戦場に吹く風
陽ノ下光一
海軍基地は炎上していた。夜中ではあったが、燃え盛る炎は、日中と何ら変わることのない光量で基地施設を照らしていた。
「……」
エルトリア帝国上陸軍司令官の一人、帝国近衛兵団の方翼、フレイズ・イワキ長槍騎兵団総長は、無言で馬上から敵兵の屍の山を見つめていた。炎に照らし出される地面は、流血の海と化していた。
イワキへ、一騎近付いてくる者がいた。濃紺色の甲冑を身に纏い、深紅色のマントを羽織り、右手には偃月刀を握っている。
イワキは振り返り、その人物を認めると口を開いた。
「誰も降伏しなかったな……」
「……そうね」
応えた人物の声は、若い女性のものであった。司令官のもう一人で、帝国近衛兵団のもう方翼、スミア・ウィンディ装甲魔術兵団総長である。
イワキは、ウィンディの乗馬に目を落とした。血に染まった布袋が括り付けられている。ウィンディは、視線に気付いたのか、袋に視線を移すと、
「この基地の総大将と言っていたけど」
ウィンディは、総大将の首級に大した喜びも感じないのか、事務的な口調で応えた。ウィンディは、視線をイワキの方へ戻すと、
「ここの確保はどうする? 予定通り?」
「ああ、もちろんだ。本国からの増援軍にやらせる。港湾施設は健在だから、輸送に問題はないはずだ」
エルトリア帝国は、人口四百五十万、兵力六五万を誇る、大陸最強の軍事国家であった。農業・商業・造船・鉱業が盛んで、その経済力は他国の及ぶところではなかった。強大な陸海軍は他国を圧倒しており、十数ヵ国が属国として支配下に置かれていた。歴代皇帝は名君が続き、国力は増大し続け、支配下の国家も自治など満足の行く待遇をされたので、抵抗するよりは臣従し、自国の繁栄を図った。周辺国家も、帝国との同盟を望み、帝国を盟主とした緩い連合体ができあがっていた。
帝国の支配下、影響下にある人口は二千万近くにも及んだ。大規模な戦争は起こらず、帝国の庇護下で各国は平和を享受していた。
しかし、平和は突然崩された。現皇帝エルトリア・ルノウ三世は、領土的野心が強く、かつ戦争好きで、各国が自治を得て自由に内政をするのが気に入らなかった。帝国宰相ルチアノ・ブリュームは、帝国国民を文明人と呼び、外国人は野蛮人共であると公言して憚らなかった。
支配者が変われば国も変わる。専制君主制国家ではなおさらであった。
属国に対する自治権は奪い取り、反対する国家は力でねじ伏せた。潰された国家の兵士は奴隷とされるか処刑された。腕の立つ将軍は剣奴として、闘技場で皇帝の好きな、猛獣との闘いをさせられた。
支配された国には、重税が敷かれ、支配国の国土は荒れていった。怨嗟の声が支配国に響いていた。それが爆発しないはずが無かった。
支配国で反乱が相次いだ。帝国軍は東西奔走し反乱の鎮圧に努めたが、国政が変わらなければ、いくら鎮圧しても反乱が収まるわけがなかった。
同盟国は帝国との同盟を解消し、連合体は消滅した。しかし、帝国の国力は巨大であった。反乱は徹底的に叩き潰され、
支配国の人口は半減する有様であった。
旧同盟国は、帝国の横暴ぶりを黙っていたが、その内の一国、名君メッセネ一世率いるイリリア王国は、反乱を支援することを決定し、旧同盟国に反エルトリア同盟を提唱し包囲網を築いた。旧同盟国も、いつ侵略されるかと怯えているよりは、連携して帝国と戦う道を選んだのである。
ところが、イリリア王国以外は戦争介入に消極的であった。
帝国の軍事力を見せ付けられ、及び腰になっていたのである。
物資援助など間接的な援助に、貿易停止等の経済封鎖は協力するが、軍事援助は戦争準備の整わないのを理由に行なわなかった。それでは、食料も木材や鉄等も自給できる帝国に大した打撃にはならない。
一方帝国は、同盟国の足並みが揃わないのを好機と考え、対岸の大陸国家イリリア王国を叩けば、同盟は自然消滅すると睨み、イリリア王国へ宣戦し、遠征軍を派遣した。
しかし、ここで宰相ブリュームは、
「イリリアは、対岸の山と森に囲まれた野蛮人の国家である。精鋭など派遣する必要もない」
そう言って、大した兵力を派遣しなかった。それが悪かった。
第一、二次遠征軍は、王国海軍に襲われ全滅。一兵も敵地へ足を踏み込めなかった。
無敵と思っていた帝国軍が二回も破れたのである。鎮圧しかかっていた反乱軍は大いに盛り上がった。参戦を渋っていた同盟軍も参戦の気運が高まった。
帝国軍は、もう負ける訳にはいかなかった。
そのため、帝国海軍の全可動艦で以て制海権を握ることが決まった。陸軍も、最精鋭である、近衛兵団五万の全軍を主力として動員。予備兵力として、さらに二十万の兵力を用意した。
ところが、反乱の規模が拡大したため、予備兵力が抽出され、十万弱にまで減少していた。
しかし、嵐で王国海軍が半減していたため、帝国軍は王国艦隊を撃退、制海権を握ると、近衛兵団を上陸させた。
艦隊の荷揚げに必要な海軍基地が上陸地点となり、三千しかいなかった守備隊は抵抗したものの、その抵抗は長続きしなかった。
上陸から五日の間は、大した出来事は無かった。とはいえ、その日までに帝国近衛兵団は約百二十キロ進撃し、二つの城塞都市、三都市、六村落、四の砦を占領した。城塞都市と都市は人口一千人以上。違いは城壁の有無で、村落は一千人未満の集落を指す。その範囲に住んでいた住民は約二万八千人。五千人の捕虜を獲得し、本国へ後送していた。増援八千は占領地の守備に充てられた。さらに、補給部隊一千も到着していた。
イリリア王国陸海軍は、正面切って戦うのを不利と考えたか、その活動は消極的なもので、反撃は散発的であり、大した妨害にはならなかった。
イワキは、接収した富豪の邸宅で、押収した地図を難しい顔をして眺めていた。
イワキは、濃紺色の甲冑とマントを着込み、鋭い何か猛禽類を思わせる目付きに、長い黒髪を後ろで束ねていて、一見無口そうに見え、その物腰には全く隙の伺えない長身の男である。
「難しい顔してるわね」
そこへウィンディがやって来た。ウィンディは住民の宣撫にあたっていたのだ。二人は住民に対する掠奪や虐殺を禁止していた。帝国軍が各地でやっていることだが、それが帝国軍に対する反感になっていることを、二人共分かっていたのである。
ウィンディは、童顔でショートヘアー、無表情。長身のイワキと比べると、頭一つ半程背が低かった。
「とんでもねえとこに攻め込んだな。ここから首都に向かうには……」
イワキは地図を指でなぞりながら説明をし始めた。
「この都市の北にある山岳地帯を通るんだが、最短でも十の山を越えることになる。そして、一部の軍道を抜かすと、深い森林地帯だ。そして、西は川と峡谷……その先は高山だ。東は海だが断崖絶壁」
「西も東も進めないなら……北しかないわね」
「常識で考えたら……伏兵がいるさ」
ウィンディは表情一つ変えずに、腕組みしている内の右手の人差し指で肩を叩きながら考えに耽った。
「撤退許可でも取る?」
「冗談か? 本国の石頭が聞いてくれると?」
肩をすくめ、僅かに皮肉な笑みを浮かべるイワキに、ウィンディはまた表情を変えることなく、
「冗談よ」
「……まあ、ともかくだ。進撃する手を考えよう」
「提案なら……無いこともないわ」
イワキ自身、考えはあった。だが、それは半日近く地図を見ていて閃いたものだった。まだ入手した地図を見てもいなかったウィンディに策があったことには驚かされた。ウィンディはそんな心情を知ってか知らずか、自分の策を話しだした。
「軍道に土塁を築きながら進撃するのよ。そうね、半日の行軍で一つ位かしら。周りの山岳から挟まれて土塁が取られないように、それぞれに、堀か障害物を巡らせてね。一つにつき増援軍を一千づつ配備する」
「万一、伏兵がいたらそこへ退却。土塁を使って敵の急追を防げば被害は小さくて済むし、俺達が包囲されても援軍が来て血路は開ける」
イワキはそう続けて、ウィンディに視線を向けると、口の端に笑みを浮かべた。考えていたことは同じだったらしい。
「……なら、資材を集めましょう。それまではここで部下に休養を取らせればいいし」
