【Gloom under the cherry blossom】 - 第二章 -
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「ヤバイ……ヤベエんだよ」

 オレは頭を両手で抱え込んだ。テーブルの向かいに座る友人は頷きながら麦茶を口に運ぶ。

 友人 ―― 清水亮二はいつものように突然現れ、そして人の家の飯を何食わぬ顔で食べていた。

 オレはその清水に小一時間程の間、頭を抱えながら向かい合っていた。

「バイト先で釣りを間違える。大学では教室を間違えたし、砂糖と塩を間違えるは……」

「さっきから間違いの連続ばかり言ってるね」

 清水はさわやかな容姿に似合う、さわやかな声でにこやかに言った。

「なんか頭は熱いし、胸はバクバク言うしよ」

「ハハ、夏だしね」

「サークルで部長に声掛けようとしたら、ノド乾いて声がかすれるし」

「バカは風邪引かないって言うけど、一応診てもらった方がいいよ」

「……」

「……」

「お前、今さわやかな顔してバカにしたろ?」

「いやだなあ尚也。ついには耳もイカレタのかい?」 

「……」

 今もバカにされた気がする。しかし、今は余り頭が働かない。報復措置は次回にしよう。

「清水。この気持ちは一体全体何なんだ?」

「さあね。あ、ご飯もう一杯もらうね」

 清水、報復措置は今回にする。

 ヤツが炊飯器に向き合ったため、今背後は無防備だ。 

 右手に広辞苑、左手に独和辞典を装着。秘技『悶絶転倒』発動。

「お、落ち着いて! ボ、ボクを殺しても意味は」

 殺気に気付いたか、清水は振り返るなり慌ててそう言った。オレの殺気はしかし増幅。

「尚也の悩みの原因をボクは知ってるんだ!」

 衝撃の事実。オレは振り上げた手を一旦降ろした。

「ボクは兄貴同様、大学内にファンクラブがあってね」

「キサマの自慢話に付き合う気はない」

 オレは殺気をみなぎらせ、再び秘技の発動体勢に移行する。清水は両手を何度も振って、落ち着いてと必死のジェスチャーを送ってくる。

「だ、だから、それだけ女性絡みの事には強いということを言いたいんだ!」

「……抹殺決定、だな」

「あ、ああ、だ、だから、な、尚也の悩みは、そ、その、女性絡み。おそらく相手は話しからして」

 ヤツの懇願に、オレは猶予を与えることにした。

「なんだ? 続けてみな」

 コクコクと首に上下運動をさせる清水。

「た、多分、尚也はその人に……の前に、その女性を尚也はどう思うわけ?」

「どうって……」

 言われて返事に詰まる。

 その隙に清水が少しずつ右にずれながら、逃げようとするのが見える。

「ひっ」

 オレはその進路の床を思いっきり踏み鳴らして、その動きを抑えつつ、考える。

「美人だし、がさつだけど、楽しい人」

 オレはそう呟く。

「それだけなら一般論だろ。もっと踏み込んでなにかないか?」

 櫻さんのことを思い浮かべようとする。流れるような黒髪。いたずらっぽい笑み。闊達で、いるだけで周囲が明るくなる。

 思い浮かべているうちに、自分の体温が上がるのを感じる。

 最初に会った、あの桜の木の下。思わず見とれた時間。周りに咲き誇る桜よりも、一層目を惹かれた。

「出会ったとき、周りのなによりも目を惹かれた。見とれてた」

「それだよ!」

 清水は、我が意を得たとばかりに、手を叩き、

「わからないか?」

 問いかけに、しかし、返事が出ない。のど元で張り付く。

 その状況を清水は楽しんでいるようにも見えた。

「やっぱ、そうか。オレ、櫻さんのこと」

「はい、そこまで。これ以上のろけを聞かされたくないんでね」

 そう言った清水の笑みは穏やかですらある。嫌味は感じられない。

「そういう気持ちなら、行動に移るんだな。こういうのは待っててもいい結果にはならないんだ」

 オレは頷いた。

 その後、清水は『この手はボクの専門分野だから』と、様々な助言をしてくれた。

「すまねえな」

 オレが礼を言うと、清水は手を振って、

「気にするなよ。しかしなあ、どうして尚也はこんなに鈍いわけ? 大体自分の気持ちだろ。中坊以下? だから彼女できなかったんじゃないの今まで、というかな、そもそも尚也は、正直バカだ……」

