【神意無き死闘】
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「ついてねえな」

 署長に報告書を出した帰り道。朝からの雨は傘の意味を失わせつつあった。腰に下げたサーベルの柄は、革が湿り気を帯び、冷たい。

 明治になって江戸が東京に、故郷が福島になろうが、ここが寒村でなくなるわけでもないし。仕事は楽だが、女郎宿すらなく暇を持て余すばかり。まさに左遷の地だ。

 巡査抜刀隊の頃はよかった。最初にいた東京は何でもあったしな。ここは、どこを見ても田畑しかない。

 と、右手をさりげなく腰の方へ。

「上原鹿野介だな。随分探したぞ」

 雨煙る道の先に木陰から現れたのは一人の女。雨で張り付くのか、髪を鬱陶しげに払った。昔の名を呼ばれたことに緊張する。何だというのだ。同時に蘇るあの感覚。

 正直に名乗る必要はないだろう。相手について何もわからない以上、情報を引き出させるべきだ。

「君は誰だ? 私は警視庁八王子分署警部補、上島幸之助だが。人違いではないのか?」

 問い掛けながら状況を見る。距離は十間少々か。

 女は軽蔑するかのような表情で見据えている。

「名を変えるとは、神罰でも恐れたか。会津から鞍替えした犬め」

 白子袖に緋袴……巫女? ……素早い手つきで(えびら)から出した矢を五本足元に突き刺す。弓とは。厄介な。

だが、巫女から寝返りを怨まれるとはどういう事だ?

「わけのわからんことを。逮捕されたいのか?」

眉をひそめ、不快気に恫喝する。が、相手は声を荒げ、

「敬神党の名を忘れたとは言わせん!」

 敬神党? あ、ああ。ふ、

「ふ、はははは……会津の時代錯誤の馬鹿かと思ったが、よりによって」

 俺は笑いを抑えて、空いた拳を震わせる巫女を見た。

「あの、狂った侍や神官どもの残党か」

 言ってすぐに脇へ飛ぶ。巫女がつがえた矢が宙に舞った傘を貫き、真っ直ぐ後ろへ流れる。鍛えているな。

 感嘆しつつも、相手に対しては肩をすくめ、嘲る。

「はや明治も十五年だ。六年もよく生き延びたもんだな」

「黙れ! 貴様なんかに」

「お前に私の気持ちがわかるか? だろ。大方、歩き巫女でもやりながら食いつないでいたか?」

 侮蔑的な挑発に、相手が羞恥のため震えていることはすぐにわかった。

 あの時は、乱を起こした侍や神官たちも馬鹿だが、政府軍や警官どもも馬鹿だった。神罰など恐れて。おかげで俺は出世できたがな。

 それに、未だにあんなことを引きずるこいつも馬鹿だ。

「手加減はせんぞ」

 サーベルを抜いて、腰を落とす。

 この距離。射てるのはせいぜい三回とみた。

 死ぬか生きるか。久々に楽しめそうだ。

 サーベルは二尺足らず。距離のある今、圧倒的に不利だ。

 雨で道はぬかるんでいる。しかし、足を捕られる危険に構わず、力を下半身に込める。

 巫女が地に刺した矢を引き抜き、つがえる。同時に溜めた力を解放し、疾走の一歩目。二歩目から全力。

 鍵が大量に掛かった真鍮の環を、相手めがけて走る勢いに投げつける。

 飛来する一本目。環に当たり狙いが逸れる。

 正面の巫女は慌てた風もなく、二本目をつがえ、放つ。

 放った瞬間には、俺は足の後ろの蹴り出しを右にずらしていた。頬を掠める。血が雨に流され、顔の左側が紅に染まる。

 距離はあと六間程度。思った瞬間には、相手の手には三本目の矢がつがえてある。

 まだこちらは横に跳んだ体勢から立ち直っていない。

 しかし、走る。

 ぬかるみに足が。そこまでも計算ずくだ。

 水溜りの中に転ぶようにして、前転。矢が背を掠めていくのを感じた。

「いただいた!」

 俺は、叫んで跳ね上がるように起き、サーベルを突き出す。白子袖の中央。顔を上げ確認。そこに一突き……。

 眼前の巫女は、口の端に笑み。その手には……すでに四本目が。

 速い!

 眼前で矢羽が放され。

 肉をえぐる音と、血の臭い。

 

 

 

 目を開けると、水溜りに紅が漂っている。

「く……」

 起き上がり、右肩を押さえた。しばらくは使い物にならないな。

 隣を見た。巫女は目を大きく見開いたまま、大の字で動かない。狙い通り、胸の中央にサーベルは立っていた。

「時の運だ」

 目を閉じさせて呟いた。あの時、再度ぬかるみに足を捕られなければ、俺は眉間を射抜かれていたはずだ。

いい女だ。明治政府は罪作りだな。

「治療と埋葬費。始末書の出し方次第かな。それと……」

 雨音が激しさを増した。俺は自嘲した。

 天には届かなかったかもしれんな。それでもいいさ。


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