【巡り会う運命】 - 第三章 -
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『貴族にも課税を。

聖職者や貴族は全人口の二パーセント程度であるのに、所有地は全国の四十パーセント、年金は国庫収入の半分、免税特権まで持っている。このままでは国家財政は破綻する。この困難な状況の改善には、貴族の免税特権を解消するしかないという結論に、改革派改め国民議会は至った。我々は、貴族の特権を擁護する三部会より離脱し、憲法制定運動に邁進する。この新聞紙プチブルも名を改め「国民新聞」とする。我々は国民のより一層の支持を必要とする。最後には正しきものが勝利するであろう』

六月二十日付の立憲派新聞『国民新聞』の夕刊

 

 

『マインツ氏へ最終的な結論を伝える。彼らは間違いなくかの者たちの子孫である。我々がかき集めた資料の写しと、最大の証拠である家系図をそちらへ送る。パリス盆地は封鎖されているようなので、貴殿たちの仲間である下級商人の貨物馬車に紛れ込ませた。早い解放を切に願う』

イタリア支部長の手紙『パリス支部長へ』

 

 

 サビーネは書類と手紙を引き出しにしまって鍵をかけると、テレーズを部屋へと入れた。

「どうしたんですかサビーネさん? 急に話って」

「かなり大事な話なんだ。テレーズ……あなた」

 サビーネはテレーズに思い切ってその話を切り出した。

 

 

  アレックスは、男が何を話しているのかようやくわかった。

このところ何故テロ活動に走らなかったのか。ただ別の準備に追われていただけなのである。

「あとはきっかけだけだ。そしたらすぐにでも行動する」

 男の言葉が微かだがアレックスの耳に入った。

 

 

「早いな。もう七月だぜ」

「ちょうど新政権発足から二ヶ月になるな」

 辺りが完全に闇に包まれた頃、パリス市内を流れるセーヌ川のほとりに二つの人影があった。互いに背を向け合っている。周りを警戒するというよりも、互いに顔を見ないようにしている感がある。

 セーヌ川の方を向いて立っているのは、やや背が低く肩幅の広い人物。たくわえられた立派な顎鬚から男であるとわかる。

 もう一方の人物は、市街の方を向いて立っている。背は高いが、肩幅は広くない。その髪は結い上げられていた。

「驚いたぜ。まさか女だとはな」

「女は古代から歴史の転換点にいると相場が決まっているのさ」

「そういやそうだ。……ところで同志よ。名前は?」

「言えないね」

「信用してねえのか?」

「真打は最後まで正体を明かさないものさ」

 女にとってはジョークだったのか、笑みをこぼした。

「ポール氏。アンタの正体はわかっているぞ」

「ただの商人だよ」

 ポールは面倒臭そうに言った。

「そうだな。元宮廷近衛兵の商人だ」

 ポールは軽く口笛を吹いた。

「よく調べたもんだ。それを知っているのは死人だけだと思っていたが」

「二十五年前の蜂起の数少ない生き残りとも言う」

 ポールは唇を噛みしめながら、ただ黙って川の流れを見ている。

「あの時は鎮圧する側に所属してたよ。表向きにはな」

 ポールはそう言って手を振った。

「辛気臭い話をしに来たわけじゃねえ」

「そうだな。今を生きてるんだ。今のことを考えなくてはな」

「本当に男みたいだな」

「まあな。男世界で生きてきたしな。安心しろ。好きな男の前ではこれでも女さ」

「若いやつはいいねえ。さて本題に移るか」

 ポールは脇に抱えていた鞄から、数枚の資料を取り出した。

 それぞれの資料には『魔術弾と百五十ミリ臼砲』『地下水路』『構成員』『浮遊要塞の概要』『土属性の魔術と相殺する属性』と書かれていた。

 

 

『サン・ネッケル蔵相罷免される。

 改革派の提案に常に好意的で、貴族への課税を訴えていたネッケル蔵相が、先日王より罷免された。これは国民の訴えに耳を貸すつもりが無いという意味で、国民への宣戦布告である』

七月十一日の立憲派新聞『国民新聞』の夕刊

 

 

