【おかえりなさい】 - 第3話 -
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おかえりなさい
                                                      陽ノ下光一

 第3話


「また、お前は煙草吸いやがって」
 オレがいつものように園の裏口付近で口から煙を吹かせている黒崎を見つけた。黒崎は振り返りざまに何かを言いかけた様子だったが、珍しく文句も言わずにこちらをじっと見ている。
「なんだよ」
 オレが聞くと黒崎は煙をくゆらせ一息ついて、目の下を指差した。
「あざ、出来てるよ」
 オレは思わず舌打ちして、目を逸らしてしまう。これじゃあ、どちらが注意されている立場なんだか。
「アンタ、喧嘩でもしたの?」
「……転んだようにでも見えたか?」
 普段より気が立っていたためか、つっけんどんに返してしまう。
「まあ、アンタが誰と殴り合っても、私の知った事じゃないけどさ」
 黒崎は大して気に留める風でもなく、また煙草を一口吸って煙を吐き出すと、意外にも自分から火を消した。
「目は大事だから気をつけた方がいいんじゃない」
 普段なら「また注意に来たのかよ。何様なんだよアンタ」と口論になるところが、そうならないと肩透かしを食らったような気分になる。変な沈黙が2人の間に流れる。沈む夏の夕日が2人の頬をなでていた。
「今、手持ちのお金無くってさあ」
 先に口を開いたのは黒崎。ブラウスの胸ポケットから箱を取り出すとくしゃりと潰した。
「最後の1本……今日のところは」
 これ以上見てようが注意しようが、煙草吸いようが無いから放っておいてという事のようだ。
「あのなあ……」
 オレが口を開こうとした時、こちらに駆けてくる足音が聞こえた。
「ホラ、誰か来た」
 黒崎はあっち行けよという口調で、夕日の方に目を移した。近づいてくる足音と一緒に「俊一君」という奈々子の声が混じって聞こえる。
「ほら、ご指名じゃん。私よりも構ってあげた方がいい女がいるんじゃないの?」
 振り返った黒崎は、少し冷たい笑みを浮かべて突き放すようだった。


 オレ……北村俊一と、不良少女……黒崎美月との出会いは高校1年の春の事だった。
 黒崎は幼い頃からの両親による虐待と施設への入所、親権をかざした親が強引に家へ連れ戻しての繰り返しの中で育ってきた。
 最終的に親から完全に切り離す形で「おひさま園」にやってきたのは中学2年の時。大人たちの間で振り回され、信じるべき親からは散々暴力を振るわれてきた黒崎は、人間不信の塊そのものだった。
 煙草は吸う、門限は守らない、学校から神父の坂本が呼び出されることは数知れず。最初の夏までには、園内でそうした黒崎の行動に色々口を出すオレと、それに反発する黒崎の関係性が構築されていた。
「お前達、案外気が合うんじゃねえの?」
 と、面白半分に告白しちゃえよと言っていたのは、オレと同い年の広瀬孝太。からかいとしては思春期の少年少女にありがちなものだったが、オレはそう言われるたびにモヤモヤした気持ちがするのを禁じえなかった。


「奈々子、オレと付き合ってください」
 オレが2歳年上の井口奈々子に告白したのは黒崎が園にやってきた年の夏。オレの告白にいつもは朗らかな笑顔が似合う彼女は、目を泳がせていた。少しの沈黙の後、
「ごめん……実は私、孝太君と付き合ってるの」
 言いにくそうに奈々子の口から出たのは、小学校からの園の悪友の名前だった。その日の夕方、いつものように黒崎との事をからかった孝太を思いっきりぶん殴ってしまった。


「……今日なら煙草吸ってないわよ」
 そんな日の翌日、園の裏口にはまるでそこが定位置かのように黒崎が夕日を見ていた。
「…………」
 オレが無言で手の中の物を投げると、黒崎は特に表情も変えずにそれを受け取った。
「…………」
 黒崎は何も言わずに包装を解くと、胸ポケットからライターを取り出して煙を流し始めた。
「アンタも吸う?」
 黒崎が箱から1本オレに差し出してくる。オレが逡巡すると、
「慣れない事するもんじゃないわね」
 再び手を引っ込めて、箱を胸ポケットにしまった。
 しばらく沈黙が漂う。
「あのさあ」
 黒崎が煙を吐き出す。風下のオレの目に少し染みた。
「普段煙草吸うなって言っておいて、私にくれるなんて……頭どうかしたの?」
 夕日に照らされた黒崎の視線は、どこを見ているのかよく分からない。
「昨日は色々騒がしかったじゃん。アンタにしては珍しいね」
「お前に何が分かるんだよ」
 昨日の告白、ケンカの件。園内ではその話題で持ちきりだった。こんなに気まずく、居心地の悪さを感じるのは初めてだ。
「何もわかんないね」
 黒崎が突き放すように言うと、オレも思わずムッとしてしまった。
「そりゃそうだろうな」
「そりゃそうじゃん。だって私、部外者だもん」
 そう言って煙を出している黒崎は、少し笑っているようにも見えた。
「私はここに居場所なんて感じてないけど、アンタはあるんでしょ? 私に何か求めてくるなんてピントがズレてんじゃないの?」
 黒崎の言う通りで、確かに何も言い返せない。そもそもオレは黒崎に何を求めて来たのだろう。
「ま、煙草はサンキュー」
「チッ、その1箱で煙草なんて止めろよな」
 自分から煙草をあげてしまった以上、いつものような説得力には欠ける台詞だとオレ自身思った。
「あ、そうだ。アンタさあ」
 黒崎から珍しく話題を振ろうとしてくる。煙草をあげたためだろうか、それとも所在無さげにしているオレをからかいたいのだろうか。
「目は大丈夫だった? ……見えてるか?」
 これ何本だと言わんばかりに、黒崎は左手でピースサインを作ってみせた。
「2本だな」
「ふーん、大丈夫そだね」
 そう言うと黒崎はオレへの関心を失ったように、壁にもたれかかって夕日の方をぼんやりと見遣った。




 ジリリリリリリリ!
「…………っ、と……また見た……」
 布団の中からアラームを止めて、またも懐かしい思い出を夢に見た1月3日の朝。そういえば今日は、黒崎が園に戻ってくる日のはずだ。
 園からアパートに戻ってくると、なんとも素っ気無い日常生活がそこにある。1人でカップ麺をすすり、ノートPCで正月特番を見る。四半世紀前の日本人にはおおよそ考えられない正月の風景だ。
「はあ……明後日には仕事始めか」
 社会人の自殺が多い日というのは決まっているらしい。週の初めなど仕事の始まる日だ。休日の開放感から一転し、強烈なストレスに晒される最初の日は、人の憂鬱な気持ちを一層加速させるのがその理由だとか。
 まさに北村もそのような気分を禁じえない。自殺をしたいとかそういう意味ではなく、ただ生きるために面白くもない仕事を、上司の罵声を浴びながら続ける事に憂鬱以外のどの感情を持って当たれるというのだろうか。
「居場所ってどこなのかねえ?」
 北村は独りごちたが、静かな部屋の空気に吸い込まれていった。

【第4話へ続く】


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