【想い出という名の鍵 This blue - in the distance】
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想い出という名の鍵

       陽ノ下光一

prologue

 悲鳴が上がった。

 ぎし、ぎいいい、

 悲鳴が消える。

「今、救助艇が向かった」

 スピーカー越しの声は、再度悲鳴を呼んだ。

 がん、がん、

 船殻が軋む。水圧が浸水の増加をさらに加速。

 寒い、寒い。

「メインタンク満水」

「姿勢制御不能」

「動力室浸水」

 メインコンピュータは常に冷静。それが、さらにパニックを生む。

 ばしゅっつ、

 船室の隔壁を水が蹴破って、

「うわあああ」

 それは誰の悲鳴か、自分のか。

 潜水艇が傾き、落ちた資材は私の……。




the initial stage……

「ここにいたの?」

 潮騒の匂いに混じる女の声。

「海人!」

 私の真後ろ、頭上にその声が響く。

 波の返す音、私は振り返った。

「いつまでそこに座ってるつもり?」

 水平線は赤く染まっている。

 そうか、今日も私は。

 女は腰に手を当て、ふっ、とため息。

「もう一度、行きたいんでしょ」

 私は立ち上がり砂を払うと、女の脇を通り抜け、

「ちょっと」

 ようとして、袖をつかまれた。

「彼女との約束は?」

 私は一瞥し、袖を振り払うと、再び歩き出した。

「ちょ……」

「真紀。助かったのは、私だけなんだよ」

 私に追いすがろうとした真紀の足が止まる。海に背を向け、私は砂浜を後にした。



 海上都市計画。それは人類の夢であったといってもいい。増え続ける人口。そのはけ口を、そこへ見出したのだ。

 計画には犠牲がつきものである。

 半径三十キロメートルの、試作海上都市の建設に伴い、多くの事故が起こり、犠牲が生まれた。

 多数の船舶、人材、そして自然である。

 サルベージ。この職が大きな需要を生み出したのは、当然の帰結である。

 沈んだ船舶から、生存者を救出すること。重要なデータを回収すること。

 そして、遺品……思い出の回収。



 真紀の言うことはわかっている。だから、私も必死だった。

 だけど、叶わなかった。敵わなかった。

 当初の計画海域に存在する海底火山。それが生み出す海流が犠牲とした船。

 あの犠牲で、計画地は変更された。我々はただの生け贄だったのか。

 一方的な約束だ。しかし、私は何とかしたかった。

 けど……それは仲間を新たな犠牲者に変えただけだった。

 たった一つの旗。そのために。

 今や、私とあの人にしか価値がない旗。そのために。

 だから、今日も決意ができなかった。

「やりましょうよ」

「オレ、命預けます」

 私の都合に、これ以上犠牲は出したくない。

 今日も、何人かが再チャレンジしようと、協力すると言ってきた。アイツと同じ言葉で、笑顔で。

 我々の多くは、死と隣り合わせの危ういロマンティストだ。海の壮大さ。これに魅せられている。そして、義理人情のわかる連中。

「恐れたら、何にもできませんよ」

 そう、それはわかる。

 私だって、過去に何人もの仲間の死に遭遇した。

 しかし、私の都合で死なせたことはない。

 だから……どうすれば。

 そして、潜りたい。潜りたいが……。

 耳に、あの時の仲間の声が。船殻の砕ける音が。まだ、残っている。




》》the middle stage……

「これ、航海の安全に」

 彼女は、幼馴染の私と翔一の前に大きな旗を広げた。

 中央には、『栄えある調査隊に愛を込めて』と縫られていた。

 私も翔一も赤面した。それを見て吹き出す船長や隊員、そして真紀と彼女。

 照れ隠しにこめかみを掻く翔一。その指には彼女と同じ指輪が。安物ではあるが、温かい。

 だから、私は胸に秘めた想いには気付かない振りを決め込んだ。



 汗まみれだった。

 ベットから素早く上体を起こす。息が荒い。

 まただ、またこの夢だ。

 手で顔を覆う。

 地殻・水質調査に出た船。待ち受けていたのは、海底火山。轟音とともに、船は大きく揺らぎ……。

 くそっ、消えてくれ。

 大きく息を吸い込み、出す。

「助かるのは、私だけ。あの時も、今回も」

 生き残ったものは何かを成し遂げていないから。だから神がお召しにならない。私は先達や仲間から、よく聞かされた。

 罪を抱えているから天へ行けないともいう。

 成し遂げていないこと。

罪。

 私が彼女を未だに愛しているから。そのこと自体、罪なのか。翔一がいなくなったことを、密かに喜んでいる自分がいるのか?