「今でも生活が苦しいというのに」

「上は何を考えているんだ?」

「家には怪我で働けない亭主が」

 アレックスが市内を歩いていると、集会禁止令が出ているにも関わらず、各所で市民が集まって騒いでいるのが見受けられた。

 ネッケルが罷免されたことで改革の象徴が失われ、これからはもっと酷い貴族側からの反動政治が繰り広げられるのではないか。そういった不安が市民の間に広がっているのである。

「そういや閉まっている店も多いな」

 アレックスがざっと見てきただけでも、半数近い商店が閉まっている。ネッケルの罷免で改革が後退するという懸念が広がり、物価が高騰し社会不安が広がって、暴動が起きそうな気配が漂い、商売どころではなくなっているのだ。

「アレックスさん」

 声をかけてきたのは、ギルドに所属する傭兵の一人であった。

「あちこちで憲兵や警察が市民の集会を解散させようとしているんですが、数が多すぎて対応しきれないそうです」

「それで」

「協力要請があるらしいんですが、どうします?」

「乗り気がしねえ。やりたいヤツだけやればいいさ」

 アレックスは傭兵たちの中では尊敬の的である。彼がやりたくないと言えば、他の傭兵もやらないだろう。

 それに、たかだか五十名程度の傭兵が加わったところで、百万都市のパリス全体で起きている騒ぎを鎮めるのにどれほどの効果があるのだろうか。

 戦闘ならともかく、相手は武器を持たない一般人である。戦うことと解散させるために行動することは全く違う。民間人を傷つけたならば、そこから暴動に発展しかねない。

「じゃあ、そう伝えてきます」

 言ってその傭兵は走り出した。これで傭兵たちが民間人と衝突することはないだろう。

 アレックスは、民衆の前でなにやら叫んでいる人物の中に、見覚えのある人物を発見した。以前にガリエニを暗殺した男と、その仲間たちである。

「もうこうなった以上は、我々が政権を取らなくてはいけない」

 男はそう叫んでいた。普段ならばすぐに通報されて憲兵や警察に逮捕されるだろうが、この日は市全体が収拾のつかない状態であり、逮捕に来る者はいなかった。

「アンタの言う通りだ」

「そうだ。このままじゃ死ぬしかねえ!」

 叫ぶ民衆は今にも蜂起しそうな勢いであった。

 アレックスはサビーネやテレーズの身が気にかかり、ギルドへと足を運んだ。

「おい、サビーネ!」

 ギルドには誰もいなかった。傭兵たちは出払っているのであろう。

「上か?」

 アレックスはサビーネの住まいになっている三階へと足を運んだ。

「アレックスさん」

 三階で声をかけてきたのはテレーズであった。

「無事だったか。いや、市内が大騒ぎになっててな。サビーネは?」

「それが……市内が大騒ぎになってから、マズイことになったと言いながら出て行きましたよ」

 アレックスは舌打ちした。もっと早く来るべきであったと後悔した。市内がこの様な状況では、いつどこで事件に巻き込まれるかわかったものではない。

「マズイことって何だ?」

「あ……」

 テレーズがしまったといった表情を浮かべた。アレックスは当然それを見逃さなかった。

「テレーズ。お前何を知っている?」

 テレーズは気まずそうに視線を逸らしたが、それで追求を免れるわけではなかった。

「おい、答えろ!」

 アレックスはテレーズの顔をつかんで自分の方を向かせた。

「でも」

「でもじゃない! なんなんだ? 教えろよ」

 テレーズはしばらく黙っていたが、やがて観念したのか大きく息を吐き出すと、まずこう切り出した。

「わかりました。私が知っている限りは答えます。その前に約束していただけますか?」

「何を?」

「この話を聞かれても、サビーネさんを嫌いにならないと」

「え? あ、ああ約束する」

 アレックスは、何がなんだかよくわからないままそう答えた。

「サビーネさん。実は現在の王政に反対する勢力の一員なんです」

 アレックスは目を大きく見開いた。

「今のでお察しになられたかもしれませんが、最近相次いでいたテロ事件。実はサビーネさんの所属するグループ内の過激派が行ったらしいんです」

 アレックスはサビーネが市中に飛び出していった理由がわかった。おそらく過激派が民衆を扇動して暴動を起こすのを阻止しようとしたのだろう。

 暴動を起こすには確かに最高のタイミングだが、城を制圧しなければ意味が無い。地方から軍隊が押し寄せて革命派は一網打尽にされるだろう。

 だから、おそらく計画が崩れるのを恐れて、彼女は危険を覚悟の上で外へ出て、仲間たちと連絡を取り合っているのだろう。

「しまった。テレーズ、お前はここにいろ。ここなら安全だから。オレはサビーネを探してくる」

 アレックスはそう言って外へ飛び出していった。

「アレックスさん!」

 テレーズが呼び止めるのも聞かず、

「まだ話の続きが」

 テレーズは一人取り残された。

 

