【巡り会う運命】 - 第四章 -
←第三章へ戻る     小説〜ストーリー一覧へ戻る      最終章へ進む→

 七月十六日に日付が変わる頃、サビーネはパリス市でも最も北側に位置するサン・マルタン門の近くまで来ていた。郊外に脱出し、外のレジスタンス組織と合流する望みは捨ててはいなかった。

 すでに、パリス市の四方から二千近い兵力が流れ込み、市民軍と市街戦を展開しており、市内の各所から火の手が上がっていた。

 サビーネのいる辺りは昼の内に既に戦闘が終結した地域であり、最前線に国軍の目が注がれている今は脱出の好機であった。

「そこの女、止まれ」

 サビーネは門側を向いたまま、視線だけを僅かに後ろへ送った。

 青を基調とした制服を着込んだ男が五名。思想弾圧を主任務とし、絶大な権限を振るって市民の恐怖の対象となっている、国家秘密警察である。

「何かしら?」

 サビーネは振り向いたそのままの姿勢で男たちを睨みつけた。

「外出禁止令違反だ。お前を逮捕する」

 リーダー格らしき男がそう言い放つと、残りの男たちがサビーネを取り押さえにかかった。

 あと一歩のところで見つかるとはね。

 サビーネは舌打ちした。

「もちろんそれだけではないがな。傭兵ギルドのパリス支部長殿」

 サビーネはその男の言い方に生理的な嫌悪すら覚えた。舌なめずりして獲物を狩ることに快感を覚えているのだろう。

 実際、秘密警察に検挙された"思想犯"、その多くは『抵抗』したとして殺されるのである。

 例えば、検挙した老人がふらついて彼らの肩に当たることも立派な『抵抗』なのである。

「レジスタンス過激派の幹部の間を行き来していたのはわかっているのだ」

 サビーネは後ろから羽交い絞めにされ身動きできず、男を睨みつけ強がるのが精一杯の『抵抗』であった。彼女は普段から強がってはいるが、別に身体能力が優れているわけでもない。男世界で生きるために身に付けた強さは腕力ではなかった。

「たっぷり仲間のことを吐いてもらいますよ」

 男はそう言って、サビーネの顎から首筋に手を触れた。

「汚ねえ手で触れるな。この獣野郎!」

 サビーネは言い放つと、首筋に触れていた男につばを吐きかけた。

 男はハンカチでつばをぬぐうと、静かな目でサビーネを睨みつけた。

「抵抗は万死に値する。楽に死ねると思うなよ」

 男はすぐ側の廃屋へ視線を移した。部下だろう男達の野卑な笑いと視線は、サビーネの肢体を品定めするかのようであった。

 

 

 アレックスはポールに会いに行く決心がつかず、結局疲れ果てていたこともあり、ギルドの仮眠室で眠った。テレーズも寝ていなかったらしく、三階の寝室で休んでいた。

 そして日付が変わって十六日の太陽が出てきた頃に起きだしたアレックスは、ギルドに駆け込んできた傭兵の一人とぶつかって尻餅をついた。

「あ、アレックスさん。大変です!」

 その男は謝りもせず、慌ててそう言った。その様子から、ただ事ではないと察したアレックスは、黙って立ち上がった。

 ちょうどそこへテレーズも降りてきた。

 テレーズの姿を認めた傭兵は、サビーネ以外の女性がギルドにいたことに少々驚いた様子を見せたが、それも一瞬であった。

「あ、姐御が。サビーネさんが殺されてるんですよ!」

 その言葉にテレーズは手で口元を覆い、目をむき出して驚いた。アレックスは、傭兵の胸倉をつかんだ。

「ウソだろ」

 アレックスがそう言うと、傭兵は俯いてしまったが、アレックスは傭兵の胸倉を激しく揺さぶって再度叫んだ。

「ウソだろ!」

 傭兵は首を横に振った。

 アレックスは、傭兵を解放してうなだれた。

「サン・マルタン門近くの廃屋で……その殺され方が」

「殺され方がどうした?」

 アレックスはサビーネの死を予感していても、実際それを受け入れられるかは別の事であった。

「口にはさるぐつわがされていて……多分、舌を噛み切られないようにしたんでしょうが……」

 傭兵が遠まわしに話を切り出すことに、アレックスは苛立ちを覚えた。

「はっきり言えよ! どう殺された」

「犯された挙句に最期は首を絞められて」

 傭兵は悲痛な面持ちでそう告げた。

 テレーズの口から嗚咽が漏れ始めていた。アレックスは壁を思い切り拳で殴りつけた。

 

