【真夏のオアシスドリーム】 - 第一章 -
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真夏のオアシス・ドリーム

陽ノ下光一

 

「期末の結果は来週出るが、赤点の者は補習だからな」

 終礼後、担任の山本の言葉に、ため息を漏らす生徒もいた。せっかくの夏休みに、といった声は、

「お前ら三年なんだぞ。もっと大学のことも視野に入れろ。この時期に赤点を取ること自体、自覚のない証拠だ」

 という山本の声に鳴りを潜めた。蝉だけが鳴りを潜めるどころか、より大きくなった。

 三年か。大学に進むことが至上命題みたいに言われる。

 俺が、視線を教壇で未だに説教を続ける山本に向けたとき、その視線はこちらに向けられていた。

「遊んでばかりいるなよ。このクラスにも模範的な生徒がいるが、そいつのように自覚を持って取り組め」

 山本は、明らかに俺を指して『模範的』と言っていた。それは、他の連中も了解している。

 別に教師に媚びてるわけでもない。ただ、流されるように勉強して、クラスの連中のまとめ役をやらされて、周囲の求めることに応じるうちにこうなった。

 同輩や後輩は、成績優良で、責任感があって行動力があって、その上喧嘩も強い頼れるヤツというレッテルを貼り付けている。

 山本が出て行った後の教室は、喧騒に包まれた。テストの感触はどうだったとか、夏はどうするとか。

 気分が良くない。俺は頬杖を付いて、窓の外を眺めた。外には海が見える。ただ、徒歩で三十分以上離れているため潮騒は聞こえないが。

「おい、僚。帰ろうぜ」

 顔を上げると、友人の京野耕介が鞄を引っ提げて立っていた。

 長身に黒い長髪。ルックスも良く、校内での人気は高いが、性格は軽くて勉強は嫌いだから、教師からの評判はすこぶる悪い。

 けど、俺の大の友人だ。軽いヤツだが、結構気を使ってくれるタイプでもあるし、他の連中と違って物事にこだわらないので安心できる。

「あ、悪い」

 俺が口を開くと、耕介は思い出したらしく、

「三日月園に行く日か」

 俺は頷いた。俺は毎週そこの養護施設に行って、子供たちの相手をしている。その時々で、先生だったり、用務員や友達だったりする。というか、何でもやっている。

「よく飽きずにガキの相手してるよな」

 耕介は大きく息を吐き出し、俺の左腕を見て、

「やっと治ったけどよ、ガキ助けたせいで腕折ったんだろ? よく文句の一言も出ねえよな」

 半ばあきれて言っている。しかし、病院に運ばれたとき、真っ青になってバイクで駆けつけたのもコイツだ。

 そこへもう一人やってきた。高崎旭だ。

 俺を含めたこの三人でしょっちゅう固まっているので、周囲は俺たちを三人組と言っている。

 この旭は、少々感覚がずれているようにも感じる。

「僚、子供たちのヒーローだもんね」

 俺は思わず頭を抱えた。周囲にはまだ多くのクラスメイトが残っている。微笑む旭の隣で、耕介が噴出すのをこらえてるのが見えた。

「やめろ。恥ずかしい。お前ガキか? 何がヒーローだ」

 旭は首を傾げて、不思議そうに、

「ヒーローはヒーローだよ。僚、すごいやさしいし」

「うっせえ。アホなこと言ってねえで帰るぞ。耕介、お前も気味が悪い笑い方してんじゃねえ」

 机の横にぶら下げていた鞄を取って、教室の出入り口に向かうと、後ろから二人が笑って付いて来る。

 いつもの放課後。

 ただ、今年は決定的に何かが違っていた。

 

 

 俺たち三人は、高校で知り合った。三人ともずっと同じクラスだったが、旭だけは、一年の二学期から来た転校生だった。

 俺と耕介は、耕介が俺に話しかけてくるようになったのが縁で、しょっちゅう遊ぶようになった。旭は、耕介が転入初日からちょっかいを出していた。で、その旭は俺の隣の席に座っていたから、いつの間にか三人で一緒にいることが多くなった。

 そんな仲だ。

 ある意味どこにでもいるような、ごく普通の三人。

 

 