 

「まったくどこに行ってるんだ?」

 アレックスは傭兵たちにも頼んでサビーネの捜索に努めたが、いつになっても見つからなかった。

「畜生! そうならそうとオレに言えばよかったんだ」

 アレックスは自分がサビーネに完全に信用されていたわけではなかったのかと思うと、無性に腹が立った。

「貴族たちが全て悪いんだ」

「そうだ。奴等を倒せ!」

 周囲に今にも暴動に発展しそうな気配が漂っていたが、アレックスはそんなのに関わっている余裕など無かった。

 

 

『おいオッサン。やばいことになってるじゃねえか。市内は暴動に発展する勢いだぞ。今動いたら計画は失敗する。だから、なんとか自重するように回ってみる。オッサンは動くなよ。アンタの身に何かあったら、本当に計画が瓦解しちまう。私が仮に死んでも、あの血気盛んなバカどもが死んでもいいから、オッサンは計画が瓦解しないようにしてくれ。じゃな。

追伸 今のうちに例の切り札とかに関する資料を送っておく。この前渡せなかったんでな。間違いなく彼らはあの古代戦記の人物の末裔だ。それにこの前言っていた娘は貴族の娘だ。どうだ使えるだろ。計画にピッタシだよ。計画のことはその娘にも言ってある。承諾は得てるから安心しろ』

若者Mの手紙『不良中年のポールへ』

 

 廃兵院とは、旧士官学校である。その敷地には現在では首都パリスを守備するために武器庫が設けられていた。そして広大な敷地を利用して、欧州全土でも十隻しかない千人以上を搭載できる巨大飛行艇が一隻と、十人乗りの小型飛行艇が二十隻置かれ、浮遊要塞との連絡や輸送に使用されていた。欧州最大の空港である。

 しかし、守備兵員は常時百名ほどであり、さらにこの時は郊外に兵力を抽出したり、地方反乱に駆り出されたりしていたため、三十名しか駐留していなかった。

 パリス市は軍事的に空洞化していたのである。

「おい、起きろよ。そろそろ勤務時間だぜ」

 兵士の一人が毛布に包まっている同僚を揺さぶって起こしにかかった。そう言う彼自身も朝に弱いのか、その目は眠たそうに見える。

 同僚は寝ぼけ眼を擦りながら、大きく欠伸をした。

「ちょっと顔洗ってくるから待っててくれ」

 そう言って、起こされた方は兵舎の外へ出て行った。

「あ、オレも顔洗う」

 起こしに来た同僚も、その後に続いた。

 男が兵舎の入口の鍵を外し、扉を開けると朝の清々しい空気とともに、いつもとは違う光景が映し出された。

 男はしばらく戦場というものを味わっていなかった。パリスの暇な武器庫兼飛行場の管理で勘が鈍ったのであろう。外にある多数の気配も、殺気も感じ取れなかった。

 次の瞬間、パリス市の静かな朝に、長い静寂を打ち砕く轟音が響いた。

 

 

『ポール氏よ、すまんが止められなかった。けど、なんとか仲間の多くはこの蜂起から離脱させた。それでも、ジョセフのグループは止められなかった。本当にスマン! 後は仲間たちを地下へ急いで潜伏させよう。この騒動の最中ならドサクサに紛れ込むことも可能だからな』

若者Mの手紙『不良中年のポールへ』

 

 

「武器は奪ったぞ! 次はバスティーユ牢獄だ」

「貴族の野郎をブチ殺してやるぞ」

レジスタンスの過激派として仲間内に知られているジョセフは、自分のグループ二十名の若手構成員とともに、パリス市民を煽動した。彼らレジスタンス構成員は武器を所有していたが、一般市民は持っていない。そこで、まず武器の確保のため廃兵院を襲ったのである。それは成功し、彼らは技術者に飛行艇の管理を任せる一方で、千名ほどのパリス市民部隊を率いて、バスティーユ牢獄へと向かった。