夕方、ウィンディは部屋へ戻ってきた。もちろん自宅のではない。接収した富豪の邸宅の一室である。ウィンディはそこを寝室として利用していた。
部屋へ戻ると甲冑を脱ぎ、麻布から作られた服にズボンという、いわゆる平民服といった出立ちで椅子に腰掛け、本を読んでいた。中身は『魔法剣士の戦術』である。
甲冑を着込んでいる時は分からないが、かなりスタイルのいい美人であった。
そこへ、ノックもせず、こちらも平民服を着たイワキが入ってきた。そして、部屋の隅にあった椅子を勝手に持ち出し、ウィンディとテーブルを挟んで向かいに座った。ウィンディは本を閉じ、私物用の木箱に戻すが、勝手に入ってきた行為に対して何も言わない。ウィンディが再び椅子に座ると、イワキが最初に口を開いた。
「しっかし、くだらねえよな。こんな遠征」
「……」
「全く……よりにもよって災難だぜ。さんざん周りに戦争仕掛けといて、ひでえことばかりしてきたから、今こうなってんじゃねえか」
「……」
「いつも戦争の度ごとに、神の意志だとかぬかしてよ。結局は他人の領土が欲しいだけなのによ」
「……」
ウィンディは黙ってイワキを見ている。イワキの愚痴混じりの毒舌はさらに続いた。
「ついこの前までは国を南に広げて、今度は北の対岸だ。一体どこまで領土を拡大する気なのかね? 世界でも征服する気でいるのかね? 我が賢明な皇帝陛下は」
「……」
誰かに聞かれたら身を破滅させそうな発言だが、ウィンディは表情を少しも変えずに話を聞いていた。
「どれだけの兵士に血を流させれば気が済むんだか」
「……」
ウィンディは寡黙な人物であった。イワキも外見はそう見えるが、こちらは実際には饒舌家であった。
「今回は、騎兵団と魔剣士団の総長まで指名してきやがった。近衛兵団の両翼を出さなきゃなんないなんて……他にも兵団はいるだろうによ」
「……」
「そこまで予備兵力が減ってんなら、戦争なんて止めりゃあいいんだ」
「そうね」
イワキの率直なまでの言葉にウィンディは頷いた。イワキが言っているのは単なる愚痴の類ではなかったのだ。正鵠を射ているものであった。
イワキとウィンディは、重職にある身としてはかなり若かった。平均寿命五十代という時代でも、それぞれ二十五才と二十三才の若さで、近衛兵団の両翼を担う帝国最強精鋭の軍団総長に収まっているのは異例であった。また、それだけ両名が優秀であることの証左でもあった。
それだけの若さで最強軍団の総長という地位に就いた二人は、当然のことながら、他の同僚や熟年の軍人からの嫉妬を買ってもいた。共に上層部で孤立していた二人は、若い者同士ということもあり、性格は正反対だが不思議と気が合った。
二人が初めて会ったのは、二ヵ月程前のことだった。その時はちょうど、第二次遠征が失敗に終わり、第三次遠征に近衛兵団を出すのが決まった頃だった。
前任の軍団総長が病死したため、新しく総長に任じられたのがウィンディであった。
イワキが軍団編成等の作戦の打ち合せに、ウィンディの邸宅を訪れたのが、二人の出会いであった。
ウィンディの自室は、本棚とグラスの入った棚、衣類棚、それに小さなテーブルと数個の椅子。ベットがあるだけの、よく言えば質素、悪く言えば何も無い殺風景な部屋であった。
自室に通されたイワキを認めると、ウィンディは読んでいた本を棚に戻し、部屋の隅から椅子を出して掛けるように勧めた。
テーブルに向かい合った二人は、軍事的なことについての会話を幾つか交わした。イワキは部屋を出る前に、床に置いておいた木箱を指すと、
「あ、それ宮廷の貯蔵庫から持ってきた酒だ。お祝いにやるよ」
持ってきたというのは正しくない。正確には、無理矢理取ってきた、というのが正しい。
「……そう、ありがとう」
ウィンディが余りに無表情で、事務的にしか話さないので、イワキは居づらい雰囲気を感じて、苦笑いを浮かべ、手を振りながら部屋を出ていった。
その日の夜、イワキは首都の東外れにある丘で風に当たっていた。この丘で風に当たって星をみるのが好きだったのだ。
仰向けになって夜空を見ると、空が自分を押し潰しそうな感覚にとらわれる。その感覚も好きだった。
「……誰かいるのか?」
イワキは仰向けの態勢で星空を見上げたまま、微かに感じた気配の主にそう言った。その気配は何も答えず、近付いてくる。殺気は感じられないので、誰かが散歩でもしているのかと思ったが、何も応えが無いので聞き返す。
「散歩か?」
気配は何も答えない。仰向けになっているイワキの間近くにまで歩を進めると、そこで止まった。仰向けで空を見上げているイワキの視界に、その人物が入った。
「よお、無口の嬢ちゃん」
「……」
ウィンディは表情一つ変えず、イワキの脇に座り込んで、夜空を眺めだした。適当に短く切っただけの髪が、夜風になびいている。
「夜更けに嬢ちゃん一人で散歩とは、感心しねえな」
「……」
イワキは意地の悪い笑みを浮かべた。ウィンディは膝を抱えて座り込んだまま、夜空を見上げている。
よく見ると結構カワイイじゃねえか。などと、イワキはウィンディの横顔を見ながら思った。
「……散歩しないと」
「え?」
イワキは、僅かに不純なことを考えていたせいか、一瞬ドキリとさせられた。
「……この星空が見れないの」
「……家で見りゃあイイじゃねえか」
ウィンディは首を横に振り、自分も仰向けになると、
「部屋の中から、この感覚が味わえる?」
ウィンディの横顔は、相変わらず無表情だったが、どことなく機嫌が良さそうにも見えた。
イワキは吹いてきた風に、気持ち良さそうな笑みを浮かべ、
「味わえねえよな、これは」
「そう……感じるでしょう」
ウィンディは、目をつぶって気持ち良さそうにしている。
「……大空に吸い込まれそうって言うのかしら? こういう感覚は」
「なんだ、話せるじゃねえか」
「……余計なことは、話さないだけ」
「この会話は余計じゃねえの?」
言った後で、イワキは皮肉に感じられたかなと思った。ウィンディは黙っている。そのまま数分間。目をつぶって、静かにしているので、もしかして寝てるのかとイワキが思いだした頃。
「……余計とは……思えなかったのかしら? よくは……分からない」
イワキはその言葉を聞くと、なぜかは分からないが、満足気な笑みを浮かべた。
「余計じゃなかったんだよ」
ウィンディは、そこで初めてイワキの方を向く。イワキはウィンディの方を見ていたから、目が合う。イワキはその瞬間、胸の鼓動が早くなったのを感じた。
「そうね、余計じゃなかった」
イワキは、初対面の夜の出来事以来、ウィンディを気に入ったらしく、仕事以外でもよく会っていた。ウィンディも、無口ではあったが、イワキに好印象を持ったらしく、暇があれば、狩りや酒に付き合った。イワキが饒舌で、ウィンディが寡黙ということもあり、こうしてウィンディが愚痴を聞いているということもしばしばであった。
「ま、今更何を言っても始まらないわ。もう敵地にいるんだから」
「そうなんだけどよ……」
「誰かが暗殺でもしてくれたらね……。戦争も終わるわよ」
誰をという言葉が抜けてはいるが、それが誰かぐらいはイワキにも分かる。帝国宰相と皇帝に決まっている。
イワキは思わず笑みをこぼした。
「違いねえ。……にしてもイイ性格してるよ」
「……」
「ウィンディ。オレが首都の宮殿貯蔵庫から拝借してきた酒。持ってきてるか?」
「……」
ウィンディはコクリと頷くと、自分の私物の入った数個の木箱に目線を向けた。その酒は、遠征に出る前日、宮殿貯蔵庫から取ってきたものである。もちろん無許可。
イワキはそれを確認すると立ち上がったが、ウィンディはグラスの入った棚の方を指差すと、自分は私物入れの木箱に向かった。さすがに自分の私物をいじられるのは嫌らしい。
イワキは戸棚の方からグラスを二つ持ってきた。ウィンディは酒の入っているらしい木箱を開けると、そこから酒瓶を二本持ち出してきた。
「今夜は付き合ってもらうぜ」
ウィンディは少々口の端をゆるめた。イワキは僅かに動揺したが……。