 清水は、調子に乗り出した。さらに延々とオレの悪口、さらには人格論まで述べだした。

 ヤツの饒舌ぶりを披露され、オレは制裁を再決定した。

「だから、尚也はもう少しボクを見習うべきで……あ、な、何? その二冊の辞典。ま、待って……ぼ、ボクは一般論を」

 次の瞬間、悲鳴にならない悲鳴が上がった。

 

 

「いつも買い出し付き合ってもらって悪いわね」

 櫻さんは、隣で歩を進めるオレの顔を覗き込んでそう言った。

「別に構いませんよ。アパート同じですし」

「バイトも同じで、サークルも同じで、誕生日まで同じだけどね」

 櫻さんはそう言葉を続けた。

 そう、櫻さんとオレは同じものが多いのだ。余りに出来過ぎていてマンガや小説の世界みたいだ。

バイトと住んでいるアパートが同じだから、バイト帰りに食料の買い出しに付き合うこともよくある。

 というか、清水の『一緒に行動したほうが仲は進展するのさ』との助言もあり、一緒にいられる時間を長くしようとしたためでもあるのだが。

 最初からそういう考えで一緒にいると、後ろめたい気もする。

オレの部屋は三〇七号、櫻さんは二〇七号。ちょうどオレの部屋の真下が櫻さんの部屋だ。

「しっかし暑いわね」

 もう八月の半ばである。夜とはいえ三十度近い熱帯夜が連夜続いている。

 ふと櫻さんに視線を移した。白のシャツにインディゴブルーのジーンズというラフな出で立ちだ。薄着のため、モデル並みの恵まれたスタイル……特にその上の方の部分に目が行ってしまうのは我ながら情けない。

「しっかし本当に暑いなあ」

 櫻さんはそう呟いて、手でシャツの胸元辺りを掴みパタパタと動かして風を送り始めた。

 ……げ、見えてる。

 オレは百七十センチはある櫻さんよりも十センチ程背が高く、その豊かな胸を覆うブラが見えてしまっていた。

 いや、正確に言うと釘づけ状態。そんな自分がやっぱり情けない。

「だああああ!」

「ん? どうしたの?」

 突然頭を振って叫びだしたオレを、櫻さんが先程の動作を止め、不思議そうな表情で覗き込む。

「な、なんでもないです」

 オレは慌ててそう言った。内心の動揺が思いっきり外に出ている気がする。心臓は激しく音を立ててるし、外気の暑さだけでなく、身体の内側からも暑くなっているのが分かる。

 そんなオレの慌ててる様を見て、櫻さんはクスクス笑いだす。

「キミってヘンだよね」

「え?」

「だってさ……ま、今の行動もそうだけどね。それ以外にもね」

 櫻さんは意味ありげに含み笑いをして、

「やっぱりヘンなのよ」

 

 

