【おかえりなさい】 - 第2話 -
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おかえりなさい
                                                      陽ノ下光一

 第2話


 電車を乗り継いで片道2時間。隣県の中心都市に北村の言う我が家はある。
 珍しく雪で始まった新年のためか、人通りの少ない元日は雪が残されまぶしい光景だ。
 北村が我が家をのぞくと、広い庭には無数の足跡。各所に作られた雪だるまが色とりどりのマフラーを装備していた。
「あ、しゅんちゃんだー!」
「ホントだ、しゅん兄ちゃんだー!」
「おっす、ガキ共。新年明けましておめでとう」
「おめでとー!!」
 わらわらと家から出てきた子どもたちが、北村の周りを囲んでお帰りの大合唱。北村がそれぞれの頭をグシャグシャ撫で回していると、年老いた男性が外へ出てきた。
「おお、俊一君。よく帰ってきたね」
「はい。お久しぶりです、坂本先生」
 柔和な顔立ちの彼は、十字を切って『主よ。俊一と会える喜びをありがとうございます』と頭を下げた。
「とにかく外は寒いだろう。中に入って。さあ、みんなも中に入ろう」
「はーい、神父様」
 わーっと走って戻る子供たちに、『走っては危ないでしょう』と中で叱る女性の声が聞こえる。
「俊一君、本当にありがとう。子供たちも喜んでいるんだ」
「大した事でもないですよ。ボールが無いとサッカーもできないですからねえ」
「いやいや、ボールではなくて君が来てくれる事を子供たちは喜んでいるんだよ」
 坂本の柔和な顔立ちでそう言われると、おもわず頬をかきたくなってしまう。なんともこそばゆいけど、悪い気分にはならない。
「しゅん兄! サッカーボールありがとー」
「ん? サッカーもいいけど、ちゃんと家の手伝いもしてるんだろうなあ?」
「してるよー。先生に怒られちゃうもん」
「怒られるからじゃねえだろ。たく、家族なんだから手伝うのは当たり前だっつーの」
「ふふ。俊一君のおかげで、子供たちがサッカー出来るって。毎日ボールを追いかけていてねえ」
 坂本同様、柔和な笑みが優しさを表しているのは、シスターの河原先生。こちらも北村が歳を取った分、随分と歳をとっていた。
「そういえば、今年は他に誰か帰ってるんですか?」
「昨日まで、まー兄ときー姉ちゃんがいたんだよー」
 絵本を読んでもらったのーと、楽しそうに女の子が教えてくれた。
「明日夜には、孝太君と奈々子君が帰って来るよ」
「あー、園を出る直前には、屈指のバカップルになっていましたね」
「お子さんも一緒らしいわよ」
「そういや、子供が出来たって夏頃に言ってました」
 うんうんと、まるで我が孫が見られるかのように頷く神父とシスター。
「3日には美月君も帰って来るね」
「えっと……美月……」
 園から巣立った大勢の子どもたち、美月っていうと誰だったか……思い出せないでいる北村に、
「ほら、煙草が手放せない」
 シスターがクスッと昔を思い出してそう言うと、
「あー、よく河原先生に怒られていましたね。黒崎ですか。アイツも帰って来るんだ」




「何よ! いいでしょ、私が吸いたいから吸ってるの! アンタに説教される筋合いないんだけど」
 ゆるくウェーブのかかった短めの黒髪を不機嫌そうにかきながら、オレをにらみつける黒崎。
「中学生が吸うもんじゃねえだろ!」
 オレが黒崎から取り上げた煙草を足でグシグシ潰すと、黒崎は一層不機嫌になって声を荒げた。
「ふん。たかが私より2歳年上なだけで、何なの? アンタ私のお兄ちゃんでも気取ってるの?」
「たりめーだろ! 家族なんだっつーの」
「私は別にここに来たくて来たんじゃないんだけど。そもそも血も繋がってないアンタが家族? はあ、何バカ言ってるわけ?」




「…………なんかえらくはっきりした夢だな」
 周囲は真っ暗で、良く見ると自分の周りには子供たちが集まってスースーと寝息を立てていた。こんなに大勢とご飯を食べて、お風呂に入って、遊んで寝たのはいつ以来だろう。
 そんな空間で、坂本から美月の話を聞いたせいか、昔の事でも思い出したのだろう。などと思いながら、北村は再び眠りについた。