「そうね。一杯だけなら」
ウィンディは頬を少し赤らめて、テーブルに突っ伏し、静かな寝息を立てていた。イワキは部屋のベットから毛布を持ってきて、背中に掛けてやった。
「……」
イワキはまだ酒を飲んでいた。テーブルの上と下には一ダース程の酒瓶が開けられていた。
「あんまり強くねえのに、無理して飲むんだよな」
イワキはそう言い、グラスの中身を飲み干した。イワキは相当酒に強い。悪酔いもしない。逆に、ウィンディは酒にそれ程強くはない。しかし、飲んでも普段通り。無口・無表情。そして酔い潰れて寝てしまう。その寝顔は可愛いものであった。その顔を見やりつつ、イワキが酒を飲み続ける。これがいつものパターンであった。
互いに独り者の男女が部屋で二人きりで酒を酌み交わす。そのような中でぐっすりと寝てしまえるまで飲めるのだから、イワキは相当に信頼されているのだろう。
イワキはウィンディといると不思議な気分になる。愛想も何も無い女ではあったが。イワキは親友にその事を話したことがあったが、その時に、『それが健全な若い男の証だ。がっはっは!』などと笑われたものだ。
イワキは窓の外に目を向けた。邸宅の塀の向こうに街の明かりが見える。夜ともあって繁華街が一際明るく見えた。夜の酒場は昼間の労働に疲れた職人達が押し寄せ、自分の腕や女房を自慢しあっている。
「……敵地とは思えねえな」
イワキは正直な感想を呟いた。しばらく街の灯を眺めていると、ウィンディが何か言っているのが耳に入った。
「……」
振り返ったが、ウィンディは寝息を立てていた。寝言だったらしい。何を言っていたのか興味を持ちつつ、また何か言わないだろうかと思い、イワキはグラスに酒を注いだ。
イワキとウィンディが作戦のための資材を集めている六日間、要請通り、援軍も食料や装備も届いていた。予定以上に集まっていて、その把握に手間取る位であった。それだけ政府が本腰を入れていることの証左でもあった。
制海権が完全に帝国の手中にあったため、全ての輸送作戦は順調であった。
しかしその頃、海軍部隊は蜂の巣を突いたように大騒ぎとなっていた。本国の寄港地が奇襲されたというのだ。損害は軽微であったが、勝利に酔っていた彼らの肝を冷やすには十分であった。
彼らは、警戒用の艦隊も編成していたが、ちょうど天候不順となる秋であったため、悪天候に阻まれ敵艦隊を発見できなかった。その中で、警戒部隊は全滅させられていたのである。
そのため、敵情報に接することのできない主力艦隊は焦っていた。その中へ、本国に王国軍一万が上陸したという情報が入った。情報は、敵上陸から三日も経ってから届いた。
敵艦隊が近くにいると考えた司令官は、海軍艦艇の集結を命じた。この時にようやく、警戒部隊の全滅に気付いたのである。
その半日後、敵上陸軍が撤退したという情報に接し、兵を回収した船団が付近を航行すると考え、決戦を挑むため、敵の発見に努めた。
船団は、その日の夜半過ぎになって発見された。多くの輸送船を含んでいたので、司令官は護衛艦の殲滅を命じ、輸送船団を捕獲する気でいた。そこへ、輸送船が突っ込んできた。司令官は、衝突を回避するため、一旦輸送船団と逆走し、艦隊を輸送船団の背後に回そうとした。それが輸送船ならば、別に悪い判断ではなかった。
ところが、それが敵海軍の罠だった。輸送船団は、逆走する帝国艦隊を上手く包囲した。直後、輸送船団は火に包まれた。油を満載した火炎船だったのである。包囲された主力艦隊は全艦火に包まれ全滅した。
生き残った艦隊は、背後から現われた王国軍主力艦隊に壊滅させられた。
帝国軍は制海権を喪失したのである。
「なあ……魔法使って山吹っ飛ばすとか、空から移動するとかってできねえのか?」
イワキは、隣を進むウィンディに、そんなことを聞いていた。進撃四日目になるが、険しい山道を進むのはやはり容易ではなかった。ただ、全ての山が険しいわけではなく、丘のような所もあるし、山々の間には盆地もある。軍道も、軍隊の通行がどうにか出来る所よりは、幅二十メートルを越すような広い軍道が多い。イリリア王国が、通行の便を良くするため拡張工事でもしたのだろう。
「……魔法は何でもできるものじゃないわ」
イワキは不思議そうな顔をしている。
「それじゃあ、弓兵と余り変わらねえじゃん。ま、弓兵と比べもんになんない位強いけど」
「……魔法にも制約はあるの」
ウィンディは、一旦言葉を切り、空を見上げた。
「話すと長くなるけど……」
ウィンディは、イワキに非常に簡単に説明をした。
現在、人間が使用しているのは、火・水・風・土の四属性に属する魔法。それ以外にもあるかもしれないが、発見されていない。火と水、風と土はお互いの威力を相殺する。ウィンディ自身がよく使う雷撃系列の魔術は、風の属性に入る。
魔術を使えるようになるかは、魔術理論を習う必要もあるが、生れつきの才能も必要で、キャパシティ……この場では、その人物が持つ魔力、つまり、炎などを生み出す精神力の容量がなければ、いくら訓練しても魔術は使えず、これは努力でどうにかなるものではない。実際、それで魔術師になるのを諦める者も多い。
キャパシティの大きさは、そのまま魔術の威力、使用回数に比例してくる。人間一人のキャパシティでは、威力にも相当制限があり、山一つを吹き飛ばすなどというのは不可能である。
キャパシティの制限を補うのが、複数の魔術師が魔力を合一させる共同魔術だが、それも、魔術師間の相性か、それとも相互のキャパシティの問題かは不明だが、組合せによっては魔術を発動させられないという。
空の移動は、殆ど不可能。飛ぼうとすると、できたとしても、あっという間に魔力が底を突いて、しばらく休養しないと魔術が使用できなくなる。ウィンディも試したことはあるが、十秒と保たなかったという。
数百年も昔には、共同魔法で一都市を壊滅させる等ということも行なわれていたらしいが、その応酬は、各国の不利益にしかならず、占領した地域が焦土となっては意味もないので、国際的な条約で禁止されている。魔術により、要人を暗殺するのも同じだ。
この条約は、数百年経っても履行され続けている。お互いに報復を恐れているからだ。
魔術は、本人の精神状態にも深く関わってくる。術者の精神が何らかの要因で不安定だと、魔術も上手く発動しない。ウィンディのように女性であれば、月に一度、発動させづらい時もある。
どうして魔術が発動するのか、それについての詳しいことは分かっていない。ただ、こうすればいいなどの理論はいつの頃からか伝わってきている。
「……というわけ」
ウィンディが説明を終えると、イワキは驚いた面持ちでウィンディを見ていた。
「なんか……よく飲み込めねえけど、すげえというのは分かったよ。しかし、そんなよく分かってもいねえ代物をよく使えるよ」
「そうね、その点は我ながら恐ろしいわ」
ウィンディはコクリと頷いた。
「使ってる人間に影響ってあんのか?」
「……さあ」
ウィンディがそう言うと、イワキは意地の悪い笑みを浮かべ、
「普通の人間より、老けるのが早いとか」
ウィンディは無表情のままイワキの方を向いた。そのままイワキと目を合わせ続ける。文句を言っているつもりなのかもしれない。表情一つ変えずに、ずっと目を合わせられるのは辛く、イワキが先に目を逸らした。その時である。
「っ痛!……」
ウィンディは、偃月刀の底部で思いっきりイワキの足の甲を打ち付けた。そして、馬の歩を少し早くさせ、隊列のさらに前に出ていった。
その時、僅かにイワキに聞こえるような小声で一言。
「馬鹿」
首都への進撃開始から四日目の夜、帝国主力艦隊が壊滅した。
そんなことは露知らず、イワキ・ウィンディ両軍団は順調に進撃を続けていた。途中、山岳地帯に潜んでいた王国軍に攻撃されたが、土塁がその攻撃をよく防いでいた。背後からの奇襲にも、援軍が土塁から出撃するため、大した犠牲も出していなかった。
その日の夜に、土塁を築き終えた軍団は、その中で休息を取った。イワキ達は、決して無理な進撃はさせない。山越えは疲れるし、夜、道に不案内な軍団が、地の利を活かして敵に襲われてはたまらないからだ。
