【巡り会う運命】 - 最終章 -
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「来たぞ! 衛生兵は待機」

 浮遊要塞の発着港には、宮廷近衛兵十人と衛生兵五人。そして出迎えの下級貴族が一人、他に見物に来た貴族十人が要塞に接岸する飛行艇を見ていた。

 激戦があったというからには負傷兵が護送に当たって、健常な兵士が地上に残ったのだろうと考え、衛生兵も待機しているという気の利かせようである。

 地上の状況をいち早く把握したいという動機のためであり、兵士たちに対する気遣いなど彼らにあるわけはなかった。

「どこまで制圧したのだろう?」

「早く首謀者らの首が並ぶのを見たいものだ」

 『神は常に我らと共にある』『特権と世の支配は神に付与された神聖不可侵の領域である』というのは貴族たちの通念である。それ以外の世界など彼らにはなかった。

 しかし貴族たちも人間である以上、情報に対する飢えを抑える事はできなかった。

 しかし、接岸した四隻の飛行艇から人の出る気配がない。乗員は無事なのかと衛生兵と近衛兵が駆け寄った。

 次の瞬間、先頭の飛行艇の扉が開き、中から女性が出てきた。兵士たちが何かを言う前に、彼女の手から生み出された光の奔流が、通路にひしめく兵士全員を焼死体にした。

 それを合図に、全ての飛行艇からレジスタンスの乗組員が飛び出した。

「暴徒どもの一味か」

「貴様、逆賊スミア・テレーズでは」

 アレックスの生み出した炎の矢は、死が平等であることを"神聖不可侵"である貴族たちに知らしめることとなった。

 魔術とは、それを発動させるのに何か文言が必要なわけではない。術を具現化させコントロールし易くするために用いられる程度である。例えば、炎を矢のように出現させたければ、それを言葉にすることでイメージの手助けにできるわけである。

 だから、今の二人のように言葉にしなくても発動はできる。その規模は術者の才能、キャパシティによるし、その時の精神状態にもよる。

「よし、それじゃあ計画通り、退路の確保と陽動班に分かれろ。後は、オレとテレーズが障壁発生装置のある部屋へ。陽動班はハデに暴れろ!」

「了解だ!」

 陽動部隊を率いるリーダーが力強く頷いて、部下を引き連れ要塞内部へ突入していった。彼らは、事前にサビーネの情報による要塞内の地図を記憶しており、テレーズにいくつかの隠し道を教えられている。

 その最大の目標は要塞の居住スペース、つまり宮殿である。ここを攻撃すれば兵士の多くは王や貴族を守るために集結しなくてはならない。陽動としてこれ以上の目標はない。

「よし。テレーズ、行くぞ!」

 テレーズは頷いて走り出した。アレックスはぴったりその脇について走る。

 本来なら先頭に出て敵を一手に引き受けてやりたいが、要塞内の地理を熟知している彼女より前に出ることは罠などに掛かる危険を増大させるだけである。

「テレーズ」

「なんですか?」

「この戦いが終わったらどうするんだ?」

 テレーズはしばらく無言で走り続けた。息を切らせる様子も見せない。相当鍛えられている。脚力もあり、アレックスの足に十分付いてこられるものであった。

 テレーズは傍らを走るアレックスの顔を見て、口の端に笑みを浮かべた。

 アレックスさんに任せますよ。そうその表情は物語っていた。

 アレックスは前方を通りかかった兵士に剣を振るい、一刀の元に首を刎ねた。

「こんなとこでするには不謹慎な話だな」

「そうですね」

 アレックスは照れ隠しに言っただけだったが、テレーズはそうは受け止められなかったらしく、真剣な表情で前方を見つめた。

 

 