 2日の北村はというと、まず朝から、
「しゅーんちゃーん、おーきーてー!」
「ぶふっ、ゲホゲホ」
「せんせー、しゅんちゃん起こしたよー!」
 布団の上から子供達のダイビング。起こしたという表現が疑わしい手荒な洗礼で朝が始まった。
 着替えを終えた北村が、「はやく朝ごはん朝ごはん〜」と袖を引っ張る子供達を伴って食堂に現れると、いくつかの机を合わせた上に食事が並んでいた。普段の即席麺の寂しい光景と異なり、見ただけで五感が刺激されるような温かい食卓だ。
「俊一君、おはよう」
 子供達にスープの配膳をしていた坂本は、北村の姿を認めるとにこやかな挨拶をしてくれた。
「せんせー、わたしが起こしたんだよー」
「そうか、静ちゃん。ありがとう」
 えへへー、と褒められて上機嫌の子供だが、あれは起こすという行為ではないだろうと北村は腹をさすりながら思っていた。
「さて、ではみんな。席に着きましょう」
 はーい、という声を上げ全員が席に着くと、朝のお祈りが始まった。お祈りと言っても、よくよく思えばその内容は通常の家庭での「いただきます」を丁寧にしたものだ。命あるものを命あるものが食べることへの感謝の念を言葉にする。北村は改めて、アパートの一室で深夜にインスタント食品を摂取していると、人間的な側面が失われていくように感じた。こういう「家」が実家だからこそ感じるものだろうか。
 その後のがやがやと騒がしく囲む食卓も、北村にとっては懐かしくもあり新鮮でもあった。
その日の北村は坂本や河原の手伝いをしながら、子供達と一日中遊び回るという、おおよその20代男性が経験しないだろう正月休みを満喫していた。こういう時間はあっという間に流れさる。2日目も夕方に差し掛かり、北村は1人住まいのアパートに戻る準備を始めた。といっても、北村を引きとめようとする子供達が荷物を隠したり、背中におぶさったりする中での作業は思った以上の難易度であった。
「お、俊一! 久しぶりじゃねえか」
 そうこうする内に、俊一が園にいた頃のバカップル、孝太・奈々子夫妻の帰省時刻になっていた。
「みんな、俊一君でよく遊んだのかなあ?」
 広瀬奈々子こと旧姓・井口奈々子が、ほんわかのんびりした口調で子供達に語りかけると、彼らは口々に「うん、遊んだ遊んだー!」と返してくる。
「奈々子さん、日本語間違っている! オレでじゃなくて、オレと遊んだ……でしょ」
 あれー、そうだっけ? と、首を傾げる奈々子は変わらず可愛い。
「俊一君も相変わらず日本語間違えてるわよねえ」
「そうそう。変わらずお前もバカだなあ」
 逆に北村が広瀬夫妻に言葉遣いを指摘される始末。そして同時に、こんな可愛い人を嫁にした孝太は、北村にとって憎たらしくも感じる。
「さん付けなんて、他人みたいにねえ。ねえ、孝ちゃん」
「そうそう。あれだけ家族家族って言っているヤツが」
「いや……孝太のバカはともかく、奈々子さんはその……なんというか」
 北村と孝太は同い年だが、奈々子は彼らの2つ上の先輩だった。という年齢差は呼び方へのさしたる問題ではなく、若かりし日の色々な思い出のせいもあって、北村は奈々子に対する「さん付け」だけは止めることが出来なかった。
「まあ、当時はお前もオレも若かったからな」
 と、事情を知る孝太がバンバン北村の背中を叩いた。奈々子は小さな赤ん坊を抱きながら、それをニコニコ見ていた。
「今ではお前みたいなヤツに子供がいるとはね。孝太みたいなバカにならないといいけどな」
「バカとはなんだ、バカとは。オレと奈々子の愛の結晶だぞ」
 と、寝ている赤ん坊の頬をプニプニつついて、奈々子似の可愛い女の子になるぞー、と頬をほころばせていた。
「んで、お前は今日帰るの?」
「ああ、ホントはもう帰ってるはずだったんだが」
 と、視線を下に落とすと子供達が北村の裾を掴んで離さない。
「まあ、いつものことだわな」
「明日までいれば、みっちゃんにも会えるわよ?」
 黒崎か。北村自身、園を出てから疎遠になった仲間もいれば、広瀬夫妻のように年に何回か連絡を取り合って会う仲間もいる。黒崎はその前者だった。
 園にいるのは長くても18歳の高校卒業の時まで。北村が園を出てから8年になる。
「黒崎に会ったの、もう6年も前になるのか」
「あれ? 黒崎が園出た年から会ってないのか?」
 孝太が意外と言わんばかりに聞いてくる。北村はうなづき返した。
「お前らなんだかんだ色々あったからな。ここ出てからも会ってると思ったよ」
 孝太の言うように、黒崎との間にはとにかく色々あった。多分、園にいた当時の人間関係では奇妙な感じでの濃厚さは一番だっただろう。
 しかし、当時はお互い携帯すら持っていなかったし、いつしか連絡が途絶えていた。互いに園に顔を出してはいたものの、来る時期がすれ違いで長らく会う機会にも恵まれなかった。
「オレみたいに殴りあった人間とは今でも連絡してんののねえ」
 孝太が半ばあきれたように言ってくる。
「まあ、みっちゃんには私達も6年前に会ったのが最後だけどねえ」
 久しぶりに会うのが楽しみ、美人になってるだろうなあと奈々子が嬉しそうに口にする。
「せっかくなんだし、連絡取り合ったらどうだ?」
 孝太は黒崎に北村の携帯番号を教えておく事を提案してきた。北村も黒崎と奇妙な関係だったとは言え、別に連絡を取り合いたくないわけでもなかった。
「じゃあ、うん。伝えといてくれ」


 結局その後の北村は子供達がどうしても彼を離さなかったため、広瀬一家も交えて晩御飯を食べ、子供達が寝静まってから終電でアパートへ帰る事となった。
 アパートは園と違い、しんとした静けさ。周囲の部屋も新年は帰省しているのか、壁越しに聞こえるかすかなBGMも、ドアの開閉する音もほとんど聞こえない。
 昨夜見上げた天井は、前衛芸術ともよぶべき子供達の似顔絵や不器用な飾りつけが賑やかだったが、今日見上げる天井はひたすらに真っ白。
「黒崎。うん、黒崎か……どうしてんのかね、アイツ」
 またこんな風に懐かしい時に思いをはせていると、当時の夢を連日見そうな気がするなと思いながら、北村は重くなったまぶたを閉じた。

【第3話へ続く】


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