イワキとウィンディは、その夜同じ幕舎で酒を酌み交わし、歓談に耽っていた。それぞれの幕舎はあるが、作戦の打ち合せに、ウィンディがイワキの幕舎へ来ていたのだ。
ここまでに、三つの山を越えたが、その進撃は決して容易ではなく、軍団は相当疲れ切っていた。それは、二人も同様であった。
作戦の打ち合せの後、酒を飲もうということになった。ウィンディは最初無言だったが、イワキが昼間の発言を謝ると、
『別に……気にしてないわ。まあ、私もやりすぎたし』と言って話しだした。やりすぎた、というのは偃月刀の底部で打ち付けたことだろう。
二人共、相当疲れていることもあり、酒に強くないウィンディはもちろんのこと、酒に強いイワキもすぐに酔いが回りだし、酒が入らなくなった。
「ふう……やっぱ相当こたえてんな、これは」
「これ以上は入らないかしら?」
イワキは笑いながら手を振った。
「ああ、もう飲めねえよ」
そう応えた時、ウィンディがクスリと笑ったのをイワキは見逃さなかった。
「……おめえ、笑顔の方が似合ってるよ」
「そう? ありがと」
ウィンディは頬杖をついて、にっこり微笑んだ。
「……酔ってるのかもね」
イワキは少しの間沈黙していたが、
「なら……ずっと酔っててほしいよ。おめえのその顔見れるからな」
「……」
ウィンディの顔は、酔いのため赤くなっていたが、その赤さは酔いのためだけだろうかと考えている事自体、イワキはウィンディに惚れていたのかもしれない。
「プロポーズかしら?」
「え?」
イワキは言われたことが咄嗟に理解できず、混乱し、手にしていたグラスも落としてしまった。その様子が余りに面白かったのか、ウィンディは口元を手で覆い、笑い声を噛み殺している。目元には涙を滲ませていた。イワキは、ここまでウィンディが笑っているのを見たのは初めてであった。ウィンディ自身、物心ついてからここまで笑ったのは初めてであった。
「それもいいかもね。考えておくわ」
ウィンディは、それまで人に見せたことのない極上の笑みを浮かべていた。ランプに照らし出されているその表情に、イワキは一瞬、飛び掛かりたくなる衝動を感じた。イワキは理性を働かせ、首を何度も振り、その衝動を追い出すのに努めた。
その様子を見ていたウィンディは、思わず吹き出した。
「変なの」
帝国近衛兵団五万は、その後も順調に兵を進めていた。七日目の時点で五箇所の山を越えていた。首都までの行程は半分になっていた。
この時点で帝国軍が展開していた兵力は、イワキ達の近衛兵団が五万、彼らの進路に築かれた土塁の一つ一つの守備隊が約一千で、合計が約一万二千。補給部隊一千。その他守備隊一万弱である。海軍が壊滅したため、それ以上の増援は無かった。しかし、上陸部隊の誰一人、海軍の壊滅を考えるものはいなかった。嵐で動けないのだろうと位にしか考えなかった。
「あと半分だな」
「そうね」
応えるウィンディの声は、やや疲れているように聞こえた。
ただ山越えをしているのならばともかく、奇襲を掛けてくる敵軍を撃退しながらの行軍である。昼夜を問わない攻撃に、帝国軍は限界に近い程疲れ果てていた。行軍の速度も遅くなってきている。
「そろそろ、兵団に休養を取らせないと、敵が出てきた時に対処できないわ」
「そうだな。今夜、土塁を築いたら、そこで一日休養させよう」
イワキはウィンディの横顔を盗み見た。普段通りに無表情だが、顔は青ざめ、汗の玉がびっしりと浮かんでいる。その右頬には真新しい傷跡がついていた。昨夜、敵の長刀で薙がれた跡である。
その夜戦は、完全な奇襲となり、かなりの激戦になった。
六日目の夕方、五つ目の山を越えたので、そこに土塁を築いて夜を過ごすことになった。
後方から一千の兵が、木材や土嚢等の建設資材を運んできて、さっそく建設作業が始まった。近衛兵団も建設を手伝ったのは言うまでもない。
日が完全に落ちた頃、風が強くなりだし、雨も降りだした。
イワキとウィンディは一部の兵を連れて、山の麓の盆地にまで進出した。警戒のためである。進出したとはいっても、ほんの一キロ程度であるが。
「おい、雨が強くなってきたぞ」
イワキは、傍らを進むウィンディにそう言った。イワキはいつもの長槍ではなく、乱戦になった時に使用する一メートル強の槍を装備している。
「そうね。しかし……」
ウィンディは辺りを見回した。盆地は軍道以外は森林地帯であった。どこにでも敵がいそうな気にさせられる。
「……」
ウィンディは肘でイワキを突いた。
「何だ?」
ウィンディは馬上でうまくイワキの方に身を乗り出した。
「……何かいる気がするんだけど」
雨がさらに強くなりだす。イワキはよく聞こえなかったらしく、身を乗り出していたウィンディの方へ、耳を近付けた。
ウィンディは手で口の回りを囲い、声がよく聞こえるようにする。
「だから、何かいる気がするの」
「まあ、森林に伏兵するなんて誰でも考えるよな」
イワキは、左右の森林に視線を向けた。
「いる気がする……というより、確信に近いんだけど」
「……って言ってもなあ」
いくら目を凝らしても、敵らしい姿は映らない。気配を探ろうにも、雨音が大きくて分からない。
「引き返そうよ」
「まだ土塁は完成してないと思うぞ」
「嫌な予感がするの」
「と言ってもなあ」
警戒に来た部隊が、嫌な予感がするから帰ってきました。では軍人として話にもならない。イワキは腕組みして思案顔になった。
「引き返そう」
「うーん……」
ウィンディが再度言うが、イワキは素直に頷けなかった。別に会敵したわけではないのだから。
「……って、おい!」
ウィンディは両手で、イワキの左腕を引っ張った。イワキが抗議の声を上げるが、手を離そうとはしない。
「引き返そうよ!」
ウィンディはかなり強い口調で三たび言った。普段、感情を露にしないだけに、イワキは驚いた感じと共に、新鮮な感じも覚えた。
イワキには、その表情が、だだをこねる子どものように映ったが、それを言ってもウィンディは否定しただろう。
「ねえ!」
「分かった。引き返すか」
ウィンディが再び強い口調で何か言いだす前に、イワキはウィンディの提案を承諾した。ウィンディは一瞬だけきょとんとしていたが、すぐに無表情に戻って、急いで手を解いた。
ウィンディはイワキから目線を逸らしていた。なんとなく赤くなっているように見えるのは気のせいかと、イワキは思った。
「お前も、強い口調になる時あるんだ」
「別に……私だって感情は持ってるの」
イワキは馬を返して、元来た道を引き返し始めた。ウィンディは無言で付いてくる。
その引き始めた時だった。
各所で兵が突然倒れた。主人を失った馬がそこに残される。
「何だ?」
次の瞬間、イワキは右の森を向いて槍を回した。何かの感触が伝わってくる。
「矢だ!」
イワキは、矢が飛んできていることに気付いた。雨の音で、矢の飛来音が掻き消されていたのだ。暗くてどこから飛んできてるのかも把握しきれない。
「……くっ」
ウィンディに向かって、数本の矢が飛来する。なんとか凌いではいたが、これでは解決にならない。敵がどこにいるか把握できなければ、魔術を使っても無駄になりかねない。連戦で疲れていることもあり、無駄に魔力を消耗したいとは思わなかった。
その軍道は、幅が十メートル強程あった。軍道を逸れるとすぐ森林になっている。そこを一千名の兵士が通っていた。
「うっ!」
ウィンディは偃月刀で、飛来した槍を叩き落とした。次の瞬間、左右の森から歩兵が一斉に躍り出た。矢と槍が飛来した直後で、下から槍を突き上げる歩兵のいきなりの出現に、一瞬軍団の反応が遅れた。
ウィンディは十名程の歩兵に躍り掛かられた。一斉に槍が繰り出される。内、何撃かは、乗馬を突き刺し、馬が倒れたためウィンディは地面に叩きつけられた。
そこを、すかさず歩兵が攻撃してくる。ウィンディは偃月刀を振り回して凌ごうとしたが、座り込んだままの姿勢では防ぐのは難しい。
「近寄るな!」