 

アレックスはそれでもサビーネが殺害されたのを認めきれず、傭兵の案内で現場へ向かった。テレーズも、フードを被ってついてきている。

「酷い事しやがる」

「子供まで殺しやがった」

「みんな。神父様をお連れしたぞ」

現場では、表面上は落ちついたらしい付近の住民が、戦闘で無くなった人の埋葬をしていた。その中にサビーネも含まれていた。

その有様を見かねた市民が掛けたのだろうか、大きな布生地がサビーネの上には掛けられていた。さるぐつわもとられている。しかし、どういう仕打ちを受けたかは明らかであった。布から出ている顔や手足についた無数のあざや擦り傷。アレックスは布生地の下を確認する気にはなれなかった。

アレックスはサビーネの手が握っているものに気がついた。

それは小さな金製のバッチであった。それをつけているのは秘密警察だけである。

「テレーズ」

「はい?」

 テレーズの目は赤かったが、すでに涙は止まっていた。ここ数日の間に起きた出来事が余りに急で、涙さえ出なくなったのかもしれない。

「ポールに会う」

 それはつまり、レジスタンスに入るということである。

「レジスタンスは気に食わねえが、サビーネのためにもな」

 アレックスはそう言って、市民たちがサビーネの遺体を運んでいくのを見た。

「私も……サビーネさんの仇が」

 テレーズの肩は、怒りに震えていた。

 アレックスは先ほどの考えが間違っていたことに気づいた。

 テレーズはサビーネの仇をとる決意をしていたのだ。まだ泣き続けていたいはずだろうに。

 アレックスは、テレーズと密かにその場を後にした。

 後ろからは、神父の死者に捧げる祈りの文句が聞こえてきた。

 

 

「ポールさん。二人が来ました」

 ポールが自室で資料に目を通していたところ、彼の部下が部屋に入ってきた。

 彼の邸宅は、パリス市でも最も東端に位置する場所であった。そこは、セーヌ川を挟んで南側の地区であり、商人たちが多く住む地区であった。ポール自身も宮廷への出入りは許されていないが、武器商人である。

「そうか。通せ」

 ポールは資料から目を離さずそう言った。

 部下が部屋を出て行って何分もしない内に、アレックスとテレーズの二人が入ってきた。

 ポールは入ってきた二人を一瞥するなりこう言った。

「なんだその格好は?」

 ポールの前にいる若者二人は、ずぶ濡れであった。外は雨など降っていない。

「あちこちで市街戦やってんだ。北地区からまともにここへ来れるわけねえだろう」

 北地区と南地区はセーヌ川で分断されている。市内には六箇所で橋が架かっているが、どれも激戦区となっていて通れるわけがなかった。

 そこで二人は市の外れからセーヌ川を泳いできたのである。

「テメエはいいとして、嬢ちゃんが風邪引くといけねえ。風呂を用意させるから入れ」 

 その後、小一時間ほど経ち、二人が落ち着いたところでポールは話を切り出した。

「サビーネの件は残念だった」

 ポールはそう言って重い息を吐き出した。

「嬢ちゃん。サビーネから話は聞かされたよな?」

 テレーズは首肯した。

「そこの小僧はどうなんだ?」

「小僧じゃねえ。アレックスだ!」

「オレから見れば小僧なんだよ。いいから質問に答えろ」

 アレックスは不快感を表情に出したまま、

「オレはアイツからは直接聞いていない。テレーズから、レジスタンスの一員だと聞いて驚いた」

「それだけか?」

 アレックスは不満げに頷いた。テレーズも知っている何かを、自分だけ知らないというのが不愉快なのだろう。

ポールはテーブルの上にある資料から、サビーネが送ってきた資料の一つを取り出し、それをアレックスに突きつけた。

「見てみろ。お前と嬢ちゃんの繋がりがわかる」

 アレックスが見た資料は、イタリアの傭兵ギルド支部の調査報告書であった。




『ウィンディ将軍のスミア家は、エルトリア帝国の帝室の血を引いている。スミア家は将軍の死で途絶えたと言われるが、それは小説家たちの創作がもたらした虚偽の内容である。スミア家は分家があり、代々優れた雷撃系魔術使いを輩出しているため、優遇されている。エルトリア帝国崩壊時に、現パリス帝国の源流であるフランク王家に仕え、現在まで存続している。故に、スミア・テレーズもおそらく雷撃系の魔術に優れていると思われる』