 ポールは、パリス市北方のクレルモン山脈から様子を見守っていた。野戦用の望遠鏡から目を離した彼は安堵の溜め息をついた。

「どうやら乗り込むのには成功したな」

 彼らが要塞の障壁を消すことに成功すれば、ポールの後ろにある臼砲が火を噴き、要塞に百五十ミリの巨弾を撃ち込む事が可能となる。

 巨弾は魔鉱石を中に含んでいる。封じ込められているのは術者が最も少ない土属性の魔術で、風属性の魔術を相殺する。

 臼砲も巨弾も、国外の援助グループ、特にイタリアなどのようにパリスに介入されてきた歴史を持つ国家から、傭兵ギルド経由で手に入れたものである。

 これを浮遊要塞に撃ち込めば、いくらその土台に巨大な魔鉱石をふんだんに使っているとはいえ、その自重に耐え切れなくなり要塞は山脈の中に落ちるであろう。

 ポールは、要塞を武力攻略することは困難であると見抜いていたため、魔術相殺による要塞の"撃墜"を考えていたのである。

 それには障壁をどうするかが焦点だった。

「ポールさん。大変だ!」

 ポールが振り向くと、部下の一人が息を切らせて走ってきた。

「こ、この山に向かって来ている一団が……そ、それも、百や二百じゃねえ」

 ポールは男が指差す方を望遠鏡で覗いた。パリスの市内からやってくる一団。五百は軽く上回る。

「あいつら軍隊だけじゃねえぞ」

 軍隊は市内で苦戦を強いられている。その隙に砲撃を行うのがポールの考えで、それは成功している。

「特権商人の私兵軍団だ。くそっ! 誰か内通してたのか?」

 ポールは強く舌打ちをすると部下たちに命じた。

「しょうがねえ。砲撃班以外は全員配置に着け。何が何でも要塞に砲撃を加えるまで持ちこたえるんだ」

 ポールはそう檄を飛ばすと、要塞に視線を戻した。

「頼むから、急いでくれよ」

 その呟きは、山を登り始めた商人の私兵軍団が放った魔術の爆裂音にかき消された。

 

 

「氷漬けになっちまえ!」

 アレックスの叫びとともに、横手の通路から現れた数名の兵士が大人の倍近い高さの通路ごと氷漬けにされた。そのことで、後ろに続いていた敵兵が足を止められた。

 陽動部隊が宮殿の方に向かっているとはいえ、アレックスたちの向かう場所はこの要塞の重要な箇所に当たる。護衛の兵士や援護が皆無なわけはない。

「テレーズ。まだか?」

「あと少しです」

 その台詞はすでに何度目かになっていた。

 三十段以上の階段を昇降すること二十数回、百メートル以上の通路を走り、迷路のような道を走ることは数え切れなかった。

「あの突き当りを右に折れると、緩やかな坂になっています。その行き止まりにある扉が」

 テレーズはそこで言葉を止めて、下段に構えていた剣を上段に振り上げ、前から突っ込んできた兵士の刀を弾き、降ろす一刀でその顔面を切り裂いた。

 アレックスはその間に兵士の後ろにいた魔術師に腰だめから小刀を投げて、その腕に命中させた。ひるんだ隙に、接近して一刀のもとに切り伏せる。

「その扉が、障壁の発生装置……魔鉱石のある部屋ってことだな」

 そう続けたアレックスの言葉にテレーズは首肯した。

 東西南北に各一キロというと狭いように感じるが、実際には浮遊要塞の地上、つまり空中庭園には建造物が立ち並び、地下の構造物には迷路のような通路が張り巡らされている。その大きさ以上に内部は広かった。

「炎よ壁となれ!」

 通路を折れた瞬間、アレックスの叫びに応じて二人の前に通路を埋め尽くす炎の壁が広がった。そこへ、これもやはり通路を埋め尽くさん限りの氷の槍が突き刺さる。火と水の属性相殺が起こり、アレックスたちに届く前に全ての槍が消滅した。

