【おかえりなさい】 - 第5話 -
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おかえりなさい
                                                      陽ノ下光一

 第5話


「へえ、じゃあ連絡取れるようになったのか」
「会ったのはたまたまだったけどな」
 夏が盛りとなったその時期、エアコンを効かせた部屋で日曜バラエティ番組を見ながらくつろいでいた北村。彼の元に、園時代の悪友、広瀬孝太から携帯の着信があったのはそんな時であった。
「営業先で働いてたなんて……偶然にも程があるよな」
「確かにそうだな」
 北村も苦笑せざるを得ない。いくら営業で外回りが多いからといって、それは宝くじの当選確率が数百万分の一から数十万分の一になる程度の事だろう。
「お前、黒崎の携帯教えてもらったんだろ?」
「確かに、奈々子は教えてもらっていたけど……」
 携帯の向こう側にいる孝太は、明後日の方向を向きながら頬をかいているように、北村には思えた。
「お前が俺に教えてくれていれば、早くに連絡取れたかも知れねえのに。お前らが黒崎に再会してから、7ヶ月経ってるんだぜ?」
 そう言いながらも北村は、ある程度は孝太からの反応を予想できていた。
「いや、黒崎が自分からお前に連絡するって言ってたんでな」
 その答えは北村の予想通りのものである。
 女性が男性の連絡先を受け取って「自分から連絡する」という場合は、その男性に連絡する気の無い場合が大半である。という、男女コンパ必勝法なる雑誌記事に書かれていたのを、北村は読んだことがある。
「でもどうなんだ、俊一?」
「何が?」
「黒崎のヤツ、お前と会ったの喜んでたんだろ?」
 それは偽り無く真実だったと、少なくとも北村の方では思っていた。会いたくもない人間相手にわざわざ勤務中の時間を割いたり、笑ったりするだろうか。
「そうだな。黒崎からかけてくる時もあるよ」
 黒崎美月との再会から2週間あまり。3日に1回くらいはメールなり直接の会話が来るようにはなっていた。
「いや、奈々子もさ、黒崎に言ってたんだよ」
「何を?」
 北村の携帯に赤ん坊の泣き声が入ってくる。孝太の後ろで奈々子があやしている光景が目に浮かぶ。
「こっちから俊一に、黒崎の連絡先を伝えようかって」
「で、黒崎はどう言ってた?」
 広瀬夫妻に提案された黒崎が、どのような反応を示したのかは、北村にとって興味を引くものだった。
自分が黒崎と再会したとき、何で連絡を寄こさなかったんだと尋ねた。その際に黒崎は照れているとも困っているともとれる反応をしていたからだ。
「ちょっと色々……兄さんには私から連絡できるようになるまで、もう少しだけとか言ってたぞ。というか、お前こそ再会した時に聞かなかったのか?」
 黒崎はどうやら、広瀬夫妻に対しても北村同様の困惑した態度をとっていたようだ。
「私から連絡できるようになるまで?」
「ああ、そんな言い方してたな」
 どういう意味だろう。確かに自分に対しても似たような事を言っていた。そう北村が考えていると、もう一方の電話口からはさらに言葉が続けられた。
「しかし、黒崎に6年ぶりにあって驚いたな」
「驚いた? どこに?」
「いや、美人のなんのって……奈々子は太陽のように温かくてカワイイ。黒崎は逆に月の様に美しくなってる」
「お前、いつからポエマーになったんだ?」
 しかし、これは北村も言いながら頷いてはいた。6年半前に18歳だった少女は、今では笑顔を見せられた瞬間に息を呑むほど美しかった。
「いや、それ以上に本当に変わったと思う。典型的な不良少女みたい……いや、自分から孤立しようとしていた黒崎が、コロコロ笑っては子供達と楽しそうにしていた」
 北村は「おひさま園」時代の黒崎を思い出してみた。
 施設の裏口で煙草を1人吸って夕日をながめている。自分に話しかけてくるなというオーラを放っている。触ると怪我をするぞと主張しているような鋭い刃物、そんな彼女が思い浮かぶ。
 もっともそのイメージは黒崎が中学2年だった当時に強く残るもので、18歳になった黒崎は少しばかり回りに気を遣う位にはなっていた。
「オレと会った時も、笑ったりむくれたりだったな」
「園を出る頃には少し丸くなってたが、社会人生活6年……男でも出来て変わったかね?」
 黒崎も24歳の女である。18歳で社会に出て、出会いもあれば別れだってあったのではないか。そうでなくても、周囲との関係性の中で性格が変わっていくことは十分あり得る事だ。
「今、特に付き合ってる男がいるわけでもないみたいだがな。本人が言ってた」
「ふーん……まあ、せっかく連絡出来るようになったんだ。6年分の話はたっぷりあるんじゃねえの?」
 お前からも積極的に連絡取ったらどうだ、と孝太は北村にほのめかした。