「バスティーユに囚われている同胞を解放するのだ!」

 基本的に、貴族以外の政治・思想犯はバスティーユ牢獄に収監された。もちろん貴族側にとって都合の悪い者が捕まるのが常であり、パリス国家のみならず、他のヨーロッパ諸国からも悪政の象徴と見られていた。

「ジョセフ。バスティーユを包囲したぞ」

「攻撃開始だ!」

 ジョセフがそう叫ぶと、廃兵院で鹵獲した大砲三十門が一斉に火を噴いた。通常の火薬弾である。対象を焼き尽くすとか、氷結させるような特性は持たないが、量産が効き、なにより安いという利点があった。

 轟音とともにバスティーユの厚い耐魔術壁に砲弾が炸裂した。壁の一部が衝撃によって崩れ落ちる。

「下賎な輩どもめ」

 バスティーユ監獄の守備司令官兼監獄長である壮年の貴族が、包囲している市民たちを牢獄の監視塔から睨みつけた。

 バスティーユは要塞を兼ねる堅牢な建物であり、高さ十五メートルの耐魔術壁が、牢獄の周囲八百メートルに渡って張り巡らされている。

 しかし、いくら堅牢でも守備兵が少なくては守れるものではない。

 バスティーユの守備兵力は二百人。この内、魔術を使える者は五名に過ぎない有様で、小銃が百丁あるが、弾丸は通常弾が七百発。魔術弾が百発しかない。

 司令官は兵数、装備面での不利を考え、反撃箇所を市民が最も多く集中し、攻撃が苛烈な東門に集中させた。

「暴徒どもを近寄らせるな」

 守備側の抵抗は激しく、市民側は百名を超える犠牲者を出した。特に、時折炸裂する雷撃系の魔術は広範囲を攻撃し、一度に十名以上が死傷することもあった。

「あ、熱い。誰か火を消してくれ!」

火炎系の魔術で誘爆させられた弾薬に巻き込まれる者もいた。

 しかし、包囲する側は弾薬が豊富にあり、大砲も備えている。魔術を扱う者もいる。しかも、東門以外からも攻撃を加えていた。陥落は時間の問題であった。

「司令官。南門が破られました。市民が雪崩れ込んできます」

「くそ! かくなる上はバスティーユもろとも全員自爆を遂げ、暴徒どもを道連れにし、陛下への忠誠を全うするぞ」

 司令官はその安っぽいヒロイズムに酔っていた。周囲にいる幕僚たちも瞳を潤わせ同意したが、ここで異変が起きた。

「ふざけるな。あいつらは皆パリスの市民じゃないか。なんで自爆までして全員死ななくちゃいけないんだ」

「そうだ。オレたちの仲間だぞ!」

 全員自爆の命令を受けた下士官や下級兵士が、逆に士官たちに襲いかかったのである。

 貴族たちは自分たちの論理に浸っていて気づけなかったが、バスティーユの守備兵の半数以上が、パリス市内や郊外の出身で、彼らは貴族たちよりも市民たちの考え方に共感していたのである。

「き、貴様ら血迷ったか?」

「うるせえ。黙れ!」

「死ね、貴族ども」

 貴族の無理解は兵士の反乱も誘発し、守備兵力を集中していた東門は、守備兵たちによって開かれた。

 

 