「雷の雨よ」

炎の壁と氷の槍が消滅する瞬間、それぞれの属性に干渉しない雷撃系の術が、坂の下にいた魔術師四名を包み込み、声を上げさせる時間も与えず薙ぎ倒した。

 アレックスは思わず口笛を鳴らした。

「ありがとうございます」

 戦いの時でも、テレーズの落ち着きと丁寧な言葉遣いは変わらなかった。

「オレが使う属性がよくわかったな」

 アレックスが感心して言った。もちろん坂を下りながらである。

「通路の先に感じた気配から先読みしただけですよ」

 テレーズは頬を赤く染めていた。照れ隠しか、視線はアレックスの方に向けていない。

 気配から、その先読みまで行ったことにアレックスは驚いていた。戦いの経験が豊富な者にしかわからないものだからだ。

「小さい時から訓練も受けていますし」

 テレーズは言うが、訓練だけでそのようなことはできない。これは戦闘勘だからだ。

「テレーズはオレより才能あるぜ、絶対。そんな感覚、実戦積んだってそうそう身に付かねえのに」

 テレーズは笑みをこぼした。戦闘力の高さを褒められるのが嬉しいのだ。

 二人は、自分たちの身長の倍はある扉の前で止まった。

「ちょっと待ってください」

 テレーズは扉の脇にある柱を調べていた。やがて一箇所外れる部分を見つけ、中にあるレバーを倒した。

「な、なんだこれは?」

 アレックスは扉の中から現れた光景に目を奪われた。

 部屋はかなり広く、天井まで四メートルほど。部屋自体は五十メートル四方に及び、その壁には手前の壁から時計回りに赤、青、緑、黄色に光る魔鉱石が埋め込まれていた。

 赤は火、青は水、緑は風、黄は土に対応する属性色である。

 しかし、アレックスが目を奪われたのは、部屋の中央に鎮座する巨大な黒色の魔鉱石である。

 その大きさは幅だけでも十メートルを越している。高さは天井近くにまで達していた。

「それは、多目的型鉱石です」

「多目的型?」

「はい。ふつう火と水、風と土属性は相殺しますが、鉱石に封じた状態では、外から対属性の魔術を掛けられない限り相殺しません。これは、それぞれの鉱石を巨大な炉で溶かして作り上げる特殊な鉱石です」

「何に使っているんだ?」

「この部屋の魔鉱石の力を要塞の外に展開させているんです。つまり魔術の転送展開用鉱石と言えばいいでしょうか」

 アレックスは興味深そうに鉱石を見ていた。

「で、こいつらを壊せばいいわけだ」

 テレーズは首肯した。

「それぞれの魔鉱石は対属性魔術を掛ければいいだけです」

「じゃあ、早速やろうぜ。これだけ広い部屋だと多少大きい魔術を使っても大丈夫だろう」

 アレックスはそう言うと、手前にあった赤色の壁に向き直った。

「あ、でも、この黒色魔鉱石は、物理攻撃を防ぐ障壁を張っています。これも潰さないと意味がありません」

 飛んでくる砲弾の中身は魔術弾だが、到達するのには弾丸という物体を使う。それを言っているのだ。

「けどよ。これ、どうやって壊すんだ」

 アレックスは剣で軽く叩いたが、叩き壊せるような物ではない。

「黒色魔鉱石は矛盾の物体なんです」

「?」

「ですから、その矛盾をこの鉱石にぶつければいいんです」

 アレックスは、テレーズの言わんとすることを理解した。

「よし、コイツから潰そう。反対側から雷撃を撃ってくれ」

「はい」

 テレーズは頷くと、アレックスと魔鉱石を挟んで向かい合った。互いの姿は見えなくとも、気配でわかる。

「それじゃいくぞ」

テレーズが頷いたのか、動く気配がした。

 一瞬の沈黙。

「土に還れ!」

「雷よ!」

 二人の声は同時であった。

 石の表面で連続した爆発と、雷撃の奔流が衝突し、互いに相殺し合った。

「!」

「きゃっ!」

 二人は壁に叩きつけられた。石の内部に封じられていたそれぞれの属性魔術が相殺しあって、衝撃波を生んだのである。

 その余波は周囲の壁に埋め込まれている魔鉱石にも及び、部屋全体で相互干渉が起こった。

 

 

