、わかったよと言って、指切りして約束すると、優ちゃんは俺の頭を撫でて、友達の輪に戻って行った。その中の一人の男の子と仲よさそうにくっついている。
 いつから素直じゃなくなるのかな、人間てのは。そう思うと、子どもたちはあまりにまぶしく映った。


 八月の初日も炎天下。ただ、のどが異常に渇くのは、そのためではなかった。
 学校での夏期講習が昨日終了したので、俺は『榎』でマスターの奥さんが作っている自家製チーズケーキを持参して、旭の家に向かった。
 とりあえず、謝らねえと。
 ストレートに謝ればいいよな。それで、きっと元に戻れるはずだ。
 そう思いつつ、インターホンがなかなか押せずにいた。
 ……迷ってても仕方ないよな。
 思い直して、ボタンを押す。しばらくして、聞かなくなって久しい声が、
「はい、どちらさまですか?」
「俺だよ」
 応えると、しばしの沈黙が続いた。俺はただ待っていた。
「今行くから、ちょっと待って」
 少しして、玄関が開き、ノースリーブのシャツにショートパンツという、意外にラフな出で立ちの旭が出てきた。しかし、困惑しているのが見て取れた。目をあまり合わせようとはしてこない。
「これ。お前好きだろ」
 言って、ケーキの入った包みを押し付ける。それを旭が手にしたとき、頭を下げて謝った。
「スマン。なんか、気持ちが整理できなくてさ。お前に当たっていたかもしれない」
 頭を上げると、旭は首を横にブンブン振って、
「う、ううん。いいんだよ、もう」
 その後、二人とも言葉が続かなくて、夏の暑い日差しの下で向き合っていたが、
「あのな、俺、耕介にお前に対する気持ち教えられたとき、どうしようもなく頭ン中がまとまらなくなったんだ」
 旭は黙って聞いている。俺はそのまま、今日までのことをしゃべり続けた。
 耕介に殴られたこと。フラれたのを告げられたときのこと。『三日月園』でのこと。
「だから、結局俺はバカだったてこと」
 俺がそう言うと、『三日月園』の優ちゃんみたいに旭は頬を膨らませて怒った。
「そんなことないよ。自分のことすぐ悪く言うの良くないクセだよ。だから何でも考えすぎちゃうんだよ」
「けど……」
 やっぱりバカだ、と言おうとしたトコで、旭の軽いパンチがあごに当たった。
「それ以上言ったら、本当に怒るからね」
 その時、風が吹いて旭の前髪がサラサラと揺れた。そのときには、旭はあの屈託のない笑顔だった。
「許してあげる。だからもう思いつめたような顔しないで」
 旭は真っ直ぐに俺を見ていた。
「前にも言ったでしょ。僚は子どもたちのヒーローだって。僚は怖いけど、でも本当は優しくて。だから理由もなしに冷たくなったりしないもん。だから許してあげるよ」
 俺は、その言葉に救われると同時に、それでも引っかかることがあった。


                                 4
 旭に謝った日から、少なくともそれ以前よりは充実した夏休みを送っていた。
 一緒に遊びに行ったりもしたし、旭が『三日月園』についてくるようにもなった。
 ……子どもたちにはからかわれっぱなしだったが。
 告白とかはしていないが、半ば付き合ってるような感じではあった。
 ただ、どうしても気になることがあった。
 耕介と連絡がとれなくなった。
 というよりも、取りづらくなってしまっていた。
「そういえば、耕介と連絡取ってる?」
 その日も、旭のほうから話題に出てきた。俺はなんとなく応えづらくて、さあ、と言って視線を逸らしてしまった。
「ちゃんと応えてよ」
「連絡がつかねえんだよ。つーか、お前もだろ?」
 俺は、意識的に耕介の話題を避けようとしていた。
 そのとき、旭の表情を見ておくべきだったかもしれない。次は決定的なものになってしまった。
「それより、次はどのアトラクション行くか?」
 俺は、遊園地のパンフを広げた。
 旭は口を半開きにして、こちらを凝視していた。驚いているようだった。
 すると突然、俺の手にあったパンフを叩き落とした。
「おい」
「僚」
 旭は、俯いてこちらを見ていなかった。
「ねえ、あんなに夏休みに入る前は仲良しだったのに、私たちどうしちゃったんだろう」
 顔を上げた旭と目が合った。涙が滲んでいた。
「私、帰るね。ちょっと考えたい」
 背を向けた旭を止めようとしたが、振り返りもせずこう言ってきた。
「来ないで!」
 そして、そのまま走り去り、群衆の中に消えてしまった。俺は、周囲の連中が無関心に通り過ぎる中、追いかけることもできなかった。


