【ホワイトデー】 - 第一章 -
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ホワイトデー

                 陽ノ下光一

 

「大竹さん。すぐに……すぐに大学の側の公園へ来てください!」

「え? どうしたんだ静香?」

 いきなりそう言われて、オレはわけがわからなかった。

「とにかく早く!」

「おい、静香? おい!」

 携帯は一方的に切られていた。静香は人をからかったり、嘘をつくことのできない娘だ。何があった。オレは胸の鼓動が激しくなるのを抑えられなかった。オレは急いでコートを着込み、雪の降りしきる屋外へ出ていった。

 

 

「紅って、白に映えると思いません?」

 静香は、オレの対面でそう問い掛けてきた。

REDの赤?」

 静香は首を振って否定した。ウーロン茶しか飲んでいないのに、頬はやや赤みがかっている。

「いいえ、CRIMSONの……やっぱり違うなあ。鮮やか な……そう緋色です。SCARLET

「ああ、そうだね」

 オレは少々大声で返答した。まったく、うちの部員は騒がしい。ろくに会話もできやしない。まあ、飲み会なのだから仕方がないが。

 静香は、オレが賛同すると、ますます頬を赤くして俯いてしまった。うちの部にとっては貴重な存在だ。なんせ、この文芸研究団体の構成員ときたら……。

「うおっ!」

「ほらほら雄次君。もっと飲みなさいよー」

「部長、背後から抱きつくのはやめてください! 重いです」

「えー! 私、重くないわよう」

「ああ、なんてうらやましいんだ雄次君! 部長に抱きついてもらえるなんて〜」

「こうなればヤケ酒だあ」

「イッキ! イッキ!」

 ……どうしてうちの部員はこうバカ騒ぎするんだ。

 超個性的、うわばみ、酒癖が悪い。男性陣は奇人・変人ばっかりで、女性陣はよくいえば明朗快活。しかし逆を言うとおしとやかさは微塵も無いし、がさつ。それが、この部に入ってくる人間に伝統的に共通しているといえる。

 まったく静香は珍しい。優しいし、気は利くし、おしとやかだし、この部の構成員とは全く正反対だ。まったくもって可愛い後輩だ。

「だから部長。離れてください」

「すうすう」

 まったく……人に抱きついたまま寝てるし。

 そこで辺りを見渡すと、他の部員は大騒ぎしながら酒を飲んでいる。そして、視線を対面に座っている静香に戻すと。やっぱり浮いていた。視線を交互にオレと、オレに抱きついたまま寝ている部長に向けている。その視線に一瞬、冷たさと燃えるような熱さを感じたのは気のせいだろうか。

 オレは、抱きついている部長を後のスペースに転がしておいた。そのうち起きるだろう。

 再び静香に視線を戻すと、少し笑みがこぼれていた。

 やはり気のせいか。

「で、大竹さん。今回の冊子なんですけど」

 周りが大騒ぎしている中、オレは静香との会話を楽しんだ。

 

 

「おっす、大竹」

「おう、清水じゃねえか」

 オレが、図書室でレポートと参考文献という名の敵と悪戦苦闘しているところに声をかけてきたのは、ここ数週間会っていなかった友人だった。

「おやおやレポートかあ? せっかく飲みに行こうと思ってたのに」

「うっせえなあ。……お前、ずいぶん焼けたな」

 清水は長い前髪を手でかきあげ、目を細めた。コイツの悪いクセだ。

「まあ、正月からスキーに行っていたからな」

「はいはい、そうかよ。で、他に用がねえなら向こうに行ってくれ。オレは忙しいんだ」

 そう言うオレを無視して、清水はオレの隣に腰を降ろした。

「で、あと一ヵ月でバレンタインですが、大竹先生はどうなりそうですか?」

「……てめえの自慢話を聞いてる余裕は無いんだよ。第一、そんな一ヵ月も先の話ししてどうすんだか」

 清水はまたも長い前髪をかき揚げた。どうして女ってのはこんなヤツに贈り物すんのかね。オレは不思議でしょうがない。まあ、コイツの見た目がいいのは認めるが。

 

 

「でなあ、コイツがとんでもねえナンパ男なんだよ」

「でもカッコイイ方ですね」

 静香は、清水の写真を見てそう言った。静香のようなタイプの娘が、こういう男に惹かれるとはよく聞くが、どうやら本当らしい。静香が頬を赤くしているのは、部室のヒーターが利きすぎているからではないだろう。

