突然だが、俺の姉は走り屋である。
自慢のフェアレディZを駆り、街中を颯爽と走っていく。
そんな姉に憧れていて、そして少しだけ心配だった。
「何をそんなに思いつめているんだ?」
「……何でもない」
姉はいつものように俺の肩を叩くと、そのままZに乗り込む。
そして笑顔のままアクセルを踏み、夜の闇に消えていってしまった。
「……見に行ってみるか」
地上にいるのは危険なので、近くのカフェに入って見る事にした。
丁度コース上ではカーブに差し掛かるところで、観戦する人も結構いる。
奇跡的に空いているところに座り、俺は外の風景を見た。
「姉さんも無茶するもんだ」
姉から聞いた情報によれば、コースは長い直線二本で構成されたA、複雑なカーブとやや短めの直線が続くB、大きく右に回った後に道幅の狭い直線を走るCによって構成されている。
どうやってそこを速く走るのだろうか。少し楽しみでもあった。
「スタートしたらしいぞ」
携帯電話をいじっている男性から、そんな声が聞こえてきた。
相手は一体何者なのか。それよりも、姉さんの姿が見たい。
その数分前、私はZに乗って前を見据えていた。
「……心配だけはかけたくないわね」
すると、車に取り付けた無線から相手の声が聞こえる。
〈怖気づいたのか?〉
「いいえ。少し気後れしてるだけよ」
〈しっかし、こんな時代に姉ちゃんもよくやるね〉
「他に楽しい事がないのよ」
道にそって観客は並び、これから始まるレースを楽しみに待っている。
このコースも走り慣れてはきたが、油断する事は出来ない。
そして、今回はきっと弟も見ている。
「……そろそろかしら」
〈生きて帰るぞ〉
「当たり前」
私と相手の車の間に、審判の人が一人立った。
始まる。
〈3、2、1〉
アクセルを思い切り踏んだ。
相手は新型のGT−R。悪くは無い。
長い直線で相手の後ろについた。
車間距離をギリギリまでに詰め、とにかく空気抵抗を減らす。
一歩間違えばフロントは潰れ、私は病院行きになってしまうのだ。
「……」
脳裏に弟のことが浮かぶ。
父親と母親の元から飛び出し、私にずっと付き添ってくれた弟。
迷惑をかけるわけには行かない。早く終わらせなければ。
「そろそろね」
スピードがついた所で、車を相手の横に出した。
目の前に見える直角カーブでブレーキを踏み、後輪を滑らせる。
「……来た!」
相手の前に出た。
もう一本長い直線があり、そこを通過したらB。
早く弟に会いに行こう。そうしたら私も心から安らぐことが出来る。
姉さんが相手を抜いた。
その知らせが俺の耳に入った時、一位でこっちに来る期待と不安が渦巻く。
「……相手がGT−Rならまだわからないぞ」
「直線でのスピードではそっちが勝っている。勝負はCだ」
周りからは口々に、今後のレース展開予想が聞こえてきた。
Zは姉の改造により、カーブ性能は増しているが直線では劣る。
今はただ、無事に戻ってきて欲しいと願うだけだった。
「……姉さん」
頼んでいたアイスカフェオレがやってきた。
ガムシロップを入れ、窓から遠くの光を見る。
徐々に、こちらへ近づいてきていた。
「今夜、一緒にいさせてくれよ……」
車が近づいてくるのを見る度に、不安は増していくばかりだ。
ZはBに差し掛かり、後輪を滑らせて綺麗にカーブを曲がった。
後ろからGT−Rも付いて来て、差はほんの少しずつ開いてくる。
「……Bで大体20メートルね」
次のコーナーでは右にハンドルを切り、左、左、右、右、右、左と曲がった。
徐々に後ろとの距離は離れていき、Cへと入る。
やや長めの直線が見えた。
「ここで……こう!」
ハンドルを右に切り、サイドブレーキを軽く引いた。
直角カーブを綺麗なラインを描き、そして突破する。
その時、近くのカフェから見たことのある人が見えた。
「……嘘?」
私の弟が、そこのカフェにいるのだ。
私の方を見て、物凄く心配そうな顔をしている。
「……」
そして、円状のカーブが見えてきた。
Zが目の前を通過して、俺は不安を確実な物へとした。
「……姉さん」
姉さんは、これで限界なのだ。
しかも、後ろから姉さんの車をGT−Rが追いかけている。
このままだと抜かれる。そう思ったとき、俺の耳に聞きたくない情報が入った。
「おい、Zがレールにぶつかった!」
「何だと?」
周りの人たちも口々に騒ぎ出し、カフェオレを持つ俺の手からは冷や汗が流れる。
姉さんが、ぶつかった。
「おい、それはどこでだ!」
気がつくと俺は、携帯電話を握った男性に思い切り叫んでいた。
「Cの円状カーブ、最初の所だけどどうした?」
「ありがとよ」
俺はそう言うと、カフェの代金を支払って中から飛び出す。
ここからそう遠くない距離のはずだ。自転車を使えば何とか行ける。
呆然とした私の視界に、無残なまでに潰れたZの姿があった。
潰れたのはフロントだけではない。
ドア、バンパー、天井など平面の所は必ず曲がっている。
おかげで外に出ることすらままならない。
「……」
自分の様子さえ知る事が出来なかった。
下半身は何かで挟まれていて、今は取り出すことが出来ない。
ハンドル部分から出たエアバッグの痛みをこらえる事で精一杯だった。
「……ごめん」
目を閉じて、弟の事を考えた。
私が親元を離れる時、弟は私についていくと言った。
それが、いつの間にか私の元気の元であり、唯一の楽しみだった。
「負けね……」
意識が徐々に薄くなっていく。
車なんかに手を出すんじゃなかった、と初めて思った。
このままだと、いずれこの車は火事を起こす。
弟に会いたい。せめて、私が死んでも良いから会いたい。
そして、今まで車に逃げていた事を全部謝りたい。
「……」
見たことのある姿が見えたとき、私の視界は真っ暗になった。
病院のベッドで、姉さんは眠っていた。
まだ、姉さんが目を覚ます気配はない。
俺は姉さんの隣に座り、その手を優しく握った。
「……」
戻ってきてくれ、姉さん。
「綺麗な景色ね」
「姉さんと来るのは初めてか」
「フフ。一緒に来れて嬉しいわ」
「姉さんは、俺のこと……」
「あなたは私の弟。でも、一番大切で、一番好き」
「俺も、姉さんとずっと一緒にいたいよ」
「ありがとう……」 |