「ポールさん! 障壁が破れました」

 ポールたちは、懸命に山を登ってくる私兵軍団を防いでいた。

 もう山の中腹までが占拠されており、あと一時間持つかどうかというところであった。

 ポールは部下の言葉に促され、南部のフォンテンブロー山脈を望遠鏡で見やった。 

 山脈のヴェルサイユ村上空に浮遊要塞がある。その下の村付近から煙が数条立ち上がっていた。それはポールが部下に指示して上げさせているものであった。

 ヴェルサイユは山脈の中にある鉱山街で、その標高は七百メートル。そこから要塞の障壁までは約三百メートルほどである。

 煙は要塞の底辺部に達していた。つまり物理的な障壁は存在していない。

「やってくれたか。よし、ただちに砲撃開始だ。砲身が壊れるまで撃ち込みまくれ!」

 ポールの言葉に、砲台にとりついている二十人が、忙しく動き始めた。

 轟音とともに一発目が撃ち出され、すぐに二発目が十人がかりで装填される。

「一発目、命中!」

 周りから喚声が上がった。

「待て! 今のは火薬が炸裂しただけだ。魔術弾は相殺されている」

 ポールは望遠鏡を覗きながらそう言った。

 部下たちはその言葉に肩を落としたが、ポールは諦めていなかった。

「砲撃を続けろ! まだ物理障壁以外の障壁が解除されてないだけかもしれねえ」

 その言葉に応じ、二発目が発射された。

「よし!」

 今度こそ、攻撃が成功したと知って、周囲は沸いた。

 砲弾は炸裂時に火薬爆発で分散し、各所に魔術弾をばら撒く。有効範囲は一発で半径百メートルに達する。それぞれが厚い装甲を貫通する徹甲弾である。

 要塞の底部で炸裂すれば、風属性の緑色魔鉱石を相殺する。要塞の最底部は緑色魔鉱石で構成されており、その力で空中に浮いているのだ。

「アイツら……脱出できるだろうか?」

 ポールは要塞内部で戦っているメンバーたち、特にサビーネに繋がる二人が気に掛かったが、次の瞬間には、私兵軍団が要塞を落とさせるものかと猛攻撃を掛けてきた。

 ポールもまた、無事この急場を凌げるかというと、可能性は絶無であった。

 

 