 アレックスはその内容に驚いて、資料から一旦目を離し、テレーズを見つめた。

「お前、貴族だったのか?」

テレーズは頷いた。

「この前話そうとしたんですが、アレックスさん、サビーネさんを捜しに飛び出して行ってしまわれたので」

 申し訳なさそうに言うと、さらに続けた。

「貴族がお嫌いなようなので言いづらくなってしまって。……サビーネさんの件もありましたし」

「お前はお前だ。別に貴族だって言ったら嫌いになるわけじゃねえよ」

 アレックスはそう言ってテレーズの肩を優しく叩いた。

 テレーズは視線を外して頷いた。

 確かに妙に言葉遣いは丁寧だったし、よく考えれば、逃亡貴族のリストに名前があった気もする。

 アレックスはそこまで考えて、一つの結論に達した。

 サビーネのやつ、そのことに最初から気づいていて、それでレジスタンスに結び付けたのか。

 アレックスはポールに視線を移した。彼は別の資料に目を通している。

 読めたぜポールさんよ。アンタの計画。

 アレックスはそれを問うのは後に回して、続きを読んだ。




『イワキ将軍のフレイズ家は、遠征失敗の責任を取らされ、ウィンディ将軍の戦死のため敗戦の責任を一身に背負うことになり、市民階級に落とされたところから、その恋仲がよくオペラで催されたウィンディ将軍のスミア家とは大きく異なる過程を歩むことになる。フレイズ家は槍術に長けており、イワキ将軍の死後、その子孫たちは新興勢力のゲルマン系の王国に才覚を売り込んだ。しかし、政争や戦乱に巻き込まれ、獅子心王の死後は、一族が壊滅状態となり、一部の者が傭兵となることで生き延びている。その中でも代々傭兵を続けていた一派もいた。これは傭兵ギルドに登録状況が残されており、間違いない。フレイズ・アレックスは、イワキ将軍の末裔である』




 アレックスは、テレーズが自分の名前を聞いて、すぐに警戒を解いた理由を理解した。テレーズのスミア家は、おそらく大帝国エルトリアの帝室の血を引いていることを誇りにしており、ずっと話が受け継がれていたのだろう。それゆえ、フレイズ家の名前に親近感を覚えたに違いない。

「わかったようだな」

 ポールは読んでいた資料をテーブルの上に置いて、アレックスを見ていた。

「お前らは、そういう血筋の者だったってことだ。サビーネも面白い組み合わせを考える」

「勘違いするなよオッサン」

 アレックスは資料をテーブルの上に置いて、

「オレは今を生きているんだ。血筋がどうとか家柄がどうとかは関係ないね」

 そう言うと、テレーズが寂しそうな表情を浮かべた。アレックスはテレーズの頭を撫でながらこう続けた。

「でも、それがあったから、コイツはオレに対する警戒心をすぐに無くしたわけだ。それを考えると、先祖の名前に感謝できるよ」

 アレックスがそう言うと、テレーズは頬を真っ赤にして俯いた。その様子を見ていたポールは肩をすくめて、

「青臭いこと言いやがって。ま、オレもそんなのはどうでもいい。嬢ちゃんは追われている逃亡貴族。しかも要塞内の地理には明るいときている。オレとサビーネはまさにそれを利用したかったのさ」

 ポールが視線を移した窓の向こうには火の手が見える。市街戦が激しくなっているのか、それとも出火した火が消えないだけなのか。立ち込める煙が陽光を遮り、パリス市内は暗闇に包まれていた。