「旭ちゃん、榎に寄ってかないか?」

「うーん」

 旭は耕介の提案に、俺の顔を覗き込む。

「気にしなくていいぞ」

そう言うと、旭の顔がパッと輝いたように見えた。

なんでそんなに甘いものが食いたいか……。『榎』とは汐風駅の南口にある喫茶店で、俺たちの行きつけの店だ。

 ちなみに『三日月園』は、隣の汐風南駅の近くにある。

 俺は、汐風南から通う電車通。他の二人は、耕介がバス通、旭が徒歩通だ。

「僚。そんなに急がないで、駅まで一緒に行こうぜ」

 耕介の言葉に腕時計を見る。電車が出る時間が近いな。ゆっくりしすぎたか。

「いや、次の電車に乗らないといけないんでな」

「しょうがねえな。じゃ、またな」

「僚、気をつけてね」

 俺は二人に背を向け、手を上げて応えた。

 旭はいつもみたいに恥ずかしげも無く、手を大きく振っているのだろう。

 なんかずれているが、あの笑顔と雰囲気は、自分を思考の深みから引き上げてくれる。

 三日月園の子供たちとも通ずるものがあるのかもしれない。子供たちの相手をしている時も、進路やら周囲の期待やら、何も考えないで済む。

 子供たちは俺に重荷を掛けてこない。

 俺は、制服の群れに混じって改札をくぐりながら、違うなと思った。

 旭は重荷を掛けてくるとかこないとか、そんなんじゃない。

 多分、

「まもなくドアが閉まります。危険ですので」

 構内アナウンスに思考を中断して走った。電車通の条件反射。閉まる寸前に列車に入る。

 そして後悔した。この時期の列車は汗ばむ乗客のせいで異常に暑苦しい。走っていたから余計だ。

 次の駅までの五分間は、まさに地獄だった。

 

 

 その日の夜、子供たちが寝付いてから家路についた。もう時計は夜の十時を回っている。

 海が近いためか、夜は風が吹いて気持ちがいい。汐風駅周辺と違って、この辺りはまだ昔ながらの家がまばらにあるだけで、自然が多く残されているためか、落ち着いた流れを持っている。

 街灯の周りに、蛾とかに混じってカブトムシがいた。

 昔あれほど夢中で探していたのに、あの気持ちはどこに置いてきたのか。

 子供たちと接した後、より深まるわだかまりが、夏の夜のこの清涼感さえも不快にさせる。

 ピピピ、と静寂を破る機械音。携帯の液晶は旭からの着信を告げていた。

「どうした?」

「あ、僚。お疲れ様。あのね、明日ヒマかな?」

「別に何もないが」

「じゃあさ、明日遊ばない? 耕介君と三人で」

「ヤツの補習前祝か?」

「もう、そんなこと言っちゃヒドイよ。……多分そうだけど」

「お前もヒドイ事言ってるぞ」

 そう言うと、笑い声が聞こえてきた。

「そうかもね。うー、耕介君には言わないでよ」

「言わねえよ。で、時間と場所は?」

 時間と場所を聞いて、二言三言他愛のないことをしゃべってから、

「じゃあ、おやすみ。夜更かしして寝坊したら、めーだからね」

「この年になって、めーはねえだろうが。ガキか俺は?」

「私はあなたの保護者ですから」

「お前に保護されるようなら、人間失格な気がするぞ」

「失礼なこと言わないでよ、もう。じゃ、おやすみ」

「おい、もしもし」

 通話はそこで終了していた。アイツ、何気にヒドイ事を言っている。それともまったく自覚していないのか。多分素だろうが、別に言われても腹は立たないから不思議といえば不思議だ。

 それよりも、明日が楽しみな自分がいる。

 さっきまでの不快な感じは消えていた。

 

 