                                 5
 これほど目まぐるしく変わる夏も珍しいだろう。八月の一週目には幸せそのものだったのに、二週目には、完全に二人と疎遠になってしまった。
 旭は自宅に行っても会ってくれなかった。耕介に至っては自宅にすらいなかったが。
 旭に告白していたら、それも耕介が俺に気持ちを打ち明けたときに、ヤツに正直に言っていたら、こんな風にはなってなかっただろうか。
 耕介をフったって事は、俺のことが好きだったんだよな。多分……。
 俺が悪い。なんだかんだと勝手に考えては、周囲を振り回して、三人の関係を壊したんだからな。
 その日も『三日月園』に行った。それで、また優ちゃんに怒られた。
 俺だってなんとかしたいんだが、他の二人と会えない以上、どうしようもないじゃないか。
 『三日月園』にいるのも憂鬱で、いつもより早く夕方には帰宅しようとした。
 門を出ると、そこには黒いレザージャケットを着込んだ男が立っていた。
「耕介」
 俺が思わず立ち止まると、ヘルメットを投げつけてきた。
「ツラ貸せよ」
 そう言って、傍らのバイクに乗り、早くしろとこちらを向かずに、手で合図してくる。
 俺が後ろに乗ると、耕介は安全速度などといったものを無視して、バイクを走らせた。
「どこに行くつもりだ?」
 俺の問いに答えず、耕介はひたすらバイクを走らせた。
 しばらくして、海岸沿いの道に出た。夕日が沈もうとしている海は、いつ見ても心を奪われかけた。
「まったく嫌になるよな」
 唐突に耕介がはき捨てた。
「いいか、バカ。俺はな、男を乗せて、海の夕日を見るなんていう趣味は持ち合わせてねえんだからな」
「俺だってねえよ」
「彼女を乗せるのが夢だったのに、どうして初めて乗せたのが男なのか」
「テメエが乗せたんだろうが。自問するな」
 俺だって好きで男の背中に掴まってるわけじゃねえ、そう言うと、ヤツはそりゃそうだ、そうじゃなきゃ友人なんてしてねえよ、と。
 友人? コイツまだそう……。
 ヤツは、海岸線を走ってしばらくしたトコでバイクを止めた。そこは一軒の民宿の前だった。
「ここ、俺の今のバイト先。家の人が倒れたらしくてな、住み込みでしばらく働いてた」
 耕介はそう言って、その玄関口に張ってあるポスターを指して、
「知ってるか? この辺りはな、八月最終週の頭に花火大会やるんだよ」
 そういえば、聞いたことはあるな。俺は汐風市でも、南外れのほうに住んでるからなじみが薄いけど、市の一番北外れの地区では、そんなことをやるらしいな。
「ま、この辺りは俺の地元だからな。情報提供感謝しろよ」
「なんのことだ?」
 質問に返ってきたのは、ヤツの右ストレート。前のようには食らわず、手で受けた。パンチ自体、本気で撃ってきたものでもなかった。
「おいおい、お前らの仲がくっつく手前で滅茶苦茶になってんの、知らねえと思ってんの?」
 ヤツは汗で張り付いた髪を鬱陶しそうに掻き上げると、
「つーかよ、あれからお前らがどうなってるか気になったんだよ。ったく、俺も何やってるんだかな」
 ヤツは泣きたいのか笑いたいのかよくわからない、複雑な表情をしていた。
「あのなあ、俺だって、旭のこと好きなんだぜ。でもなあ、彼女が選んだの俺じゃあないわけだ。でも、まあ俺としちゃあムカつくけど、旭のために応援してやりたいわけだよ」
 ヤツが言ってることは、わかるようで全然まとまっていない。ただ、言いたいことはわかった。
「旭に思い切って久々に連絡してみれば、なんでこうなっちゃったんだろ、とか言いながら泣いてるし、……まあ、俺にも責任があったわけだがな。とにかくだ、三人がまた仲良くなれりゃあいいわけだ」
「そうだな」
 俺は、ため息混じりに頷いた。
「おいおい、何やる気なさそうにしてんだよ」
 ヤツが憮然として言う。
「そうじゃねえよ。旭が会ってくれねえんだよ」
「だから、そうなってくれるようにするんだよ。バカか。ったく、俺がわざわざこの民宿に予約までいれてやってるんだぞ。花火大会の日に」
「それって」
 俺はさすがに驚いた。ヤツは例の軽薄そうな笑みを浮かべると、
「お前、今いやらしい想像しただろ?」
「ち、違っ」
「まあ、気持ちはわかる。俺も男だからな。それに、ここは泳げるから、水着も拝めるというスバラシイ場所だ。旭スタイルいいもんねえ」
「そんな想像してねえ!」
 俺はさすがに反論した。顔が熱い。おやーといいながら、耕介は肩をすくめて、
「さすがに、二人きりにするのは危険そうなので、俺も一緒に泊まるよ。残念だったな。第一、三人の仲をどうにかしねえと、問題解決にならねえだろうが」
 その通りだと頷いた。心中、少し残念でもあったが、それはまだ取らぬ狸のというか……。
「じゃ、連絡任せたぞ。後はお前しだいだ」
 耕介はスタンドを外しバイクに跨った。
「サンキュ」
 後部に跨るとき、自然とそう言っていた。