「でも、私は」

 静香は写真からオレに視線を移し、もじもじしながら何か言っていたが、声が小さくて聞き取れなかった。

「え? 何?」

 静香は俯いてしまい、応えてはくれなかった。

「な〜に話してんのっ」

「部長……だからいきなり背後から抱きつくのやめてください」

「ふっふっふっ。二人きりで何いいムード作ってんの」

 部長は、抱きついたままオレの頬をつっついている。まったくうっとおしい。

静香の方を見ると、俯いたまま長い黒髪をいじっている。足を浮かせてブラブラさせたりと落ち着きが無い。 

「ありゃ、静香がもじもじしちゃってる。雄次君。ダメだよう、もっと女の子の気持ちは考えてあげなきゃ」

「考えてないのは部長の方では。静香の性格も考えて下さいよ。目の前で女と男がイチャついてても赤くなる娘なんですから」

 オレはその時、静香の肩がビクッと震えたのには気付かなかった。オレはもっと気を付けるべきだった。

 

 

「大竹さん、荷物持たせてしまってすみません」

 静香はオレの傍らを歩きながら顔を覗き込み、すまなそうにしていた。

 少々長めのコートと大きめのマフラーを身につけている静香は、服を着ているというより、服に着られているという感じがして可愛い。紺色のコートと白のジーンズ、紅色のマフラーを身につけている静香は、雪の降り積もる冬の夜に映えていた。

「こんな雪の降る日じゃ買い出しは大変だろ。こういう時は互助すべきだ」

 オレが買物袋で両手が塞がっているため、静香は少し手を伸ばして相合傘にしている。オレは百八十二センチの長身だから、百五十二センチの静香は辛そうだ。 

「雪の夜って静かですね」

「ああ、オレはこの雰囲気が好きなんだ。そういえば静香は岩手出身だったよな」

「はい。ですから冬の間は雪ばっかりです」

「でも北国の人って、雪が降ってもあまり傘差してねえよな」

「その……こちらの雪は湿っていて、服が濡れちゃうんです。向こうのは乾いていて、払えば簡単に落ちましたから」

「ああ、こっちで子どもの頃雪遊びするとよくびしょぬれになって風邪引いたな」

「それはあまり雪に慣れていないから……その、私達よりも風邪を引きやすいというのもあると思います。私達もびしょぬれになれば風邪引きますし」

 静香は頬を紅潮させている。色白の娘なだけに余計に目立つ。オレが見ているかぎりでは、相当内気な性格も手伝ってか、人と話をしている時は赤くなっている気がする。

「よお、大竹」

 手を振ってこちらに近付いてきたのは、清水だ。まったく余計なところに出てきやがる。

「おや? 彼女か?」

 清水はオレの傍らで傘を差していた静香の顔をまじまじと見つめた。静香は目を逸らしてなにやらぶつぶつ言っている。

「サークルの大切な後輩だ! お前みたいなナンパ男が口説く対象じゃない」

「へいへい」

 清水はそう言いながらも、視線は静香に向けたままである。オレは気付かなかったが、静香が肩をピクリと震わせたことに清水は気付いた。

「あ、なーるほどねえ。確かにオレにゃあ口説けねえや」

 清水は口笛を鳴らすと、俺達の隣を通り抜けていった。

「じゃあなあ! オレも買い出しの途中なんでね」  

「わかったから、さっさと行け」

「へーい。あ、キミ。いつか飲みに行こうね」

「しっしっ」

 オレは犬を追い払うように、清水を追い払った。お前のようなナンパ男には静香は似合わん。

「ふふっ」

 振り返ると、静香は口元に手を当てて笑みをこぼしていた。

「どうした?」

「あ、いえ、すいません。なんでもないですよ」

 その日、静香をアパートまで送る間、静香がやたら上機嫌で時折笑みを浮かべていたのが記憶に残っている。

 

 