「邪魔するな!」

 アレックスは前方を塞いでいる十人以上の兵士に向けて雷撃を放ち、戦闘不能にしたが、彼らが放った矢を一本右肩に食らった。

「チッ」

 アレックスは一瞬顔を苦痛で歪めながら、その矢を引き抜いた。幸い毒は塗られていなかったらしい。

「退いて!」

 テレーズはその隙に向かってきた敵兵を切り伏せていた。

「大丈夫ですか?」

 アレックスは親指を立てて笑みを浮かべたが、びっしりと玉の汗をかいていた。顔は青ざめており、決して余裕のないことを示していた。

 テレーズもアレックスも過度の魔術使用から魔力は底を尽きかけており、これ以上使い続けると命の危険すら出てくる可能性があった。

「!」

 壁際を走っていたテレーズが声にならない悲鳴を上げた。急に要塞が傾いたため、壁に身体をしたたかに打ちつけたのである。

「だ、大丈夫です」

 アレックスが手を差し出してくるが、テレーズは自力で立ち上がった。しかし苦痛に表情を歪めた。

「あ……」

 テレーズはアレックスに左腕をつかまれ、反射的に声を漏らした。アレックスは表情を僅かに曇らせた。

「折れてるじゃねえか」

「大丈夫ですよ。そんなに重くない剣ですから」

 そう言って、無理に笑みを浮かべながら、右手一本で剣を拾い上げた。

 テレーズのスタイルは両手持ちであり、片手のみになったということは、普段より剣の反射速度が落ちることを意味する。

「それより、急いで脱出しましょう」

 アレックスは、テレーズが痛みを無理にでも気にしていない振りをしていることに気づいており、それゆえにその話題は出さないことにした。

「そうだな。オッサンたちが砲撃に成功しだしたんだ、早くしないと要塞ごと地上に落ちちまう」

 アレックスもまた笑みを浮かべた。二人とも余裕はない。

「いたぞ!」

「道連れにしてやる!」

 兵士や魔術師が三十人以上、二人の視界に飛び込んできた。

 要塞の状況に助からないことを感じているのか、その目つきは異様に血走っている。

「テレーズ。共同魔法って知ってるか?」

 テレーズは頷いた。

「あまり魔力も残ってねえし、一か八かやってみるか?」

「はい!」

 共同魔法は、術者同士の相性がよければ普通に魔術を使うよりも遥かに大きな威力を発揮する。しかし発動しない場合もある。これは賭けであった。

「幸い通路も広いしな」

 そこは飛行艇の発着港に繋がる連絡通路である。ここを切り抜ければ生きて帰れるはずである。

 二人は固く手を繋ぎ、もう片方の手を向かって来る兵団に向けてかざした。

 十人以上の歩兵が剣や槍を構え突進してくる一方で、弓兵十名近くが弓を引き絞って二人に狙いを定める。その後ろでは魔術師数名が手をかざして、今まさに魔術を放とうという瞬間であった。

「雷よ奔流となって道を開け!」

 二人の言葉が完全に重なった。

「!」

 雷撃の奔流は、高さ十メートル、幅二十メートルの広い通路一面を埋め尽くし、魔術師の放った術も、弓兵の放った矢も全て飲み込み、兵団の全てをも飲み込んで通路全体を包み込んだ。

 それが収まった後には、何も残っていなかった。消し飛んだ兵士たちは痛みを感じる暇すら無かっただろう。通路の耐魔術壁もところどころ剥げ落ちている。

 二人は手を繋いだまま、その場にへたり込んだ。

 二人とも、余りの威力に圧倒されたのと消耗感で立ち上がれなかったが、次の瞬間には笑い出した。

「成功したぞ!」

「そうですね。相性が合っていたんですね」

 二人はひとしきり笑った後、砲弾が炸裂した音を聞いて、腰を上げた。

「さて、急ぐぞ」

「はい」

 二人は走り出したところで、手をまだ繋いだままであることに気づき、慌てて手を離した。そして今度は走りながら笑みをこぼした。

「ところでさ、さっきなんでオレの言葉がわかったんだ?」

「アレックスさんこそ、何でわかったんですか?」

 アレックスが傍らを走るテレーズの顔を見ると、向こうはアレックスを見て小首を傾げていた。

「ま、いいよな。とにかく相性がよかったんだ」

「そうですね」

 二人の会話は危機感とは無縁であった。

 しかし発着港に戻った二人の前には、戦闘後の光景が残るだけであった。

 発着港の確保に当たっていたグループと引き返してきた陽動部隊、それを上回る数の貴族と兵士の死体が散乱していた。

「全滅かよ」

 逃げ出そうとして発着港に殺到した貴族や兵士たちと激戦を繰り広げたのであろう。

 飛行艇も破壊され、全て使い物にならなくなっている。

「うおっ!」

 轟音とともに再び要塞が傾いた。崩壊音という断末魔が、落下までの時間の無い事を知らせていた。

「きゃっ!」

 テレーズが小さな叫び声とともに、発着港から足を滑らせた。なんとか床に手を掛けて下に落ちるのは防いでいた。そこにあった転落防止用の柵は破壊されていたのだ。

 テレーズの足元にはフォンテンブロー山脈が広がっている。

 テレーズは思わずその光景に小さな悲鳴を上げた。本能的なおびえというものである。テレーズの眼前を死んだ兵士が滑り落ち、眼下に消えて行った。

「く、くそっ!」

アレックスは要塞が揺れ動くため、テレーズに手を伸ばそうにも伸ばせなかったが、僅かに揺れが収まった隙にテレーズの手を取り、引き上げた。

「アレックスさん! 後ろ」

 アレックスがテレーズを引っ張り上げたその時、アレックスの背後から一人の兵士が襲いかかった。

 咄嗟の事にアレックスは反応できない。テレーズもまた剣を失っており、バランスを取りきれていないこともあり反応が遅れた。

「っ……!」

 アレックスは余りの苦痛に膝を着いた。右腕を肩口から切り落とされたのである。

 混乱しているのか兵士の視界にはアレックスしか入っていないらしく、再び剣を振りかぶり、止めを刺そうとしたところを、テレーズが放った雷撃を受けて首から上を弾き飛ばされた。