 夏休みの間にも、我が文芸部は活動をしている。夏の間には秋の学園祭に向け、作品集を作るからだ。

 オレは作品を書かないので、他の人の作品のチェックや編集作業に携わっている。

 今日も暑い中、部室で上がってきた作品をチェックしていた。

「岸田さん」

「ん、何?」

「部長の作品って、バットエンドの悲恋物語ばかりですね」

「ああ、彼女は入部してきた時からずっと一貫してそうだよ」

 今オレがチェックしている櫻さんの作品も悲恋物語だ。

 内気な女性と活発な女性、そして一人の青年の間の恋物語。最後は内気な女性が他の二人を刺殺してしまう。そんな物語。

「普段の彼女を見てると、そういう作品とは最も遠い位置にいるように思えるんだけどな。でも、いつもそういう作品しか書かないね」

 岸田さんはチェックの済んでいない原稿をもう一つ手に取り、

「別の作品も書いたらと言ったら」

「言ったら?」

「ヤダよーだ……と言われた」

「……」

「理由聞いても、教えてやんないよと言われるし、それ以上の追求を許さない感じだったから、それ以後は聞いてないよ」

 岸田さんは慣れた手つきで原稿に赤を入れながら、

「何かあったのかな? 彼女」

 岸田さんは何気なくそう言った。

「……」

 しかしオレは気になった。大した理由もないのかもしれないが、何故櫻さんは悲恋物語を書くのか。

 オレの手元にある櫻さんの作品は『紅染まる雪』。

 

 

「ごちそうさま」

 そう言って、櫻さんは手拍子一つ。

 オレと櫻さんは部屋が間近のこともあり、晩飯を一緒に食べることも多い。

 最初は、清水の助言を受けたオレからの提案だったのだが、いつの間にか日常風景になっている気もする。

 まだ暑い夏、今夜は冷し中華だ。

「キミも料理上手になってきたね」

 櫻さんはそう言ってオレの料理をほめてくれるが、

「別に、スーパーで買ってきたのを説明通りに作るだけじゃないですか」

 オレはいつものように応えるだけである。すると、

「人がほめたら素直に受けなよ」

 そう言って櫻さんはむくれるのだ。褒め言葉に対してつまらない謙遜で返すな、とは彼女の言。

「部長。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「ん、何?」

 オレは聞くべきか否か微かに躊躇して、そして数呼吸分間を空かして聞いた。

「部長の作品……何で悲恋物語しかないんですか?」 その言葉に、今までの微笑が消えた。眉をひそめて、まるで警戒しているようにも見える。

「別に……いいじゃない。書くのは何でも自由なのが部のモットーだもん」

 櫻さんにしては珍しく歯切れが悪い。たった一言で態度がこんなに変わるものかとオレは思った。

「でも、櫻さんには別のジャンルの方が合ってる気が」

「いいでしょう別に!」

 オレは櫻さんが怒鳴ったのを初めて聞いた。そして理解もした。悲恋にこだわるのに、やはり何かあるんだと。

「もう帰る!」

 櫻さんは立ち上り背を向けた。オレは咄嗟に立ち上がって、気付いたら櫻さんの左手を握り締め引き止めていた。

「え?」

 櫻さんは肩ごしにオレに微かな驚きの視線を向けると、

 再び玄関の方へ顔を向け、視線を床に落とした。背を向けているままだから、その表情がどうなっているかは分からない。

「手、離して」

「へ? あ、ああ、スミマセン!」

 オレは櫻さんの手を握り締めていたことをすっかり忘れていた。言われて慌てて手を離す。

「……」

 櫻さんは背を向けたまま黙っている。いつもの雰囲気からは考えられないことだ。

「聞いたら……私を避ける?」

「え?」

「……」

 避ける……とはどういう意味だろう? オレは首を捻った。

「避ける?」

 再度問い掛けてきた言葉も真剣そのものだ。

「なんで避けるんですか?」

 もっと気の利いた言い方はなかったかと、言ってから後悔した。

 櫻さんは、再度肩ごしにこちらを窺い、また玄関の方を向いた。オレはその表情に驚きを隠せなかった。

 半分涙目になり、唇を噛み締めて何かに耐えているようだったからだ。

 オレは思った。櫻さんは本当はかなり繊細な女性なのではないかと、普段の明るさに隠れているこちらの方が、

本当の櫻さんではないかと。

 

 

