【Gloom under the cherry blossom】 - 最終章 -
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 オレは、あの桜並木の中、何で櫻があの桜の木の下にいたのか、過去の話を思い出して、そして今ようやく理解した。

 今、オレはその出会った桜の木の下にいる。その前方、通りに面した植込とベンチの並ぶ場所。そここそが櫻にとって、全てを過去に結びつける場所だったのだ。

 十一年前の、櫻の姉静香さんが殺人事件を起こした場所がそこなのだ。

 周りより少し土が高く盛ってあり、花見客がゴザを敷いていないそこに櫻は立っていたが、それはただの偶然だったのだ。そこが、事件の現場の目の前だったに過ぎない。

 そんな場所が、オレとの出会いの場所というのは運命の皮肉だろうか。

 櫻がこの大学に来たのも、文芸部に入ったのも、全て過去が彼女を束縛していたに過ぎなかった。

 オレは今の今までそれに気付けなかった。櫻はもう過去とは決別していたと思い込んでいた自分はバカだった。

 彼女は、オレと付き合いだしたことで、却って過去に死んだ姉に後ろめたいものを感じ続けていたのだ。

 オレはそんなことを考えながら、櫻へメールを打った。

『あの桜の木の下に鍵がある。夜が明け日が全てを照らし出すための鍵が』

 

 

 オレは来る日も来る日も櫻を待った。あの出会いの桜の木の下で。

 三月十八、十九、二十……二十九、三十、三十一日。 

 オレは、いつも夜が明ける一時間前から明けた後一時間、そこで待っていた。

 櫻は言っていた。

『どちらかというと明け方の方が好き。それまでの暗い世界に日が差し込むあの光景がね……。何かイイ事ありそうって気にさせてくれるのよ』

 だから、メールにはそれを暗示させておいた。

 暗示にしたのはそれなりの意味がある。

 櫻が夜明けが好きと言っていたのには、おそらく過去の束縛から逃れられない自分が逃れられるかもしれない。

 ……そういう意味が込められている気がしたからだ。

 だから、待つ時間は夜明け前から夜明け後しばらくの間なのだ。

 しかし、櫻は来ないまま三月が終わった。

 

 

 四月。オレは櫻を待っていた。

 最近では夜中の内から、花見目的の連中がゴザを敷いて場所取りを行なっている。

 もう、櫻と会って一年になるんだな。

 四月八日の朝が明ける。

 春休みの間 ――― 結局櫻は姿を見せなかった。

 

 

 四月九日。

 オレはこの日も待っていた。しかし、現われなかった。

 この日からは大学の前期が始まる。オレは大学へ行った。

 しかし、その時間はオレにとってなんの感慨も引き起こさなかった。

 周りは、二年になって専攻過程に入り、新しい期待を持って前期に挑む同輩。新入生が入ってきた後のサークルの宣伝活動について相談する連中などばかりで、それぞれに充実している様子が見て取れた。

 しかし、オレにはそれらは何の関心も引き起こさない。

 ただの周りの喧騒。そうとしか映らない。

 自分のこれからの大学生活も……ただ流れていくだけだ。

 まだ、オレもあの桜の木の下に束縛されている。

 

 

 四月十、十一、……十四、十五日。

 虚しく日々は過ぎていくだけ。 

 桜並木の下で宴会をやる連中も、だんだんと減ってきている。桜はもうその六割ほどが散ってしまっており、葉桜が目立つようになってきていた。

 この櫻との出会いの場所に咲く桜も、花よりも葉の方が目立つようになっていた。

 それでも櫻はやって来ない。

「オレが幸せにするって言ったのにな」

 オレは、眩しい朝焼けに手をかざし、目を細めた。

 四月十六日の朝がやって来た。

 

 

 四月十七……十八日。

 待ち人は来ない。それでも夜は明け日常が始まる。

 オレは、夜が明けると日常の流れに身を任せた。

 

 

 満開の桜よりも葉桜が良いと言ったのは誰だったろうか。高校の古典で教わった気がする。眼前の華美に惑わされず真実を見るということか? 

 しかし、やはりオレはそれでも美しく咲き乱れる桜が好きだ。散ってしまった桜の木に魅力などあるものか。 出会いの場の桜の木も、周りの木と同様に葉桜となっている。

 しかし、オレはまだ待っている。

 オレと櫻の思い出……それがオレが持つ鍵だからだ。 だから、オレの中ではまだこの木は満開の……あの出会った日の満開の桜の木なのだ。

 その桜が散り、葉桜となっているなら、すでに鍵は失われているのだ。

 

 

 四月二十二日。

 この日は、夜明けの一時間近く前から急に雨が降りだした。

 天気予報では晴れといっていた気がする。通り雨だろうか?

 夜明けの時刻には晴れてくれよと願う。

 それとも、この雨は思い出など……自分にとっての過去など洗い流して、新しい思い出を作れということだろうか?