                                 6
 帰宅して、いくらか迷ってから連絡を取ろうとした。
 拒絶されたらと考えると、連絡するのがためらわれたが、ここで会わなきゃもう二度と修復できない気がした。
八月の最終週って事は、来週だ。花火大会のその日までは、たった四日しかない。だから、少々焦りもした。
 何度連絡しても、携帯はつながらない。ひたすら留守電のコール。
 頼むから聞いてくれと思いつつ、日時と集合場所を留守録にいれておいた。念のためメールも送っておく。
 自宅に行くのは、止めておいた。行っても会ってもらえない気がしたし、やはりそこまでの勇気は無かった。


 当日、バスを使って民宿近くの停留所に。そこが待ち合わせ場所になっている。
 いつもは遅刻ばかりする耕介が、このときばかりは最初に来ていた。傍らには愛用のバイク。背後にガードレールと砂浜、そして海という光景があるところからして、わざとカッコつけてるようにしか見えないが。
「よう」
 耕介はいくらか日に焼けて浅黒くなっていた。前はあまり気にもしなかったが、海辺で働いていればそうなるもんだろう。
 俺は手を上げてヤツに応えた。旭はまだ来ていない。
 しばらく、ガードレールに寄りかかってたまに道を通る車を見ていた。バスが来るたび、旭が乗ってるかと期待するが、一向に来る気配がない。
 三時。すでに集合時間を二時間オーバーしている。
「来ねえな」
 耕介は浜辺で遊んでいる水着の群れ(水着の女性だ)を目で追いかけながら、何度目かになる呟きを漏らした。
 そうして、逆の山側のほうを見た。
「雲が出てきやがった。一雨来るぜ」
 確かに、風が強くなり始めているし、山頂付近は厚い雲に覆われ始めている。時折遠雷も聞こえ始めた。
「僚」
 俺が振り向くと、ヤツはバイクのキーを投げて寄こした。
「俺はもうしばらく停留所で待ってる。雨降ってきたら、先に民宿入ってるからな」
 俺はヘルメットを被ると、スタンドを倒して、キーを指し込みモーターを回転させた。
「俺の宝物なんだからな。傷つけたら承知しねえぞ」
「わかってる」
 俺はそう言い残して、その場を後にした。