「アレックスさん!」

 テレーズの声は上ずっていた。目には涙が滲んでいる。

「は、はは、少しは効いたな」

 アレックスは笑おうとして失敗した。表情が引きつり苦痛に歪む。

 テレーズは軍服の左腕と左足部分を引き裂いて、アレックスの肩口から腰にかけて幾重にも巻きつけ止血をした。彼女も左手を骨折しているため、アレックスも残った腕でそれを手伝った。

 要塞は傾きの度合いを増し始めていた。このまま墜落するだろう。

「は、これまでか?」

 アレックスは微かに笑みを浮かべながらそう呟いた。テレーズは黙っていたが、急に何かを思い出したように立ち上がった。

「スミア邸に行きましょう!」

「?」

「まだ小型の飛行艇があるかもしれません。父上たちが私の後を追って逃げるために隠して置いたものがあるんです」

 諦めかけていたアレックスの瞳に再び生気が宿った。

「よし、行こう!」

「はい!」

 テレーズは、重傷のアレックスに肩を貸しながら、それほど早くない足取りで要塞の奥に消えて行った。

 

 





『我々の勝利である!

 パリス全国民に告げる。我々は悪政の象徴たる浮遊要塞を七月二十日に陥落させた。

 国王ルイ十六世は王妃マリーと脱出したが、結局逮捕され、去る八月二十六日、パリス市内のコンコルド広場にて断頭台により公開処刑した。

 同時に人権宣言を発布し、これよりパリスはフランス共和国と名を改め、民主国家の道を歩むことになる。多くの同胞たちの血によって勝ち取られた勝利は、後世に長く語り継がれるであろう。

この民衆の革命に際しレジスタンスを指揮し、勝利に導きながらも、七月二十日に壮烈な戦死を遂げたジャック・ポール氏に哀悼の意を表す』

八月二十七日付の立憲派新聞『国民新聞』の夕刊

 

 





『私の両親は、このフランス革命の直後アメリカに亡命した。父は右腕がなく、物心ついた頃から私はそれが気になって尋ねたりもしたが、笑ってごまかすだけであった。

 母は英雄譚が好きで、幼い私によく本を読んで聞かせてくれた。私が歴史家になったのは、母が読んでくれた英雄たちに興味を持ったからという単純な動機に他ならない。母は自分の旧姓がエルトリア帝国戦記の英雄と同じだといっては喜んでいた。                 

そういえば、父の旧姓はフレイズであり、かのウィンディ将軍の恋人と言われたイワキ将軍と同姓だ。母はこの英雄譚が父と自分を結び付けたと言っていた。母は物語が好きであったから、その辺りに運命でも感じたのであろう。

しかしだからといって私は今に生きるのだから、そのような過去の血筋や家柄はどうでもいいことだ。これは、今は亡き両親の口癖でもあった。

 私の名前はイワキである。両親は娘が生まれたならウィンディとするつもりであったらしい。両雄の結ばれなかった恋を偲んでのことだろう。

 娘が二人いたら、もう一人はサビーネと付けるつもりだったとか。これは死んだ親友の名だと言っていた。

 私は今、アメリカのプリンストン歴史大学において歴史学を研究できるようになったことを、両親に感謝したい。そして、この本を手に取られた方にとって、歴史学を学ぶきっかけになるならば幸いである。人は常にどこかで相互作用をしながら生きることを、私は両親から学んだ。その相互作用こそが歴史を作り上げていること、それを学んでいただけると非常に喜ばしいことである』

 Sumia・Freizu・Iwakiの『History of Continental States』

発行を記念するキャンペーン中のパリス公演(一八六〇年七月十四日フランス革命記念日)の言葉より抜粋。

 


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