ウィンディは、必死で歩兵の槍や長刀、剣を凌いでいた。ウィンディの目には、敵が自分をいたぶって楽しんでいるように映った。
『女のくせに』
『強がんなよ。恐いんだろう』
『近寄るな? カワイイねえ』
ウィンディには、そんな声が聞こえてくる気がした。男尊女卑の時代である。ウィンディは中傷を受けることは多かったが、却ってそのことで、無口・無感情の傾向に拍車がかかったことには、ウィンディ自身気付いていなかった。しかし、元々繊細なウィンディの心は、相当傷ついていた。
「女だからって……なめないでよ」
ウィンディは、すさまじいまでの殺気をその目に宿した。歩兵達が一瞬怯む。その間に立ち上がり、偃月刀を振るった。
正面の歩兵が首と胴を分断されると、歩兵達は再び攻撃に転じた。
「死になさいよ!」
ウィンディは偃月刀を振るい、後の歩兵を牽制すると、即座に前方の歩兵を薙ぎ払った。まとめて二人の歩兵を討ち取る。
「……」
ウィンディは無言で歩兵を睨み付け、次々に薙いでいく。歩兵はその異状な殺気に押されていた。
「ウィンディ。後だ!」
「え?」
ウィンディはイワキの声で我に返った。後を向いた瞬間、歩兵の長刀が襲いかかった。冷静さを失っていて、接近に気付かなかったらしい。
「……っ!」
ウィンディは思わず尻餅をついたが、おかげで攻撃は完全には決まらなかった。
ウィンディは、思わず頬に手をやった。その手を見ると、血がべったりと付いている。頬を薙がれたとウィンディは認識した。
ドスッ、という鈍い音と共に、自分の目の前に歩兵が崩れ落ちる。
「馬鹿野郎! なにボーッとしてやがんだ!」
「え? え?」
イワキは舌打ちすると、槍でウィンディに群がっている歩兵を串刺しにして回った。
ウィンディは、尻餅をついたままなぜか動かなかった。いや、本人は動くことが出来なかった。我に返った直後から、金縛りにあったように自由に身体が動かない。
しばらく、ウィンディは雨に打たれていた。動こうともしないその姿は、敵にとっては格好の的だったはずだが、イワキが一兵も近寄らせなかった。
敵は少数兵による威力偵察だったらしく、まもなく引き返していった。帝国軍も、混戦のわりには、大した犠牲者を出していなかった。
「……」
イワキは馬を降りると、無言でウィンディに近付いた。ウィンディはまだ座り込んで地面を見ている。
イワキはウィンディの前でしゃがみこみ、肩を掴んで揺すった。
「おい、しっかりしろよ! いつまで座りこんでんだ」
「……あ、あれ」
ウィンディは、現状が把握できていないらしい。
「突然大声上げて、敵に突っ込んでいったと思ったら、今度は動かなくなって……一体どうしたんだよ?」
ウィンディの表情は、いつもの無表情ではなかった。かなり動転しているのが、手に取るように分かる。
イワキはその様子を見て、引き返して気が落ち着くのを待ったほうがいいなと考えた。
「とにかく引き上げよう。おい、誰か馬をもってこい」
兵の一人が、主人を失った馬を一頭連れてくる。イワキは、ウィンディを抱えるようにして起き上がらせた。
「ほら、乗れよ」
「……」
ウィンディはうつむき加減のまま頷くと、馬に乗った。イワキも馬に乗る。
「よし。引き上げるぞ!」
イワキが槍を高く掲げそう叫び、馬を進めると、兵達も付いてくる。ウィンディは無表情に戻っていたが、かなり落ち込んでいるらしく、俯いたままイワキの傍らで馬を進めていた。
「……ごめん」
雨は上がり始めていたので、その小声はイワキの耳に入った。
「私……本当は弱いから」
「……十分強えよ」
ウィンディは俯いたまま、首を横に振る。
「腕じゃなくて……」
「心も十分強えだろ」
イワキは正直にそう思っていた。男尊女卑の時代に、皇室の血を引くとはいえ、軍人として最高位に近いところにいることが、どれだけ回りからの反感を買っているか、そもそも、軍に入った時点で相当疎ましがられたに違いない。それに耐えることがどれだけ辛いことかは、想像を絶するものがあっただろう。
ウィンディはそれでも首を横に振った。
「総長失格かな……」
「考えすぎだ」
「……」
「お前は、間違いなく軍人としての才能あるよ。オレよりもね」
「そんなこと……ない」
イワキは、ウィンディの頭を軽く小突いた。ウィンディは顔を上げてイワキに視線を向ける。無表情だが、目が微かに赤く見えた。
「自身持てよ。女がどうのとぬかす奴らより、お前のほうがよっぽどすごいと、オレは思う」
「……」
「それにだ……人間誰でも弱いところはあるよ。お前の場合、悩みとか全部抱え込んでそうだからな。感情剥出しにして、憂さ晴らししねえとまいっちまうぞ。……オレでよければ、いつでも愚痴聞いてやるしよ」
ウィンディは無言でイワキを見つめていた。イワキは言った後で照れ臭くなったのか、目を逸らして鼻先を指で掻きだす。
「そう言ってくれた人……初めて。……優しいんだね」
「え? あー……別に優しいとか……なんとかじゃなくて……えーと、なんだ……」
イワキは、ますます照れ臭くなったらしく、出る言葉が、うまく言葉になっていない。
ウィンディは、ほんの一瞬だが笑みを浮かべた。
「やっぱり、優しいよ」
「なあ」
イワキが声を掛けると、ウィンディは無言で振り向いた。
「そのよう……顔に傷ついちったな」
「……気にしてないわ」
ウィンディは再び、前方に視線を戻した。そのまま両者共しばらく沈黙が続いたが、二、三分経った時、
「でも……ありがとう」
「え? 何だって?」
その声は余りに小さかったため、軍馬の闊歩する音に掻き消されてしまった。
ウィンディは首を振ると、
「何でもない」
「いや……そうでもなさそうだ」
イワキは険しい顔つきになった。
「……そうみたいね」
ウィンディは偃月刀の柄を握り締め、軍道を挟む山々を凝視した。上官の様子を見た部下達も臨戦態勢をとった。
その時、山々に銅鑼や鐘、笛の音が鳴り響いた。地を揺るがさんばかりの喊声が上がり、帝国軍のいる盆地を挟み込んでいる山からは、歩兵と魔術部隊が、正面の軍道からは騎馬部隊が一斉に躍り出た。
「挟み込まれたぞ!」
イワキは後を振り返った。背後からも砂塵が立ち上がるのが見えた。包囲されたのである。
「我が装甲魔術兵団は、敵歩兵と魔術師を攻撃せよ」
装甲魔術兵団は、いわゆる魔法剣士の軍団であり、白兵戦も、中遠距離の魔術戦もこなす万能部隊であった。それが、二手に別れて、山を下ってくる敵兵を迎え撃つ。
「長槍騎兵団は、前後から迫る敵騎兵を攻撃せよ」
長槍騎兵団は、その名の通り、騎馬に跨がり、長槍でもって突進し、敵を突き崩す兵科である。騎兵はそれまで、幾つかの隊列を組んで独自に突撃をしていたが、イワキは重装歩兵のファランクス……密集体系を取り入れ、騎兵版ファランクスを確立していた。三メートルもある槍を前方に突き出したまま、横一列に並んだ騎兵をさらに後方に三列組み、一斉に突撃するのである。兵と馬は装甲を身に纏い、敵の飛び道具と魔術攻撃から身を守らせた。敵が歩兵や騎兵であれば、一方的な戦闘が展開できた。ただ、混戦の場合は、一メートル強の通常の槍で戦うのだが。
雨のような矢が、矢独特の音を奏でながら飛来する。その大半は、装甲に身を包んだ両軍団には大した打撃を与えられなかった。
続いて、雷撃系の魔術が降り注ぐ。さすがに、特殊加工を施し、魔術対策がとられた甲冑を着込んでいても、まともに食らえば、人間を消し炭に変えてしまう攻撃である。複数の雷撃を集中された兵士は、鎧が無事でも、中の人間が無事では済まなかった。
「……炎よ、矢となれ!」
ウィンディは偃月刀で敵を薙ぎ倒すと同時に、すでに唱えていた術を、その後方にいた魔術師へと発動させた。発動の際、言葉を発するのは、イメージを具現化する手助けとするためで、必ずしも言う必要はない。
術の威力は、術者の魔力によるところが大きい。そして、ウィンディは一流の魔術師に匹敵する魔力を持っていた。
炎の矢を食らった魔術師は、特殊加工のローブを着込んでいたが、威力を掻き消しきれずに消し炭になった。
「!」