 その日、静香を送り帰宅した後、オレは携帯に着信が入っているのに気が付いた。

「清水と部長か」

 あまり気は進まないが、一応二人の携帯にかけた。

「おう、やっとかけてきやがった」

「かけてやったよ。で、なんだ?」

 もう夜の十時を回っている。先日がレポートとの格闘で徹夜だっただけに、はやく寝たいところだ。

「いや、さっきの娘だよ。お前の彼女だろ? いいねえ、あんな美少女。色々知ってないことも多そうで」

 オレはちょっとムカッときた。

「彼女じゃねえよ。あんないい娘がオレやお前になびくわけねえだろ。……いやらしいヤツだ。それだけなら切るぞ。オレは眠いんだ」

「おいおい、小学生でもこんな早く寝ないぜ」

「オレは徹夜明けなんだよ!」

「ははは、まあ気にすんな」

 まったくコイツは、なんでこう自分勝手なのか。

「オレは結構女にモテる。さっきの娘はオレの経験からして、すげえ上玉だぜ」

「はいはい、先生の自慢話は結構です」

「あー待て待て切るな。つまり、オレは親友としてお前にアドバイスを……」

「切るぜ」

「あの手の娘はなあ、注……」

 何が言いたかったか知らないが、やかましいので切っておいた。またかけてくるとうるさいので、メモリ指定着信拒否をしておいた。

 さて、次は部長だ。

「おう、かけてきたわね」

「で、何の用ですか? オレ、徹夜明けで眠いんすけど」

「あのさあ、雄次君……編集じゃなかった?」

「あ! スンマセン。忘れてました」

「まったく、いくら携帯にかけてもでないんだから」 

「本当にスンマセン」

 オレが必死で謝ると、携帯の向こうからため息が聞こえてきた。

「もう、印刷は終わってるから……明日の製本には来てよね」

「あ、はい」

「それじゃあ、おやすみ」

 部長は携帯の向こうで投げキスでもしたつもりなのか、口付けでもしたような音が聞こえた。

「オレって編集だったっけ?」

 オレはメモ帳を開くがそのようなメモはない。ただ記入を忘れてただけか。

「ま、いいや。シャワーでも浴びて寝よ」

 勤務時間三十八時間の身体にとりあえず感謝。

 

 

「はい! みんなご苦労さま!」

 一冊当たり百二十ページの作品集を二百冊。その全ての製本が終わった。

 今日、製本をやっていたのは編集の部長とオレ、そして手伝いにきた四人の部員。さすがに、雪が五十センチも積もり、まだ降り続いている状態では、大学の近くに住んでいる部員しか来れない。例年なら、四、五センチも積もればいいところなのだから、記録的な大雪だ。

「うーん、こんな大雪だし、飲み屋もやってなさそうだしねえ……打ち上げはまた今度ってことで、今日は解散にしましょう。まだ雪降ってるし」

 部長の言うとおり、ここは素直に帰ったほうがよさそうだ。いつもは何が何でも飲みに行く部員たちも、帰りが不安なのか帰宅していく。

「おつかれー」

「はーい、おつかれさま!」

「おつかれさまでした」

 オレも、他の部員に続いて帰ろうとした。

「ちょっと待て」

 しかし、部長はオレのコートのフードをつかんでいた。

 いきなり引っ張られたので、一瞬首が絞まった。

「何をするんですか」

「きゃーん、怒んないで」

 言って部長は頭を抱えた。

「まったく、早く帰んないとヤバイですよ」

 外はほとんど吹雪の状態である。

 部長はオレを無視して、床に置いてあった段ボールを開けている。

「何してるんですか?」

「ふっふっふ……ジャーン!」

 部長が振り返りざまにオレに見せたのは、焼酎であった。

「つまみもあるのよ」

 部長が開いた箱の中には、ナッツからポテチ、煎餅にするめイカ、パンやらジュースやら大量に入っていた。これだけあれば、五、六人でちょっとした飲み会ができると思うが。

 誇らしげに箱の中を見せる部長は、いたずらをして無邪気に笑っている子どものような、いつもの笑みというより、みんなに悪いことしたかなといった、ばつの悪い笑みを浮かべていた。

「でも、この雪じゃあ……。第一、二人で飲んでいても」

「そうだよね……ゴメン」

 その時オレは、部長が悲しそうな顔をするのを初めて見た。この人でも、こんな顔ができるんだな。

「実はね、雄次君は編集じゃなかったんだけど」

「やっぱり」

 オレがそう言うと、部長はいたずらをやった子どものように、舌を出してみせた。

「へへへ、一人でも人員がほしくてねえ。それに今ね、私の部屋の暖房壊れてて、寒いの。うん、寒くて……へへへ。だから、部室ならヒーターがあるし、後はお酒とかで暖まれば」

 部長は早口でしゃべっていたので、オレにはよく分からなかったが、要するに部屋が寒いのか。

「だけど、一人で飲んでるのもなんだし、だからそのね……あー、こんなの私のガラじゃない! とにかく飲むの。今日は雄次君と飲むって決めたの! はい、決定」

「え? でも、その……」

「うるさーい。私と飲むの!」

 結局、オレは強引に部長に付き合わされた。

 

 

 まったく早いもので、もう二月だ。そう、あの忌まわしいイベントが目前なのだ。清水のようなもてるヤツのためにある月じゃないのか今月は。オレのように、一度も貰ったことのないヤツにとって、全国でおそらく過半数の男が貰えない……とオレが半ば確信的な推測をするこのイベント。まったく、どこの製菓会社の陰謀だ。