「遅いね。耕介君」

 旭のつぶやきに駅前の時計塔を見ると、すでに十一時を回っている。

 さっきから携帯につなげようとしても、一向に出ない。

「具合でも悪いのかな?」

「あのバカ。どうせ寝坊だよ」

「僚。あまり人をバカバカ言ってると、実は言ってる人がバカなんだよ」

 俺は話す相手を間違えたと思って頭を抱えた。

「あ、来たよ」

 バスターミナルに着いたばかりのバスから、遅刻野郎が一人降りてきた。手を振って駆けてくる。

「悪い悪い。いやー実はね、バスに乗る前に妊婦さんを助けたり、おばあさんの荷物持ちをしてたら遅くなった」

 ヤツの今時誰が信じるんだといった言い訳に、信じ込まされる人物が一人いた。

「え、そうなの。耕介君ってすごいね。私たち、てっきり具合でも悪くなったんじゃないかって心配してたのよ。ねえ、僚」

 こんなヤツは、全世界でも一人しかいない天然級じゃないか。俺はそう思う。思いながらうなずいてやる。

「そうだね。すごいね。はい拍手拍手」

 棒読み状態で言ったにも関わらず、旭はすごいすごいと手を叩いた。

 耕介は髪を掻き上げながら、それほどでもとか言っている。

 俺はこの時点ですでに疲れ果てていた。

「メシ済ませてから遊ぼうぜ。腹減っちまって。つーか、起きてからなんも食ってないし」

 耕介は腹を抱え、全身で訴えていた。旭は手を口元に当て、

「え、そうなの? ま、もうそろそろお昼だし、いいよね僚?」

 俺はめまいを感じながら、そうだなと答えた。

 駅の傍ということもあって、喫茶『榎』へ行くことにした。一緒に話している旭と耕介の後姿を見ながら、俺は何か心の底に引っかかりを感じた。

 それが何か思い巡らす前に、いつの間にか隣にいた耕介が、耳元で、

「僚。実はな、ただの寝坊だったんだ」

「うっせえ。誰でもわかる」

「でも、旭ちゃんは信じてるぜ」

「お前が信じ込ませたんだろうが」

 そう言いつつ、旭の後姿を見て、どうやったら信じるのかと、少々心配になる。アイツ、将来大丈夫か?

 で、俺と耕介が後ろでこそこそやっているのが気になったのか、旭が振り向いた。ちょうどヤツが俺の裏拳を受け止めたところで、それを微笑みながら見守って(?)いた。

「二人とも本当に仲がいいよね」

 俺は、耕介のバカに構わず、旭の肩を叩いて、

「さっさと行くぞ」

 と、『榎』へ向かった。後ろでは、旭が俺と耕介を交互に見て慌てているのが、手に取るようにわかる。

「え、え、僚? ちょっと待ってよ。少しはゆっくり歩いてってば」

 旭の慌てる声を聞きながら、俺は足取りが軽くなるのを感じていた。

 

 

 駅周辺のゲーセンやカラオケ、旭の希望で洋服を見て回ると、すでに時計は六時を回っていて、周囲は暗くなり始めていた。

「じゃ、今日はこの辺でお開きだな」

「おいおい僚。まーだ早いのと違うか?」

 耕介が不満そうに言うが、旭は気がついたらしく、手をポンと叩いて、

「あ、今日も三日月園に行く日じゃない」

「そういうことだ」

 耕介も仕方ねえなと、髪を掻き上げながら納得した。

 俺たちは、旭を家まで送り、また駅へと引き返した。

「また学校でね」

 という旭の屈託のない笑顔は、夏の気だるさを吹き飛ばす清涼剤でもある。冬であれば、寒さを吹き飛ばすとかに置き換わるところだが。

 駅へ向かう途中、耕介が黙りこくっているのが気になった。いつもは、俺に一方的に言葉を掛けてくるヤツなんだが。

 駅が見えてきて、じゃ、また。と声を掛けたとき、ヤツが俺の肩を掴んで引き止めた。

 俺は、振り向いた途端、ヤツが思いつめた目で口を開くのを見た。

「僚。俺、旭ちゃんのこと好きだ」

 ヤツは、ただその一言だけ。しかし、それで十分だった。俺は、周囲の状況も目に入らなかった。ただ、この空間にヤツと俺だけがいた。

 俺は、何かが自分を締め付けるのを感じた。

 そのまま、長い時間が過ぎたように感じた。

 それは、ものの数分、いや一分にも満たなかっただろうが、あまりに長く感じた。

 俺も、耕介も、一言も発することなく、気がついたら別れていて、俺は『三日月園』に向かっていた。


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