「しかも、嬢ちゃんは魔術も使えるし、剣術もできるんだよな」

 テレーズは恥ずかしそうに頷いた。驚いたのはアレックスである。それを見たテレーズが説明した。

「スミア家は、ウィンディ将軍の件もあり、魔術使いも多く出るので、彼女のような魔術剣士を目指そうという考えが強いんです。男も女も訓練を受けます」

「そういう形で、スミア家の誇りを守っているってわけだ。おかげでオレは要塞に嬢ちゃんを安心して送り込める」

 アレックスには、強いというならサビーネの方がよっぽどそう見えた。テレーズのような清楚な女性が、魔術はともかく、剣術にも優れているとは考えられなかったのである。

 しかし、アレックスに魔術使い特有の気配を感づかれないということは、相当の使い手という証左であった。

 魔術を使うには魔術理論を習うだけでは不十分で、その人間の生まれつきの才覚、一般にキャパシティと呼ばれる力が必要である。これは人間が持つ、魔術を生み出すのに必要な精神力と考えられている。

 スミア家はこの魔術使いの血を絶やさずに来たということであろう。

「要塞に送り込む?」

 アレックスは首を傾げた。

「そうか、お前は知らないんだったな。要塞攻撃の計画」

 ポールは納得したように言った。

「市民の蜂起が失敗に終わったのは、要塞を落とせなかったからだ。あれさえ落とせば、王政はその象徴を失って、崩壊する」

 やっぱりな。

 アレックスは心中で頷いた。テレーズが貴族であるなら、その処刑場所は浮遊要塞であるからだ。強行突入はできないが、彼女を連れて行く目的ならばそれは可能だ。

「それには、要塞に入り込んで、内部から攻撃する部隊が必要だったんだ。それが見つかったと、サビーネから手紙が来ていたわけだ」

 ポールはテレーズの方に視線を移した。重要な任務であると同時に、まず生きては帰れないだろう攻撃方法だというのに、落ち着き払っている。

 さすが、スミア家のご令嬢だ。コイツは本物の魔術剣士になれるぜ。時代が時代ならな。

 ポールは感心した。

「飛行艇の墜落を見たと思うが、あの要塞は数層の障壁に覆われていて、四属性の魔術のいずれも受け付けない。物理攻撃もだ。大陸障壁の時みたいに大陸全土から十万人もの魔術師を集めれば別だろうがな。内部から攻撃し、障壁の発生装置を破壊するしか手はねえ」

 四属性とは、火、水、風、土の四属性で、それぞれに特性を持った魔術がある。しかし、相互干渉という現象があり、火と水、風と土は互いを相殺しあってしまう。

 雷撃系の魔術は風の属性であり、かつて翼竜部隊を退けた大陸障壁も風属性の魔術であった。今では消滅してしまった共同魔法というもので、複数の魔術師が魔力を合一させたものである。しかし、魔術師には相性の合わない属性があり、魔術師の組み合わせ次第では魔術が発生しないのは、共同魔法の最大の欠点であった。

 しかし、大規模の共同魔法は消滅しても、二人一組で発生させる共同魔法は少数であるが存在する。

「飛行艇の墜落で市民一千人が死んだよ。半数は地上に落ちた後に、軍隊に狩られたらしいが」

 ポールは安楽椅子に深く座り込み天井を見上げた。

「しかし、まだレジスタンスは多数生き残っているし、市民も各地で立ち上がり始めた。計画を早めて、このドサクサに紛れて要塞を落とす。まさか、短期間の内に二度も襲撃してくるとは思わねえだろうからな」

 その意味ではジョセフに感謝するがな。とポールは付け加えた。

「仲間に連絡を取り合って作戦を開始する。四日後に発動だ」

 

 

『市民と軍隊の衝突は激化。

 市民は当初意気消沈していたが、四方からパリス市内に軍隊が雪崩込み、略奪と虐殺を繰り広げるのを見て、すでに蜂起していた市民軍の残党と合流し、正確な数はわからないが、その数は万単位に達したと考えられる。地方の民衆もこの動きに呼応し、軍隊の一部は市民側に着いたとの情報もある。すでにパリス市はその四分の一が焼けたが、市民の抵抗は激しくなる一方である。各所でバリケードを築いている市民は、以前の不満を言っているだけの市民と違う。自分の生活のため、生まれてくる子孫のために王政を打破しようとしているのである。これより我々も彼らに合流する。パリスの国民その子孫たちが安心して暮らせる国家を築くために。同志よ立ち上がれ。