「よーっす。大竹君」

「ナンパ男に声をかけられても嬉しくない」

「つれないねえ。でも、オレは男に手を出すほど餓えてはいないんだがなあ」

 くそ、あいかわらずムカツク男だ。清水、貴様は世界中の男の敵だ。

「とうとう、イベントまであと二日。ああ、きっと我がスウィートハニー達がオレのために心を砕いているんだろう」

 勝手に妄想を始めやがった。人のレポートを邪魔してんのかコイツは。……手元の広辞苑で秘技「側頭突き」をぶちかまそうか。

「まあ、毎年平均三、四十個のチョコがくるんだが、いかんせん返すのが大変でねえ。ふっ、この辛さはもてる男にしかわからんのだよ」

 それはそれで返すのヤだなあ。女性ばかりの職場で大量の義理チョコもらった中年サラリーマンの話をラジオで聴いたけど。なんかムカツクが、なんか同情してしまうな。

「まあ、この大学には清水ファンクラブという非公認の団体があるが、もし欲しいならお前にも分けよう」

 ……やっぱコイツは抹殺決定だ。

 オレはそう決心し、清水に気付かれないよう、広辞苑を左手に装着。準備は完了だ。幸い、図書室の人影はまばらだ。

「あ、でもお前は一人アテがあるか」

 清水は思い出したようにそう言った。……「側頭突き」に対しての牽制か。さすがに何度もうまくはいかないか。

「あの、後輩の娘だ。あの娘はくれるだろうよ」

「何故?」

 オレが真顔でそう言うと、清水は小馬鹿にするかのように、ふっと息を漏らした。

「だめだなあ。そんなだから今までモテなかったんだよ。大体、日常接していれば態度からわかると思うがね。オレはあの時すぐわかったけど」

「何のことだ?」

「は〜あ、あの娘もうかばれねえな。相手がこんな朴念仁とは」

「?」

「お前がその気になりゃあ、あの娘の身体も……」

 オレは、迷わず秘技「側頭突き」を清水のこめかみに炸裂させた。

 

 

 で、日の経つのは早い。悪い出来事などすぐに来る。こんな差別的なイベントは廃止すべきだ。オレは一瞬、総理大臣になって、この差別の撤廃をするかと考えたが、最近の政治の成り行きを見ると、オレが総理大臣になっても、この画期的な計画は否決されるだろうと考え、やはり一瞬で夢は放棄した。

 すでに先週までに、テストは終了しており、あとは幾つかのレポートが残っているだけであった。今日はそのうちの一つの提出日。嫌だが大学へ行くしかないな。一応、部室にも寄って飲み会の人数も確認しねえと。幹事だしな、一応。

 で、レポートはさっさと提出してきた。……しかし、なぜみんな浮ついているんだ。キリスト教圏の方々はこんなイベントはやってねえぞ。くそ、これみよがしに出すな。その甘い物体を。オレは欲しくなんかねえぞ。オレは全国の過半数を上回るであろう男達の味方だ。

「おや、誰もいねーや。珍しい」

 部室に入ると、そこには誰もいなかった。珍しい。いつもなら二、三人はいるんだが。やはりあの奇人変人集団ではブツは貰えんのだろう。ああ、我が同士達。女性陣は、まあ、このサークル内には渡すヤツなどいないといったところか。

「えーと、打ち上げに参加するのは……十五人か。ま、店に連絡でもして帰ろう」

 オレがそのまま部室を出ようと、入り口に向かった時、ちょうどドアが開いた。入ってきたのは、腰まで届く長い黒髪を持った美人であった。

「やっほー! あれえ、雄次君以外誰もいないの?」

「ごらんの通りです」

 現われたのは部長であった。相変わらず背が高い。なんでオレとほとんど身長が変わらないかな。バレーボールでもやれば活躍できそうなのに。

「ああ、ちょうどよかったわ」

「?」

 部長はオレのすぐ目の前に立つと、手を後に回し目を細めた。

「今日って何の日だ?」

 オレは思わずため息をついた。

「男の過半数が家で泣いてる日です」

 部長は身を屈め、下からオレの顔を覗き込んだ。息遣いが聞こえてきそうで、急に胸の鼓動が早くなる。

「じゃ、雄次君はその逆の陣営ね」

 部長は、オレの顔に一つの包装された箱を押しつけた。

 オレが頭の中を整理できないうちに、部長はその箱を持った手を降ろした。その直後、今度こそオレの思考回路は停止した。

「……」

 数秒。オレの唇に、間違いなく柔らかい感触があった。

 そして、その感触がなくなったと思った次の瞬間、今度は自分を何か……そう、いつもと違って、優しく包み込む感触があった。そしてオレは、何を考えたか、自然に部長を抱き締めていた。

 部長の表情は、その顔がオレの肩ごしに背後を見ている格好になっているためわからなかった。

 ただ、次に聞こえた言葉は、いつものうるさいといった感じの声とは違かった。か細く、消えそうな声。

 オレは、その言葉にYesと応えた。


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