「私には、姉がいてね」

 櫻さんは背を向けたまま話し始めた。

「がさつな私と違って、優しくて気は利いて、おしとやかな人だった」

 オレは黙って聞いていた。下手に言葉を発したら、そこで全てが終わりそうに感じたから。

「姉はここに在学していたことがあってね」

 そこで一呼吸分置き、

「文芸部に在籍していた。そして、姉の初恋の相手もね」

 大学で初恋なんて珍しいわよね、そう続けると、

「でもね、その男性を別の人に取られたんだ……ま、内気で告白できなかった姉も悪いけどね」

「……」

「姉はその後……その女性と男性を……」

 櫻さんの声に、啜り泣く声が混じってきた。

「殺したのよ」

「!」

 オレは驚いたが、声は出さなかった。出したとして何を言えばいいというのか。

 櫻さんが話をとぎれとぎれに続けたところによれば、事件は十一年も前の三月十五日、記録的な大雪の日だったらしい。

 姉の静香さんは捕まったが、精神鑑定の結果、不起訴処分になった。それ以降、静香さんは部屋に篭もり、ほとんど廃人同然だった。

 事件以降、周囲からは白い目で見られるようになり、母親はノイローゼ気味になり、家庭は荒れていった。

 九年前、静香さんは自室で手首を切って自殺。それを見つけたのは櫻さんだった。

 発見した櫻さんは、ショックから、しばらくの間失語症にかかっていた。

 それをきっかけに両親は離婚。大学に入るまで、父の実家に引き取られた。

 さすがに事件から十一年が経ち、この大学は以前住んでいた岩手からも離れている。事件は時とともに風化していき、記憶している人がいても櫻さんがその家族と分かるわけでもなく、櫻さんは努めて明るく振る舞うようになった。

元々は明るい性格だったが、今は過去の傷を隠すための仮面、と櫻さんは言う。

「悲恋ばかりを書くのは……姉のことを忘れきれないから。だって、余りにかわいそうで……」

 事件のせいで周りからは冷たくされ、家庭が崩壊したというのに、姉に同情できるのだから、よほど姉が好きだったんだろうなと、内心思った。

「ハッピーエンドは書けないんだ。なんか、嘘っぽくてね。私も多分……ハッピーエンドにはならないと思うから。……未だに姉を引きずっているし」

「そんなことはありません!」

 オレは気付けば大声を上げていた。

 櫻さんが泣き腫らした目で、肩ごしにオレを見る。

 その目は「なんで?」と訴えている気がした。

「櫻さんは櫻さんだからです」

 その言葉に櫻さんは、肩ごしにこちらを見たまま、それぞれの手で二の腕を握り締め、身体を強ばらせた。

「オレが幸せにします!」

 その言葉は自然に出た。

 オレは、あの瞬間、あの桜の木の下で会った瞬間から、この人 ――― 皆瀬櫻に惚れていた。

 だから、清水の助言だって受けた。いや、助言などなくても近くにいたい、そう思ったはずだ。

 だから、この言葉に偽りはない。

 櫻さんは、その言葉にゆっくりとこちらに振り向いた。

「ム、ムリだよ……幸せなんか」

 櫻さんは身体を強ばらせたまま、首を横に振った。

「……」

「!」

 オレは身体を縮めるように強ばらせている櫻さんを、両手で包むように抱き締めていた。オレに抱き締められた櫻さんがビクッと身体を震わせた。

「バカ」

「……」

 櫻さんはオレのことを叩きながらさらに続けた。

「バカ、バカ……キミは正真正銘のバカだよ」

「……」

「ズルイよキミは……人の弱いところにつけこんで」 

 言って、櫻さんは顔を上げた。オレの顔とかなりの至近距離。目は赤く、まだ涙の筋が見えたが、顔はいつものように笑みを浮かべていた。

 オレは急に、心臓がバクバク悲鳴を上げているのに気が付いた。

 冷静に考えると、オレは普段じゃ考えられないことをしていた気がする。まるでドラマか何かみたいだ。

 でも、とった行動は正しいと思う。

「裏切ったら許さないからね!」

 部長は快活な笑みを浮かべつつ、そう言い、肘でオレの腹を力を込めて突いた。

「うおっ……」

 オレはその不意打ちに対処できず、そのままふっ飛ばされ、仰向けに倒れた。

「ゴ、ゴメン! 大丈夫?」

 櫻さんが慌ててオレの側にしゃがんで、心配そうに見つめた。

 カッコ悪い……と、内心思った。

「じゃ、これからよろしくね…………尚也」

 櫻さんはそう言ってニッコリ微笑んだ。


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