 最後に、我々にも立ち上がる勇気を与えてくれた、傭兵ギルドパリス支部長故マインツ・サビーネ氏に、心から哀悼と感謝の意を示す』

 七月十九日付の立憲派新聞『国民新聞』の夕刊

 

 

「あの女、政党を動かすのにも成功していやがった」

 ポールは夕刊から顔を上げた。彼は、不満を抱えている中小の商人たちを結束させ、資金、装備の充実を図っていて、さらに逃亡貴族の対応にも追われていたため、立憲派政党にまで工作の手を回しきれなかったのである。それゆえにそちらの任務はサビーネに任せていたのだ。

 それが成功したということは、王政を倒した後に無政府状態になることは避けられるだろう。

「おい、オッサン」

 ポールが振り向けば、ノックもせずに部屋へ入ってきているアレックスの姿があった。

「なんだ小僧?」

「王政を倒すことに成功したとするよな」

「成功させるんだよ。仮定にするな」

 アレックスはポールが睨みつけるのを無視して、

「その場合、王はもちろん貴族たちも」

「怒り狂った民衆にブチ殺されるさ。生き延びてもな」

 ポールは当然といわんばかりに言い放った。

「テレーズはどうなっちまうんだ?」

 アレックスの尋ねに、表情一つ変えずポールは黙ったままであった。

「答えろよオッサン」

「小僧。お前が守れ。家柄にこだわらねえんだろ? なら貴族として生きさせるな。自分と同じ傭兵としてどっか行ってもいい。身分を偽り続けてもいい。一緒に生きろ。英雄譚の二人みたいに後悔することになるな」

 ポールは、レジスタンス内部では逃亡貴族であろうと全員処刑の考えで固まっていることを知っているし、了承している。レジスタンスの幹部以外には、テレーズは傭兵ということで名を通させている。しかし、解放後落ち着きが戻ってくれば、テレーズの正体に気づく者も出てくるだろうし、幹部の中には処刑を叫ぶ者も出てくるだろう。

 ポールは、テレーズが要塞陥落の最大の功労者となれば、幹部や市民たちも納得し、例外的に処刑されないかもしれないとは考えていた。

 ポールの言葉は、そんな事情や思惑など何一つ匂わせなかったが、アレックスは納得したように呟いた。

「そうだな」

 サビーネとの最後の約束は守り通して見せるさ。

 後半の言葉は心中で呟いたので、ポールには聞こえなかった。

 

 七月二十日。パリス国軍の制服を着込んだ部隊百名ほどが、廃兵院を占拠していた。その中の一人が、廃兵院の飛行場管制室にある、耐魔術壁の前に立ち暗号を唱えた。それはエルトリア帝国の政界で使われたラテン語という言語であった。

 それに応えるように、分厚い壁が開いた。ここは隠し部屋であり、存在を知っていて、さらに暗号を知っている者しか入れない。

 中には大きな魔鉱石が鎮座しており、緑色の光を放っている。通話用結晶体というものである。

 大きさは大人三人で手を繋ぐと周囲をようやく囲める位である。このような大きな鉱石は年間に一つ生産できればいい位に貴重な物である。

 これだけの大きさがあって初めて、二十キロ圏内の同じ大きさの鉱石が置かれている部屋と通信ができるのである。

 先頭に立つ兵士が暗号を唱えると、結晶の中から声が聞こえた。

「その部屋で我々に通信を送れるとは、そなたたちは下賤な輩とは違うな」

 それは、横柄な態度以外で人に臨んだことがないかのような言葉であった。

「はい。パリス市内に突入した軍にございます。市内を制圧しつつある我々は、ここ廃兵院も制圧いたしました。ただし、激戦により隊員の多くが戦死しました」

「ご苦労であった」

「ところでここへ来る最中、暴徒どもを指揮する逆賊を捕らえました」

「ほう」

 浮遊要塞で話を聞いているらしい男は、興味深そうに声を漏らした。

「その者、魔術と剣術を操り苦戦しましたが、捕らえてこれよりそちらへ連行する所存でございます」

「名はなんと?」

「スミア・テレーズです」

「空港に残っている小型飛行艇を使い護送せよ。その方らの飛行艇が接近したらば、障壁を一時的に解除する」

「はっ!」

 男は大げさに敬礼して見せた。もちろん映像が向こうに届くわけではない。直後、緑色の鉱石が一瞬鈍い光を放ったかと思うと、通信は途絶えていた。

 