 ヤツのバイクを走らせて数分もすると、雨が降り始めてきた。旭の家は汐風駅の近くだから、まだ距離的には半分もきていない。
「ったく、俺はバイクなんてほとんど乗ったことねえんだぞ」
 思わず悪態をつく。俺は無免許なんだぞ。
 その内に、視界が急速に暗くなって、土砂降りになる。ライトを点灯させて走行。
 海岸線の開けた道から、市内の入り組んだ道へと入る。
 雨で徐行している車を追い抜きながら、とにかくひた走る。
 捕まったら停学で済むかな、とか考える。ま、そんなのどうでもいいや。
 さすがにバイクは早い。すぐに旭の自宅の前まで来た。
 とにかく無我夢中で走ってきたけど、なんて言えばいいのか。あの時と同じで、インターホンを押す手が迷っていた。
 それでも、ピンポーンと、何度か鳴らしたが、出てくる気配がない。
 実はすれ違いだったとか。でも、それなら耕介が知らせてくるだろう。やはりいるはずだ。
 直接家の中に声を掛けたほうが早いと思い、ドアノブに手を掛ける。
 開いていた。無用心と言えば無用心だ。家の人はいないらしい。靴が旭のものしかおいてない。
「旭。いるか?」
 返事はない。再度問いかけても返事がないので、埒が明かないと思い、
「上がるぞ」
 そう言って、二階にある旭の部屋に向かった。
旭の部屋の前にはプレートが掛けてある。キツネのマスコットが一緒に掛かっていて、そこには『在室中、ノック』と書かれていた。
「おい、旭」
 コンコンとノックをして呼びかけるが、やはり応えない。何度か叩く。
 思い切ってドアに手を掛けると、開いていた。
 部屋の中は真っ暗で、時折雷光で照らされた。窓には薄手のカーテンが掛かっていて、その手前には動物のぬいぐるみがいくつか。他にも、机や床にたくさんのぬいぐるみが置いてあった。
 旭は、ベッドの上でネコのぬいぐるみを抱いて俯いていた。
 肩に手を掛けると、少し震えていた。
「なあ」
「僚。やっぱり怖いんだよね」
 旭は俺を見上げた。泣きはらしていたのか、目は赤くなっていた。
「何がだ?」
 雷光で旭の顔が照らされた。思わず、抱きしめたい衝動に駆られるが、表面では平静を装うとした。
「私たちって、ずっと仲良しでいられると思ってたんだよね。でも、こんなに僅かなすれ違いで、バラバラになって、こんなに苦しい思いするんだね」
 旭は淡々と語っていたが、徐々に声が震え始めてきた。聞いているこっちが、切なさに駆られた。
「だから、怖いんだ。二人とも私にとっては大事な人だよ。でも、私が僚に持ってる気持ちは、それとも違うの。でも、でも、それですれ違ってるんだよね。やっぱり、間違ってるのかな? だから三人で仲良くできないのかな」
「違う」
 俺は、それだけは違うとはっきり言えた。
 俺たちは三人でよくつるんでるし、キャラクターは全然違うけど、どこかでつながってはいた。だからうまくいってたんだ。
 仲良し三人の三角関係なんて、ドラマとかの非日常かと思ってたけど、そうなったとき俺たちはすれ違っていた。多分、三者三様で原因はあったんだろう。
 でも、耕介は旭が好きだから、あえて俺を励ましてくれた。だから、どこかですれ違っていたようで、実は同じ方向に歩いていた。
 だから、誰かが誰かと付き合うとか、そんなことになっても、やっぱりどこかで互いに気遣ってつながっているから、絶対にすれ違って遠くに行ってしまうことは無いはずだ。
 こうやって、今三人のことを真剣に悩んでいた旭がいるわけで、耕介も俺たちを気にかけていて、俺も悩んでいた。だから、三人ともそれぞれを大事に思っていた。すれ違っているようで、実はそうでもなかった。
 俺は、少なくともそう思った。
「違う?」
「ああ」
 俺は思わず旭を抱きしめて、そう言った。旭は身体を僅かに震わせたが、拒絶はしてこなかった。
「俺、はっきり言う。旭のこと好きだ」
 旭は、涙声でうんと言った。
 口付けを交わすと、旭は涙を指ですくいつつも、いつもの人を安心させるような笑みを浮かべていた。
 そのとき、窓から光が差し込んできた。
 いつの間にか雷は止んでいた。
 俺は、旭の手を取ってベッドから起こした。
「さ、行くぜ。耕介が待ちくたびれてるだろうからな」
「そだね。遅刻王の耕介に遅刻女王扱いされたらたまんないもんね」
 そりゃそうだ、と俺たちは声に出して笑った。
 こんなに心の底から笑ったのはいつの頃だったか。なんか、昔置いてきたものを再発見したような感じだった。
 外に出ると、夏の強烈な日差しが戻ってきていた。
 旭は遅い。荷をまとめるのに手間取っているのか。強烈な日差しの下で、思わずビーチを駆ける水着姿の旭が浮かび上がってきた。
 首を振ってその姿を追い出そうとする。こんなの俺のキャラじゃねえだろ。
荷物をまとめた旭が降りてくる。ずいぶん時間が掛かったが、女はそんなもんだろ。
 旭はバイクを見ると、意地の悪そうな笑みを浮かべて、擦り寄るようにして、俺を見上げた。
「あれー僚って免許持ってた?」
「持ってるわけねえだろ」
 そう言うと、
「あーあ、学校に知られたら大変だあ」
「お前が喋んなきゃいいんだよ」
 そう言うと、旭は得意(?)の泣きまねをして、指で涙をすくう仕草をしながら、
「僚ったら、私のために危険も顧みず……私、感激しました。グスッ」
「お前なあ、人をからかうのも大概にしろ」
 俺が手を振り上げると、旭は頭を抱えて、
「えー、本心なのに。ひどいよ僚。私泣いちゃうからね」
「バカやってないで行くぞ」
 俺はヘルメットを渡して、バイクに跨った。
 心中で耕介に謝った。
 許せよ。お前のバイクに好きな人乗せたの俺が初めてになっちまった。
 後ろに乗った旭は俺に密着してきた。
 ……胸が、あたってるんだけどな。
「僚、行かないの?」
「あ、いや」
「あー、今変なこと考えてたでしょ。僚のエッチ」
「か、考えてねえ」
「やだー、空気感染で妊娠させられそう」
「テ、テメエ」
 なんなんだ、くそ、なんでいつもの一般常識から離れた台詞が、今度は意地悪なもんになってるんだ。
「今、ボケとか考えた?」
「んなわけねえだろ」
 素っ気無く応える。内心はそうでもないが。
 旭は、んーまいっかと言って、笑っていた。
 そうこうしている内、海岸線が見えてきた。海からの反射に後部からまぶしいねえ、と声が掛かってくる。
 やがて、民宿が見えてきて、耕介が手を振っていた。


 いい夏になりそうだった。

【真夏のオアシスドリーム】 - 全章まとめ読み -
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