 広瀬孝太にそそのかされたという訳ではないが、黒崎から連絡が度々来るようになれば、北村から彼女へ連絡を入れるという事も度々となる。これは自然の成り行きであった。
 こうして再会から1ヶ月と経たない内に、休日にランチでもしながら直接会うような状況になるのも、また自然であった。
「ふーん、兄さんも大変だね。毎回毎回」
 運ばれたケーキをフォークで突付きながら、笑い混じりで同情を寄せてくる黒崎。着込んだ白のワンピース以上に、透き通るような白い綺麗な手が、北村の頭へと伸ばされてきた。
「うん、よく頑張ってる。兄さんはいつでも忍耐強いね」
 そういって伸ばした手で北村の頭を数回撫でた。撫でられた方は少し憮然とした面持ちだ。
「子供扱いされている気がするんだが」
「大丈夫大丈夫。これでも兄さんと呼んでるんだから、年長者として尊重してみせてるじゃない」
 その言い方自体が、まるで子供扱いされているかのようにも感じるが、親しみが込められたものである事ぐらい北村でも理解できる。
「10年前には私に手を焼かされて、今ではハゲた中年上司に手を焼かされ……自分から苦労をわざわざ買う人だよね、兄さんは」
「会社は飯を食うためだから仕方なく耐えてるだけだ」
 北村は息を吐き出してコーヒーカップを手に取る。
「お前に対してのそれは……別に苦労じゃない」
 さらに言葉を続けようとした北村に、黒崎が笑顔で彼の言わんとするところを続けた。
「家族なんだから、当たり前だ! ……でしょ?」
 黒崎が小さく笑ってみせる。北村も自嘲気味に笑わざるを得ない。
 黒崎は満足げに首を何度か小さく縦に振ると、バッグから煙草を取り出して火をつけた。煙をくゆらせる姿に、北村が苦い表情だ。
「結局止められなかったのか?」
 黒崎は煙が届かないようにという配慮からか、顔を横に向けていたが、視線を北村に戻すと、困ったかのように空いた手で後頭部をかいていた。
「もうちょっと……踏ん切りがつくまで」
「煙草を止めます……これが最後の1本、って言い訳してるみたいに聞こえるぞ」
「そうだね」
 かつては注意するたびに反発を受け、睨まれるだけだったが、成人した今では笑みが返ってくる。時間というのは不思議なものだ。
「おひさま園にいた頃は、お前に兄さんなんて呼ばれたこともなかったな」
 当時を振り返って、北村はつぶやくようだった。黒崎は煙草を吸う手を止めて、ほとんど吸われていないそれを灰皿へ押し付けた。
「そうね。でも……1ヶ月前に会った時に、自然に出たのは兄さんって言葉だったけどね」
 髪をかく仕草。黒崎はやはり照れているのだろう。これこそ年数の成せる業だろうか。
「だって、再会して……アンタ……とは言えないでしょ。というより、兄さんの説教の成果が10年越しに表れたんじゃない」
 そう続ける黒崎の言葉の後半は、半ば北村をからかうようにさえ見える。
「確かに。睨まれたり、冷たい視線でアンタって言われたらショックこの上ないな」
 北村の返しに、笑顔のまま頷く黒崎。コーヒーカップに手を伸ばす。
「あっ、すいません」
 その後、黒崎は近くにいた店員に謝意を伝える。カップの取っ手に手を伸ばそうとしたのが、本体に手を伸ばしてひっくり返したのだ。テーブルから床へとコーヒーが滴り落ちる。
「やっちゃった」
 黒崎は子供が悪戯に失敗したかのような誤魔化し笑いをしていた。