 

「ポールさん。味方の布陣が完了しました」

「そうか」

 ポールは頷くと、南方のフォンテンブロー山脈を見つめた。その上空には浮遊要塞が地上の惨劇など関係ないとばかりに浮いていた。眼下のパリス市は各所で火の手が上がっている。

 ポールの手元には、レジスタンスの組織員二百名がいた。他にも十人ほどの商人仲間がいる。彼らは技術者でもあり、ポールの後ろにそびえている特注の百五十ミリ臼砲を整備していた。臼砲は構造が単純なため、民間でも数発撃つ程度の物なら作れたのだ。

「そろそろ動き出すぞ」

 

 

 パリス市に突入していた軍隊はその時点で三万を数えていた。これはパリス市周辺のほぼ全兵力に相当する。抵抗する市民は廃兵院で手に入れた武器や分捕った武器で戦っていた。訓練を受けていないとはいえ、その数は数万に達し、軍隊はなかなか掃討できずに苦戦していた。

 浮遊要塞に連絡したいが、廃兵院に繋がる道はバリケードが築かれ、市民の抵抗も激しく突破できなかった。

「隊長。背後より敵!」

 伝令がそう伝えた瞬間、軍隊の背後で爆発音が響いた。レジスタンス部隊の奇襲である。

「バカな。いったいどこから回り込んだのだ?」

 隊長は貴族であった。彼は市内を巡っている地下水路のことなど知らなかった。

 レジスタンス部隊は、水路を利用し各所で軍隊を攪乱した。その隙を突いて市民が反撃に出たため、鎮圧部隊の損害は見る間に増加していった。

 

 

「本当に空を飛ぶんだな」

 アレックスは十人乗りの小型飛行艇の窓から、眼下のパリス市を見やった。他に乗り込んでいる者もやはり眼下の光景を見ている。ただ一人を除いて。

 この飛行艇に乗り込んでいる者は、レジスタンスでも幹部要員に当たり、その女性の正体を知っていた。

 他にも四隻の飛行艇が浮遊要塞へ向かっている。さすがに、廃兵院から全兵員が消えては怪しまれるから、全員が付いてきたわけではない。レジスタンスでも精鋭部隊のみである。

 テレーズは終始無言である。表情は戦場に赴く戦士のそれであった。そこからは貴族の令嬢だという印象は微塵も受けない。

 テレーズを含む全ての乗員がパリス国軍の軍服を着込んでいる。国軍に支給されているものとは異なって対魔術防御に優れた特殊加工のもので、レジスタンスが自前で調達したものである。

「テレーズ」

「はい?」

 応えるテレーズの口調はいつもと変わってはいないが、アレックスは殺気が漏れているのを感じた。普段のテレーズからすると考えられないことであった。

「いや……本当にお前って戦士なんだな。イメージに合わないけど」

「戦士と言われると照れますね」

 優れた魔術剣士であることは、スミア家の誇りである。それを認められることは、テレーズにとっても誇りなのだろう。笑みを浮かべて喜ぶ顔は、これから半時も経たない内に戦場に到着する女性のものとは思えなかった。

 テレーズは多くの時を過ごした浮遊要塞を落とすための、その最も重要な存在となるのである。その心中は複雑なものだろうとアレックスは慮った。

「同情はしないで下さい」

 テレーズはアレックスの心中を察してか、そう言った。

「私の両親も祖父も、友達もみんな殺されたんです。そしてサビーネさんも。これは、私にとって敵討ちなんです」

 テレーズはそう言って前方の窓に広がる要塞を見た。そろそろ障壁のある空域なのである。

 浮遊要塞が大きく視界に入ってくる。すでに前方の窓からだけではその全貌を見ることはできない。

「障壁を抜けました」

 テレーズが言った。障壁は見ることはできないが、要塞から決まった位置にある。テレーズは要塞と地上を何度も行き来していたため、周りに広がる山脈の風景や要塞の大きさで大体の位置を把握できたのだろう。

「さて、いよいよだ」

 乗員の間に緊張が漂った。


【巡り会う運命】 - 第四章 -
←第三章へ戻る     小説〜ストーリー一覧へ戻る      最終章へ進む→

TOPへ戻る