ウィンディは背中に大きな衝撃を感じた。振り返りざまに、前方の敵に用意していた雷撃を放つ。本調子のウィンディが放つ雷撃は、半径三メートルの敵兵を殺傷する位の威力があるが、衝撃で精神を少々乱されたため、雷撃の奔流が現われたわけではなかった。しかし、食らった魔術師は地面を転がり回って痙攣していた。腰の辺りに隠していた小型ナイフを投げて止めを刺す。ナイフには毒が塗ってあった。
ウィンディが肩ごしに背中の方を見ると、耐火マントの一部が焦げ落ちていた。火球が掠ったらしい。
ウィンディが魔術師に気を取られている隙に、歩兵がまとわりついてくる。その歩兵を偃月刀を振るって薙ぎ払った。辺りを見渡すと、付いてきている味方が殆どいない。少々突出しすぎたらしい。しかし、ウィンディは引き返そうとはしなかった。林の中なら、一斉に襲いかかられる心配が殆ど無い。腕に自信があれば、戦力差があっても関係がないからだ。
昨夜の夜戦のショックから、ウィンディは完全に立直っていた。
「手綱を緩めるな! 敵を一気に突き崩せ」
イワキは騎兵の先頭に立って、敵軍の中に突撃していた。三メートルもの長さの長槍を突き出したまま、敵軍の中へ一糸乱れず突撃するのは、相当な訓練が必要であり、十五万の騎兵の中から選ばれた、二万五千の精鋭がこの軍団であった。
「げぼっ」
「ぶへっ」
軍団の前方に立ちはだかった歩兵が、次々と串刺しにされていく。歩兵を囮としていた敵騎兵は、軽い槍を装備しており、それを投げ槍として使用した。槍の先は、衝撃を受けると曲がるようになっており、敵に拾われ使用できないようにしてあった。
いくら装甲に身を包んでいても、飛来する槍をまともに食らえば、負傷する。装甲の継手に命中した兵士は、重傷を負うか戦死した。
「クソッ! 雑魚どもが!」
通常の槍ならともかく、長槍は自在に振り回せない。イワキは身を屈めて、飛来する槍が当たらないようにするのが精一杯であった。
それでも、槍を投げてしまえば剣しか持たないただの騎兵である。逃げ出そうにも、距離が近すぎ、騎兵の多くが串刺しにされた。
「……」
深緑色の上に金色の竜の描かれた甲冑を着込んだ男が、山頂から戦局を眺め、旗などを使い兵を動かしていた。
イリリア王国国王親衛隊隊長、ベニト・デキウスはその指揮下に、親衛隊八万、私兵四万、陸軍遊撃隊二万を収めていた。
デキウスは正面対決を避け、帝国軍主力を奥地へ誘い込んでから殲滅するつもりでいた。デキウスもまた、自国の海軍が勝利したことを知らなかったが、そんなことはどうでもいいことだった。上陸してきた敵主力を全滅する。これだけで失地は回復できる。主力がいなくなれば、後に増援が来ようと撃退できると考えていた。
デキウスは、八万ほどの戦力で戦闘を仕掛けたが、それでも自軍が押されているのには、内心驚かされた。
髭達磨のあだ名で兵士から親しみと尊敬を集めているデキウスは、理知的で合理的な判断のできる人物であった。
「帝国軍は疲れ果てていると思ったのだがな」
デキウスは、万が一に備え、全力攻撃は掛けなかった。最精鋭の四万は布陣している山から動かしていない。自軍が敵を押しているようなら全力攻撃へ移行する計画であった。
「このままでは被害が増すばかりだ……。一旦兵を引き上げさせる。合図を送れ」
命令通り、兵士が銅鑼や鐘を鳴らし、赤く染めた旗を大きく振った。これが白なら全力攻撃の合図である。赤は引き上げを意味していた。
合図を見た兵団は、潮が引くがごとく引き上げだした。山や林の中へ逃げ込む王国軍は大した追撃を受けないはずであった。
その時、山々を大きく揺るがす爆発が起こった。爆炎が所々に立ち上る。帝国軍の半数は魔術が扱える。その単発の威力が巨大でなかったにしても、二万以上の人間の魔術が一斉に炸裂したのだ。乱戦の中でなければ、精神の集中も容易である。
その光景に最も驚いたのはデキウスであった。
「何を考えてやがる! 狂ってるのか?」
デキウスがそう言うのも当然であった。ここは山岳地帯である。山を揺るがすような程の魔術を繰り出せば、地盤が崩れる恐れもある。火災が発生すれば、森林に燃え広がり、風向き次第では自軍が巻き込まれる恐れもある。軍道に大穴でも開けば、物資の輸送にも支障が出る。
「……」
実際、山の一部は土砂崩れを起こしていたし、広がる火災は、その時の風向きが南だった事もあり、デキウス達の退却方向に押し寄せた。軍道のあちこちには、直径二、三メートルの穴が無数に開けられていた。
帝国軍も、何も計算せずに魔術攻勢に出たわけではない。風向きや敵の退却路を計算の上でやったのである。デキウスは冷汗を流していた。
「まともに、平原地帯で勝負していたら……勝ち目は無かったかもしれんな」
デキウスは、改めて魔術の威力を思い知らされるのと同時に、自らの作戦が誤っていなかったことを確信した。
「どうします。夜間攻撃を掛けますか?」
数時間後、整理された報告を受けたデキウスは、被害が予想を遥かに上回っていたことに驚愕した。副官が、予定通りの作戦で行くかを聞いてきたのはそのためである。
「うむ。予定通りにいこう。敵は土塁に引きこもってしまったが、対策はある。ただ、やはり全力攻撃は止めよう」
デキウスがそう言うのも無理はなかった。昼の戦闘で失った兵力は四万にも達したからだ。敵に与えた損害が五千程度に過ぎないことは、転がっていた死体から大体推察できる。負傷者の数は分からないが、それでも、土塁の中に入ってしまった敵に全力を出すのは危険であると判断したのだ。
「敵は疲れ果てているはずだ。休む暇を与えてはならん。敵が疲弊しきったところで全力攻撃だ」
山の入口に築いた土塁の中に逃げ込んだ帝国軍は、殆ど全員が大なり小なり負傷していた。土塁の兵一千と比較的疲労の軽い兵に守備を任せ、残りの兵士には休息を与えた。食事も、普段より豪勢な特別食を振る舞い、指揮の鼓舞が行なわれた。
司令官のイワキとウィンディは幕舎の中で、善後策を練っていた。
「ここまでに築いてきた土塁は十二箇所だ。その総兵力は一万二千。こいつらと合流しねえと危険だ」
「そうね……引き上げるなら、今しかないわ」
二人共、引き上げるということで考えがまとまっていた。これ以上奥地へ誘い込まれたなら、この兵力数では全滅すると昼間の戦闘で痛感したからだ。疲労困憊したところを大軍で狙われればひとたまりもない。
「敵としたら、俺達に休む暇なんか与えねえだろうな」
「そうね、今夜もくるわよ……きっと」
司令官である二人は、いくら疲れていても休むことさえできなかった。
「引き上げの時は、あなたの騎兵が先頭になって進路を確保し、私の兵団が、側面と後方を守る」
「……それしかねえな」
イワキは、ウィンディを後列へ置いていくことに抵抗を感じたが、それ以外どうしようもないためしぶしぶ頷いた。後列に残るということは、追撃された際に生存率が低いことを意味する。戦争は、進撃するよりも撤退するほうが遥かに難しい。逃げながら戦うのは極めて危険なのだ。
「さて……私は幕舎の方に戻るわ。敵の夜襲にも備えないと」
近接戦闘や間接攻撃ならウィンディの軍団の方が優れていたのだ。ウィンディは椅子から立ち上がると、イワキの側に寄ってきた。
身を屈めてイワキの顔を見つめていたかと思うと、突然、イワキの唇に自分の唇を重ねた。
しばらく、沈黙が場を支配した。
ウィンディは重ねていた唇を離すと、幕舎の外へと歩を進めた。入り口で一旦立ち止まり、そのまましばらく立ち止まっていた。そして、入り口の覆いを上げて外に出る時に、イワキの方を振り返った。その表情には微笑を湛えていた。
「これが返事よ」
ウィンディはそう言うと幕舎を出ていった。中には、呆然としているイワキが残された。イワキはしばらくすると、唇にあった感触を思い出し、赤くなった。
夜襲は、その直後であった。
デキウスの軍団は、盾をかざして土嚢を堀へ投げ込んだ。堀は、幅三メートル、深さ二メートルという簡易式のものであった。堀が埋まると、次に破城槌を取り付けた戦車を押し出した。戦車は鉄で薄い装甲を施した木の箱で、中に馬が入って城塞に突進させるものであった。昼間の戦闘で、土砂崩れや火災による二次被害もあって、二百両の戦車の内、生き残っていたのは四十両にも満たなかったが。