 たとえそうであったとしても、オレとの思い出は、過去も未来も櫻としか考えられなかった。

 激しい雨。雨音が周囲の音を支配している。

 ずぶ濡れになったが、そんなことには構わなかった。 

 オレはいつものように木の下に座っている。

 視界はかなり悪い。まだ暗いのと雨が激しいせいだ。 

 オレは視線を地面へ移し、しばらくの間、その小高い今いる場所から、雨で作られた川が流れていくのを見ていた。

 ふと、視線を歩道の方へと戻した。

 雨はしたたかに、地面とそこにいる人物を打ちつける。

 オレはその場から立ち上がった。しかし、待ち望んだその瞬間に動けなかった。

「やっぱりキミは正真正銘のバカだよ」

 櫻は傘も差さずに歩道に立っていた。

 櫻はゆっくりとこちらに歩み寄り、手を伸ばせば届くかどうかという位置で立ち止まる。

「どうして?」

 櫻は責めるような強い口調でオレに問い掛けてきた。 

 泣いているのだろうか? しかし、雨が激しくそれはわからない。

「私にはハッピーエンドなんかない! 過去しかない! それなのにどうして私に構うの?」

「……」

「私は人を不幸にするだけ。姉と同じなの。……だから……だから、あなたにだけは幸せになってほしいから、だからサヨナラしたのに」

 櫻はそこまで言って言葉に詰まる。

 肩が震えている。

 オレは、静かに櫻の次の言葉を待った。

「こんなことされたら……あなたを諦められなくなるじゃないのよ」

 そこまで言うと、櫻は手で顔を覆って泣きだした。

「オレは櫻に謝らなくちゃならない。それと、櫻が間違ってるところを言いたい」

「……」

「オレは、櫻が過去と決別して……それで初めて幸せになれるんだと思ってた」

「……」

「それは間違いだったんだ」

 櫻は顔を覆う手をずらして上目遣いにこちらを見る。 

「思い出とは別れられないんだ……オレ、櫻を待っていてそう思った。だから、オレは櫻のことを結局理解していなかった。それを謝りたい」

 櫻は首を横に軽く振る。謝る必要などないということだろう。

「だから、思い出と……過去と決別なんかしなくてもいい。そこに、新しい思い出を重ねていけばいい」

「……」

「それと、櫻が間違ってる点」

 そう言うと、櫻は射るような視線でオレを見た。

 自分の何が間違っているの? と、その視線は主張しているようだ。

「櫻は人を不幸にするだけだって言った。でも違う! オレは幸せだった。不幸だなんて思わなかった」

「そんなことない!」

 櫻が叫ぶように言う。

「なんでだよ? なんでそう思うんだよ?」

「だって、だって」

 櫻は両手の拳を強く握り締め震わせている。

「オレが櫻をかばって事故ったからか? オレはあれを不幸とは思ってないぜ」

「でも……」

「櫻、以前言ってたよな。オレが幸せなら自分も幸せだって……オレ、櫻が自分の前からいなくなることが一番不幸に感じる」

「で、でも……」

 櫻は何かを言おうとして、しかし口を閉じる。

「だから、オレはまた櫻と一緒にいたい。思い出を作っていきたい。一緒に幸せになりたい」

 櫻は何度も首を横に振りながら呟いている。

「ムリだよ……ムリだよ……私に幸せなんて……」

 オレは櫻の両肩を掴み、強引に引き寄せた。

 抱き寄せて、唇を重ねる。

 しばらくして唇を離す。櫻の温もりが伝わってきた。 

 そのまま抱き締め続ける。

「バカ……やっぱり尚也はズルイよ」

 言って櫻はオレの背中に手を回し、しっかりと抱きつく。

 オレはこの温もりを忘れない。この瞬間にすでに新しい思い出は始まっているのだから。

 

 

「すごいびしょ濡れになっちゃったね」

 櫻はオレに腕を絡めて隣を歩いている。雨はすでに止んでいる。

「部屋に戻ったらフロ沸かさねえとな」

「あーっ!」

「な、なんだ?」

 櫻はオレの問い掛けに深刻な顔をして答えた。

「部屋の中のもの、みーんな実家に送っちゃったから……き、着替えがない」

「……上着なら貸せるが。ジーンズは乾かせばいいとして……問題は……」

 イカン、目がどうしてもあそこにいく。……スタイル良すぎだお前は。

「今……いやらしいこと考えたでしょ?」

「え? いや、そんなことは……ぐえっ!」

 櫻は腕を絡めた状態で、器用にオレの脇腹に肘打ちを入れた。

「まったく」

 櫻は少しうつむき加減になる。頬が赤くなっている気がするのは気のせいか?

「まったく、今部屋に布団とかもないんだから……しばらく泊めさせてもらうけど……変なことしないでよ」 

 オレはその言葉に舌打ちし、指を鳴らす。

 次の瞬間、櫻がこちらを睨んでいた。

 かなり恐い。

「は、はい。自信はないけど」

「バーカ」

 今度は怒っていない……一体どっちなんだ?

「コンビニで下着買ってかなきゃな」

 櫻はそう呟いた。そして付け加える。

「外で待ってなさいよね」

「櫻……当分の間、洗濯はどうするんだ?」

「……」

「……」

「洗濯機借りるけど……変なこと考えないでね」

「はいはい」

「それと、今日は日曜か……服飾買ってくるから付き合いなさいよ」

「だから、実家から届くまでオレが上着ぐらい貸すって。金の無駄だぞ」

 そう言うオレを、櫻は再度睨めつける。

「あの狭い部屋でびしょ濡れの美女が、男に服を借りる……はたして私は無事でいられるのでしょうか?」

「……」

「黙り込むな!」

 三度、櫻の肘打ち。だから、かなり痛いんだって。

 と、その時。

 日が差し込み始めた。

 本来なら少し前に夜は明けていたが、しかし、やはりこの言葉が自然と出てくる。

「夜が明けたな」

 オレの脇で櫻が頷く。

「私は夜明けが好きなんだ。見れてよかった」

 そう、夜は明けた。

 この瞬間から、新たな日々が始まる。

 今、オレと櫻は新たな一歩を踏み出した。

 過去の上に現在(いま)を歩き、さらに未来を歩きだすその一歩を。


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