 元々1つの施設にいて、説教する側とされる側という不思議な関係だった2人である。それが6年半の後に再会すると、当時を笑いながら語り合う形になるのだから、時間は魔法のようですらある。
 8月に入り休日のランチを共にするようになると、話者の物理的接近が更なる心情的な接近を許すようになるのも人間ゆえのようだ。
「お、兄さん。遅い遅い」
「悪い悪い」
 8月の半ばには遊園地だのといった、おおよそ友人ないしは恋人同士が通うに違いないスポットに足を運ぶようになっていた。
「兄さん、二度寝でもしてたんでしょ」
「しょうがねえだろ。昨日だって帰宅は午前様だったんだぞ」
「言い訳は聞きたくありませーん」
 2人の呼び方は周囲からすれば兄妹のようにみえ、また当人達もそのような振る舞いをしているようにみえた。
「じゃあ、ここの入園料は兄さん持ちだよね」
 北村の顔を覗き込むように、眩しい笑顔が現れる。北村は思わず自分のこめかみを指で押さえてしまった。
「妹を暑い中待たせて日焼けさせるなんて、悪いお兄ちゃんだよね、全く」
 見てごらんなさいとばかりに、自分の腕をさすって見せる。その腕は黒の対極そのものだ。
「分かった。俺が2人分払う」
 しぶしぶ北村が頷くと、黒崎は腕を絡めてきて、大喜びだ。
「じゃあ、兄さん。どのアトラクションから行こうか? お化け屋敷? ジェットコースター?」
 呼び方さえ別のものであれば、2人は兄妹という関係以外のものに周囲には映るかもしれない。しかし、北村にとっての黒崎は大事な「家族」そのものである。
 彼を「兄さん」と呼ぶ黒崎もその域を超えるものではないだろうと、北村は思っていた。
 楽しい時間ほど過ぎるのは早く、苦痛な時間ほど長く感じると言われる。北村にとってこの時間は早く過ぎ去って行き、気がつけば夏の長い日が沈もうとする時間となっていた。
「…………」
 彼らが最後に選んだのは大観覧車。ゆっくり回るゴンドラの中、手すりにほおづえついた黒崎。その彼女の頬を夕日が照らす。北村は思わず見とれてしまった。
 かつて施設の裏口で煙草を吸っていた黒崎。彼女の頬に夕日がさす光景もよく見た。なんとなく、長い黒髪が短かった頃の、笑顔が人を拒絶するようなそれだった頃の彼女と被って見えた。
 2人の間に会話が途切れたのはそれ程長い時間ではなかったが、北村には少し長い時間に感じられた。
 黒崎は北村の視線に気がついてか、ほおづえつきながら夕日にやっていた視線を彼に移した。目をぱちくりさせると、彼女は微笑んだ。
「兄さん、楽しかった。ありがとう」
 2人が恋人ないしその前段階の異性同士であれば、その後に続くものは、互いの唇を重ね合わせる行為が最も自然だったかもしれない。
 だが、黒崎は微笑んだままであり、北村も同じように返しただけであった。
 また訪れた沈黙を破ったのも、黒崎だった。
「もうすぐお盆だけど……兄さんは帰省するの?」
 もちろん、彼らの帰省先に先祖代々のお墓があるわけではない。彼らにはそのような場所がそもそも存在していないか、あっても近寄れる存在ではない。あるのは彼らが多感な時期を少なからず過ごした大きな家族のいる「おひさま園」である。
「せっかくのお盆休みだし、行くつもりだけど……黒崎は帰るのか?」
 この問いかけに、黒崎は「うーん」と困ったようだ。夕日に視線を戻す。強い西日が当たって、かすかに表情が読みにくくなる。
「今回はパス」
「用事でもあるのか?」
 黒崎は一瞬考えるような素振りをみせ、次の瞬間にハッとしたように振り返って手を振った。
「誤解しないでね。兄さんが帰るから、私が帰りたくないって意味じゃないんだよ」
「そんな事、思うわけねえだろ」
 北村が笑みのままそう返すと、黒崎は胸を撫で下ろして、またほおづえついて夕日を見遣った。
「ちょっと、色々考えてるんだ」
 北村には彼女の視線が夕日というよりも、そのもっと先を見ているように感じられた。
「兄さんには……絶対話すから。絶対」
「ああ、待ってる」
 北村は彼女の視線の先にある夕日に目を移した。ゴンドラのガラスに夕日のせいでおぼろげに反射されている黒崎の姿。彼女は真剣な面持ちで頷いていた。

【第6話へ続く】


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