「敵を近寄らせるな!」
ウィンディが部下達を指揮する。油が浴びせられ、そこに火矢や火炎系の魔術が降り注ぐが、鉄に覆われた戦車を破壊することはできなかった。土属性の魔術で、爆発を引き起こし、二メートル程の穴を開けて戦車を擱座させたが、守備に就いている兵で、高度な土属性の魔術を操れるものが少なく、全滅させるには至らなかった。雷撃系の魔術は術者も多く、鉄に覆われた戦車だと気付いた者が雷撃を仕掛ける。食らった戦車は、中の馬が感電死して止まったが、気付くのが遅すぎて、全ては止められなかった。土塁にまで到達した六両の戦車が、その破城槌で以て急拵えの土塁を一気に突き崩し、六ヵ所に大穴を開けた。帝国が土塁を築く資材を集めているという報に接したデキウスが、急いで後送させた秘密兵器であった。
そこから騎兵を先頭に押し立て、次々と兵士が雪崩込む。土塁の上から射手が矢を浴びせ掛けるが、数が多く防ぎきれなかった。
「侵入する敵を迎え撃て!」
ウィンディは装甲魔術兵団を率いて、敵の開けた大穴に殺到した。押し寄せる敵兵をそこで必死に食い止めた。その間に、イワキは残りの全軍団に召集を掛けた。ウィンディの援護に入るのではなく、敵の侵入を抑えている間に脱出を図るためである。
イワキが敵の殺到する方と逆側の門を開き、打って出ると、
そこには先回りしていた敵兵が待ち構えていた。
「しまった! 敵はすでに……」
敵は一斉に矢を放った。直後、前進してきた歩兵の投げ槍が襲いかかる。さらに、側面から襲いかかってきた歩兵に近接戦闘を仕掛けられた。騎兵は歩兵に群がられると弱い。その場はどうにか突破したが、五千の兵を討ち取られてしまった。
「よし。そろそろ頃合ね。……全軍脱出!」
ウィンディも、正面からの敵兵を撃退すると、イワキ達の後を追ったが、敵の急追を受け、兵力の半数を失った。しかし、脱出にはどうにか成功した。
ウィンディがイワキの軍団に追い付いたのは三日後であった。
「よう、お前もボロボロだな」
イワキは片手を上げて、馬から降りたウィンディに近付いてきた。自慢の長髪も、火炎攻撃で一部が焦げていた。甲冑は、所々が受けた攻撃のため、傷つき欠けていた。
「……」
ウィンディも、耐火マントは刀でその半分を切り裂かれ、右肩のプロテクターが継目から引き千切られていた。
ウィンディは、イワキの後を付いてくる形になったため、後から追撃する敵のみに気を配ればよかったから、全滅は免れた。
途中、幾つかの土塁が炎上していたのは、土塁を攻略していた敵軍と激戦があったためであろうと、ウィンディは理解していた。
「私の部隊で生き残ったのは、一万になるかならないかよ」
ウィンディは無表情であったが、力なく呟くように言った。
イワキは何も言わず、ウィンディの肩を抱き寄せて、その頭を撫でていた。そのまましばらく経ってから、イワキは口を開いた。
「オレの部隊だって……生き残ったのは一万になんねえよ。お前の指揮が悪いわけじゃねえ、気にするな」
「土塁の守備隊は?」
ウィンディは抱き寄せられたのを解こうともせず、尋ねてきた。
「ここまでの八の土塁中、攻略されていたのが二つ。守備隊の生き残りは全部で四千だ」
「……そう」
ウィンディは抱き合っていた態勢を解くと、
「あと、土塁が三つ残ってるわ。その後は、街の点在する平野。そこの守備隊と合流できれば、逃げ切れるかもね」
「……一体、敵はどの位の兵を出してんのか……。いくら倒してもキリがねえ!」
実際、イワキ・ウィンディ両軍が撤退しながら討ち取った敵兵は、二万を上回っていた。ほぼ同程度の損害を与えていたのだ。
しかし、現時点で帝国軍は満身創痍の状態であった。特に、ウィンディの装甲魔術兵団は、ろくな休養もなく激戦が続いたので、魔力は底をほぼ突いており、手にした武器で戦う以外に魔術も使うことは、殆ど不可能な状態であった。
「……軍団の再編成が済んだら、さっさとここも引き払いましょう。休養を取っている暇はないわ」
「そうだな」
「おいおい、ウソだろう? 冗談じゃねえ!」
「……はあ」
イワキは、もううんざりだとばかりに表情を険しくさせた。ウィンディも思わずため息が漏れている。
脱出してきた帝国軍の前に、新たな軍団が立ちはだかった。
デキウスが最も信頼を置く四万の親衛隊精鋭である。
これまで、戦いを避けさせてきた軍団を、間道を使い先回りさせていたのであった。
デキウス自身、愛馬に跨がり軍団の先頭に立っていた。
「キサマらが疲労困憊するのを待ちわびておったぞ。もはや魔術も使えまい。全軍突撃!」
四万の軍団は、帝国軍の正面にデキウスを先頭に突っ込んだ。魔術を使える者は少なく、魔術攻撃は散発的なものであったが、新手の精鋭と疲れ切った二万弱の軍団がまともに戦える訳が無い。帝国軍はこの攻撃の前にバタバタと倒れた。
「クソッ! 意地でも脱出するんだ!」
「……道を開けなさいよ!」
イワキ・ウィンディの両名は、何度も血路を開こうと突入したが、被害が増すばかりで一向に突破できなかった。
このままでは全滅と思われた。
その時である……
「後衛が騒がしいようだが、様子を見てまいれ」
「はっ」
デキウスは、自軍の後方に砂塵が立ち上がるのを見て、近くの兵に命令した。すぐにその兵は戻ってきた。
「敵兵が突入したようです」
「後方の土塁守備隊だな。……左翼の軍勢を差し向けろ」
デキウスは左翼の兵を差し向けると、再び、正面の帝国軍内へ突入した。自分に群がってくる敵兵を、自慢の槍で突き崩していた。そうしている内に、一際目立つ騎兵を発見した。
女性の兵が自軍にいないだけあって、余計にその兵が目に付いた。各国が女性を兵として採用したという話も聞いたことが無いことから、それを敵将に違いないと判断した。すぐに、その女性兵の元へ馬を駆けさせた。
「そこなる者、敵将と見た。我が名はベニト・デキウス。王国親衛隊隊長である。名を名乗れ!」
女性は、ゆっくりとデキウスの方を振り向いた。デキウスは一瞬その顔に見惚れてしまった。
「……帝国近衛兵団、装甲魔術兵団総長。スミア・ウィンディ」
デキウスは、帝国はこんな若い女性を戦場へ出すものかと、何か遣瀬ない思いになった。過去に、デキウスの妻が戦禍に巻き込まれて死んだためもあるのだろう。
ウィンディは無言で馬を駆け寄らせ、偃月刀でデキウスの上段を薙ぎ払った。デキウスは槍で防ぐと、すかさず連撃を繰り出した。素早い攻撃で偃月刀を弾き、そこに出来た隙を狙って、頭と胸目掛けて二撃。ウィンディは偃月刀を急いで引き戻し、柄の部分でその二撃を凌いだ。次に足元を狙ったが、ウィンディは偃月刀の底部で槍の先端を叩きつけ、攻撃が繰り出されるのを防いだ。
「へえ、やるじゃねえか」
「……」
次はウィンディが、偃月刀の先端でデキウスを突き落とそうと、思いっきり前方を突いた。デキウスは、上体を横に反らしてそれを躱すと、槍の柄を使い、偃月刀で薙がれるのを防いだ。
「炎よ、行け!」
ウィンディが叫ぶと、炎の奔流が現われ、デキウスを飲み込もうと突き進む。デキウスは無言で左手をかざした。
ゴウッという凄まじい音と共に、炎の奔流がデキウスの正面で消えていく。デキウスが使ったのは水属性に入る氷を具現化する魔術だ。火と水は対極の属性で、互いに相殺してしまう。
デキウスはニイと勝ち誇った笑みを浮かべた。今のは、疲れ切ったウィンディにとって、最後の切札として温存していた魔力を全て使いきって出した炎であった。ウィンディの頬を汗の雫が流れ落ちる。魔力の著しい消耗は、術者の体力も奪うのだ。
デキウスは、ウィンディがひるんだ一瞬を見逃さず、反撃に転じた。素早い連撃を、ウィンディも偃月刀を打合せたり、柄で防いでいたが、疲労の極みにあるウィンディにとって、連撃を凌ぐのは限界が来ていた。連撃を受ける度に手が痺れる。
「どうした。もう限界か?」