 贖罪。それが成し遂げていないこと。それは、過去への踏ん切りをつけること。

 だから私は、彼女に、

「アイツを取り戻してくる。あの日とともに」

 彼女は、うんともすんとも言わない。規則的に胸が上下するだけ。

 あの旗を渡し、彼女には過去を見せ続けてあげたい。私は、それで諦められる。

 けど、仲間が死ぬのは。

 一人でできるなら……。しかし、それは無理だ。



 墓にはすでに先客がいた。

 五十代半ばのはずだが、顔に刻まれたしわは深い。

「おじさん」

「今日は、息子の命日だからね」

 私は、持参した花束を置き、両手を合わせた。同伴している真紀も同様に。

「あれから、二年。早いものだよ」

 彼の視線は墓でもなく、また私たちにでもなく、遠く海のほうへ。

「翔一と海人君。久美さんと真紀さん。四人が揃って海の話を聞きに来ていた頃……最近よく思い出す」

 海には無数の船舶。サルベージ中の船も見える。私は、自分が拳を硬く握っていることに気付き、解いた。

「死んでしまったこと、私は悔やんでいない」

 私は、目を見開いた。真紀も彼を凝視している。そんな視線にも彼は気付いていないようだ。

「いや、悔やんでいるかもしれない。しかし、翔一にはこれでよかったのさ」

「よかった?」

 真紀が、思わずといった感じで問いを漏らす。

 初めて彼は私たちを見やって、頷いた。

「翔一は海が好きだった。いや、恋していた。久美さんもそうだった。だから二人は惹かれたんだろうな」

 私は、胸が痛むのを感じた。

 私は、海が好きだ。しかし、恋……そこまでは。だから、やはり久美は。

 真紀を見た。彼女はどう思っているのか。海に憧れた四人。真紀は? やはり海を愛しているのだろうか。

 真紀は、私の視線に気付くと、表情を曇らせ、顔を背けた。

 彼に視線を戻すと、笑みを浮かべ、言った。

「だから、せめて残った二人は、海を嫌いにならないでほしい。翔一たちの分まで、海を愛してくれ」

 私は、頭を下げていた。真紀も、下げているようだった。

 彼が、そう言えるようになるまで、笑みを浮かべられるようになるまで、どれだけの苦悩があったかはわからない。しかし、若くして息子をなくした彼の苦悩は、私とは比較にならないだろう。

「ねえ、久美のとこへ行かない?」

 墓参りの帰り道、真紀はそう提案した。

 しかし、約束すら果たせていない私に、会う資格があるのだろうか。

 そんな心中を見透かしたのか、真紀はひじで私を小突いて、

「初心忘るべからず。報告してないでしょ、あのときから」

 私は返事ができなかった。あれから、三ヶ月も経つが、まだ行っていない。正確には、行けなかった。

「しかし」

「行かなきゃダメ! アンタ何のために旗取りに潜ったわけ? 何のために仲間の命は失われたわけ? 一人逃げるなんて許されないよ」

 真紀は、私に逡巡することすら許さなかった。

 それでも返事が詰まったのは、何も真紀の剣幕に圧倒されたわけではない。

 泣いて、いたのだ。

 内心舌打ちした。

 真紀だって、辛いはずなのだ。幼馴染を失い。仲間を失っているのは私だけではない。

 それなのに、私は。

 自己嫌悪。だが、真紀にこれ以上辛い思いをさせるわけにはいかない。

 だから、足は久美の下へ向かっていた。




》》》the final stage……

 久美は静かだった。

 一言も話さない。

 胸の規則的な動きと、マスクから聞こえる吸気音。これが、彼女の生きている唯一つの証。

 腕には、機械や点滴から伸びた管が、無数に絡まっている。

 そこに、かすかに見える。色白の肌に浮かぶ傷跡。手首を横切る痕。

「すまない」

 オレは、余りに細くなりすぎた手を握り、謝罪した。

 自分が久美を密かに想っていたこと。

 翔一の死を、一方で喜んだ自分がいたかもしれないこと。

 一方的に約束し、一方的に逃げようとしたこと。

 久美は黙ったままだ。

 私は、許しを請いたいわけではなかった。

 許しを請うぐらいなら、死んだ仲間に詫びたいなら、自分は約束を果たさなくてはいけない。

 それは、わかっているから。

 だから、

「約束、必ず果たす。お前の作った旗。翔一の思い出。持ってくるから」

 手にキス。これぐらい……許してほしい。

 久美の手は、随分と冷たくなっていた。



 真紀は病室の外にいた。

「報告した」

 腕組みし、壁に背を預けたまま、真紀は「そう」と呟いた。

「私は」

 言葉を続けようとしたところ、真紀が手でそれを制した。目には強い意志。何かを決意した目。

「あたしが乗ってあげる」

「え?」

 私は、真紀の言っていることがわからなかったわけではない。調査・回収用の潜水艇は二人乗りだ。

 提案自体も突飛なものではない。真紀もまた海の人間だ。

そして、幼馴染四人組。

 しかし、言葉は何故か疑問を発した。

 真紀は半ば呆気に取られる私の手を握り、

「答えはイエス・オア・ノー。あたしたち四人の仲よ。あたしたちでやりましょうよ」

 私は、真紀の次の言葉にこそ驚いた。

「過去に踏ん切りつけるためにも。あたしたちが……進んでいくためにも」

 真紀も……私と同じだ。

 全ての時は、四人ともに二年前で止まっていたのだ。




》》》》epilogue……

 準備を終え、潜水艇を積んだ母船が海上都市の沖合いに向かう。

 海底火山の活動は沈静化している。

 もちろん、突発的にまた噴火するかもしれない。

 しかし、迷いは吹っ切れている。

 沖合いの潜行ポイントへ向かうまで、私は甲板の上で風に当たっていた。

 気持ちいい風だ。あの時とも、この前とも同じ風。

 進むことは……できると思う。海底に眠る思い出を回収できたならば。

 ふと隣に視線を移した。そこには今回パートナーとなる真紀が、同じように風に当たっていたが、つい先ほど、連絡を受けたとかで通信室へ向かった。

 母船の上を飛ぶカモメが、寂しげに、哀しげに鳴いた気がした。

 真紀が戻ってくる。もうすぐ、潜水艇を降ろす。

 その目から、雫が風に煽られたように見えた。

 まさか……。

 胸騒ぎ。覚悟はしていた、胸騒ぎ。

 真紀は、努めて微笑しているように見えた。

「先へ……進もうね。絶対」

 その姿を見て、胸騒ぎが収まりつつあるのを感じた。だから、私は応えた。微笑で応えなくてはいけない。彼らのためにも。私たちのためにも。

「ああ」

 あの声と音は、もう聞こえなかった。


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