「くっ……」
偃月刀を落としそうになる。ウィンディは魔術を出そうとも試みたが、やはり術は発動しない。
「隙あり!」
デキウスの一突きは、ウィンディの右足を突き刺した。柄で弾いたため、胸を狙った一撃が足に当たったのである。致命傷ではないが、集中力が激痛のために弱くなる。
その時、デキウス達の背後で喊声が上がった。同時に、二人が一騎打ちをしているところへ、一騎駆け寄ってくる。その兵は大声で、
「将軍。後衛が総崩れです!」
「なにっ!」
「……」
デキウスが一瞬見せた隙を、ウィンディは見逃さなかった。
偃月刀で一閃。デキウスは、左肩から腹部までを薙がれた。そして、返す刀で首を薙ぐ。それで終わりだった。
ウィンディはすぐに馬から降り、刀でその首を取ると、それを高く掲げた。
「敵将デキウス。ここに討ち取った!」
それを見た親衛隊は驚愕した。将を失った軍団は脆かった。
親衛隊は我先にと戦場から逃げ出した。しかし、帝国軍に追撃する余力は無かった。
軍団を素早く立て直すと、帝国軍は退却を始めた。
「お前のおかげだな」
「……援軍のおかげよ」
イワキ達の救援にやってきたのは、土塁の守備隊と、占領地の守備隊計一万三千余りであった。これで総兵力は約二万程。この戦いでさらに一万六千近い損害を出したのだ。
一方、イリリア軍も二万以上の戦死者を出し、総司令官までも失っていた。
その後、四日間は戦闘も無かった。すでに危険な山岳地帯は脱出し、港へ向け行軍中であった。彼らは、海軍主力が二週間近く前に壊滅していた事実を知らなかった。
「あと一日半位で港だ。そこまで着けば船で脱出できる」
「……」
ウィンディは無言であった。顔色はよくない。足の傷が原因で高熱を出していたのだ。普段なら静養しなくてはならない状態だが、そこはまだ敵地であった。
「ウィンディ。しっかりしろ! あと少しで船に乗れる。そしたら国まで二日もかかんねえ」
「……泳げないの」
「初耳だな」
イワキは、空を見上げた。考え事などをするときの癖なのだ。
そういやコイツ、上陸前に船乗った時も、緊張した表情で青ざめてやがったな。あれは船酔いじゃなかったのか。などとイワキは前に船に乗った時のウィンディの様子を思い出した。
「ま、そんな簡単に沈まねえよ」
「そう……願うわ」
イワキは、なかなか進まない軍団に焦りを感じていた。
全力疾走なら一日かからずに進める距離だが、疲れ切った軍団にそれは無理であった。
先回りした敵に港が占領されてないことを、イワキは願わずにいられなかった。
それから一日半。イワキ達は上陸した港まで戻ってきた。幸い、港は占領されていなかった。港には、イワキの親友でもある海軍提督が来ていた。
第二次遠征の船団提督をしていた、フレイド・メイという提督である。五分刈りで不精髭を生やしている、厳つい顔の武人である。
「よう。久しぶりだな! 元気してたか?」
メイは船の上から手を振っていた。沖合には四十隻を上回る艦艇が、港には四十隻近い輸送船が、陸兵をいつでも乗せられるようにしていた。
「敗軍に元気か? はねえだろうよ。それより、なんでお前がここにいるんだよ?」
イワキがそう聞いた。メイは、事の経過を、陸兵を乗せている間に語った。
イリリア海軍は、十六日前の夜戦で、帝国主力艦隊百四十隻を全滅させていた。その彼らが引き上げるところを、第二次遠征の際に、大打撃を受け、その再編なったメイの艦隊が奇襲。油断していたイリリア軍は、自分達が炎上させた火炎船の方に追い込まれ自滅していたのだ。残りの艦艇にも損害を与え、本国との輸送路だけは、なんとか確保しきれたのだ。
「とにかくその状況じゃ、オレの船団が間に合ってよかったよ」
ウィンディはすぐに船内の寝室へ運ばれた。立っていられる状態ではなかったからだ。
全兵員が乗り込み、船団が出港した直後、港に敵兵が現われた。デキウスの遊撃隊二万であった。
彼らは、逃げ出す帝国軍に罵声を浴びせ掛けたが、帝国軍が再上陸するはずがなかった。
イワキは甲板の上で胸を撫で下ろした。脱出が一歩遅れていたら全滅に違いなかった。
出港から一時も経たない内に日が暮れ、やがて海上は真闇に包まれた。
「敵襲!」
見張り員が声を上げた時、イワキは甲板の防御壁に寄り掛かって寝息を立てていた。船員が慌ただしく動きだしてようやく、イワキは目を醒ました。それ程、疲れ果てていたのである。
「敵?」
イワキは目を凝らすが何も見えない。海戦に慣れた水兵にしか見えないのだろう。やがて、敵がいるらしい方向へ大量の火矢等が向かっていく。しかし、敵からの応射は無かった。
「突っ込んでくるぞ!」
水兵が怒鳴り散らした。ようやくイワキにも敵艦が見えてきた。猛烈な速度で、二隻の艦艇がイワキ達の乗る輸送船へ突っ込んでくる。ラム……吃水線下に取り付けた青銅製の衝角、つまり艦艇版の巨大な槍で、敵船に全力で衝突させ、船腹に穴を開け沈める兵器……でも装備しているのだろう。
「ダメだ! 防げない」
水兵が叫んだ直後、凄まじい衝撃がイワキ達を襲った。一ヶ所でも穴を開けられれば沈むところを、一気に二ヶ所も開けられてただで済むはずが無かった。船は一気に傾き、あっという間に沈み始めた。
「船が沈むぞ! 総員、海に飛び込め!」
船長の叫び声を聞き、イワキは船室にいるウィンディのことが頭に浮かんだ。
イワキはすぐに船室の方へ駆け出したが、水兵達に止められてしまった。
「いけません閣下! 脱出してください」
「邪魔だ! どけ! 船室で……アイツが寝てんだよ!」
「ダメです! 行けば、閣下が助かりません」
それでも駆け寄ろうとしたが、その時、船は横倒しになり、イワキは海へ投げ出された。幸い甲冑は脱いでおり、水泳も達者なイワキは溺死を免れた。
船は、見る見るうちに海に引きずり込まれた。炎上した敵の二艦を巻き添えにして。
「……」
イワキは、目の前の光景が信じられないといった面持ちで、
その光景を見ていた。
『……泳げないの』
イワキの頭の中に、その言葉が響いていた。船室で寝ている彼女が……助かるはずが無かった。
それから一週間。敗残の兵を本国へ移送した船団は、生存者を探した。結果、二十二名の兵士が救助された。沿岸に自力で辿り着いていた者も三十名いた。
イワキも身体に鞭打って、生存者の発見に努めたが、その中にウィンディの姿は無かった。
片足に重傷を負い、高熱のため船室で寝ていた。
……急速に海中に没した船の中、助かる道理がなかった。
イワキは敗北の責任を取らされ、助命嘆願もあったため死罪は免れたが、全ての役職から解任され、平民に落とされた。ウィンディは戦死ということで、不問に付されたが、その財産は没収された。
「……」
イワキは役職を解かれてから、よく港にやってきた。あの日、出港した港にである。あの時は、大勢の部下もいた。軍人として頂点に近いところにもいた。最も輝いていた栄光の日々であった。なにより、愛想も何もなかったが、愛する人がいた。
再びここに戻ってきた時には、全てを失っていた。自分だけが、生き残ってしまった。
自分が役職を解かれた直後、宰相ブリュームは、何者かに暗殺された。皇帝ルノウ三世は、一人の近衛兵に刺し殺された。上層部が変われば国も変わる。新皇帝に宰相は、それまでの方針を転換し、帝国兵の占領地からの全面撤退、各国への賠償、捕虜や奴隷の返還を宣言し、履行しだした。
反帝国同盟も反乱軍も、その動きを見て戦争の終決を宣言した。帝国の国力は、まだ相当にあったので、戦わずに済むなら、それに越したことはないからだ。
ウィンディの言っていた通り、指導者が変わって一月もせずに、全ての戦争は終決した。
戦いから一ヵ月が過ぎ、季節も変わり、冷たい風が吹き付けるようになった
『これが返事よ』
イワキは、まだあの夜の唇の感触を思い出せた。思い出すたびに、胸が締め付けられる。
港に冷たい風が吹き荒れる。冬の到来はすぐそこにまで来ていた。
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