バスティーユ陥落から三時間後。十四日の夕方五時になり、ジョセフの率いる市民軍は廃兵院に集結していた。

「これから、フォンテンブロー山脈ヴェルサイユ上空に浮かぶ浮遊要塞に攻撃を仕掛ける。これで、我々は全ての抑圧から解放され、人としての生活を送れるようになるんだ」

「そうだ。明日からの飯にも困らなくなるんだ」

「貴族の気まぐれにビクビクする必要もなくなるんだ」

 市民たちが喚声を上げた。浮遊要塞の連中など一人残らず殺してしまえ。などの言葉が周囲を埋め尽くした。まさに革命のフィナーレが近づいているかのようであった。

「これより、この飛行艇を使い、市民軍一千名を浮遊要塞に乗り込ませる。ただし、負傷兵や少年兵はここに残りパリス市内の警戒に勤めてくれ」

「何でだよ?」

「まだオレは戦えるぞ」

 ジョセフの言葉に、飛行艇へ乗り込めない者たちから不満の声が上がった。

「全員連れて行きたいが、乗れる人数に限界があるんだ。どうか抑えてくれ。その代わり、ルイ十六世は公開処刑とする。それで我慢してほしい」

 一部の市民はそれでも不満を漏らしたが、それは本当に少数派らしく、ジョセフたちの行動を妨げるものではなかった。

 そして、市民軍がそれぞれ高揚した気持ちで飛行艇に乗船しだした。

「ジョセフ」

「何だ?」

「浮遊要塞は結界が張られているんじゃないのか?」

「魔術結界はな。どんな魔術も要塞までは届かない」

「コイツは大丈夫なのか?」

 仲間の一人が、市民軍がまさに今乗り込んでいる飛行艇を指差した。

「物理的な障壁ではないだろう。……飛行艇は普段から要塞と地上を往復してるじゃないか」

 ジョセフはそう言って飛行艇の方に向かった。負傷して地上に置かれていく仲間が、自分が手柄を独り占めするのが気に入らないから止めようとしたのだろう。その位にしかジョセフは考えなかった。

 

 

「おお、空を飛んでいるぞ!」

 飛行艇内部の市民から感嘆の声が漏れた。いくら飛んでいるのを見たことがあるといっても、実際、魔術で特殊加工された金属と木の船が飛ぶなどとは、感情が受け付けなかったのである。

「すぐに浮遊要塞だ」

 ジョセフがそう言った。浮遊要塞まではパリス市中心部から約十八キロであり、この飛行艇ならば三十分足らずである。

 そろそろ魔術障壁に当たる頃だ。大丈夫だよな。

 ジョセフは実際に浮遊要塞に向かい始めると、不安がこみ上げてくるのを禁じえなかった。

「でかいな」

 市民が上げた声は、飛行艇ではなく、浮遊要塞の大きさである。

 一キロ四方の正方形方の敷地が、上空二千メートルの位置に浮かんでいるのである。その敷地には絢爛豪華な宮殿が建っていた。全て、パリス国民の労苦の上にできたものである。

 その敷地の底部には、二十メートルほどの深さの城壁部分が広がっていて、そこは動力部や発着港があった。

「もうすぐ」

 ジョセフの言葉はそれ以上続かなかった。突然前方で船が砕ける音がして、一気に傾いた。

 市民が次々に押し倒され圧死したり、窓を破って地上へと落ちていった。船内に残った者もパニックとなった。

「くそっ! あれは何も通さねえのかよ」

 ジョセフは地団駄を踏もうとしたが、彼も次の瞬間には崩れてきた鉄板に挟まれて圧死した。

 

 

 地上でその光景を見守っていた市民たちは、自分たちが敗北したことを知った。

 浮遊要塞は落ちなかったのだ。

 

 

『市民の暴挙は失敗した。

 先日十四日。市民たちの一部が暴徒と化し、パリス市内を制圧後、畏れ多くも陛下を弑逆しようとした。しかし、浮遊要塞は陛下の見事な指揮の下、守られたのである。これより、暴徒どもには正当な罰が課せられるだろう。すでに郊外に布陣していた兵団がパリス市の暴徒を鎮定するため出撃した。』

七月十五日付のパリス王立アカデミー新聞

 

 

「見つからねえ」

 アレックスは十五日の明け方までサビーネを探して市内を駆けずり回ったが、結局見つからなかった。アレックス以外の傭兵たちもサビーネを探しているのだが、見つかってはいない。

十三日の朝から一睡もしておらず、アレックスの身体には既に限界が来ていた。

その間に市民の蜂起と失敗があった。失敗するのがわかっていたからこそ、サビーネは市中に危険を顧みず飛び出したのだろう。

市中の活動家たちの間を駆け回っていれば、秘密警察や憲兵の目に留まり易い。まして蜂起が失敗に終わった今となっては、サビーネの身はかなり危険な状態にある。

「蜂起は失敗したんだし、ギルドに戻っているかもしれねえな」

 もう既に地下に潜っている可能性もあるが、アレックスはギルドにいるという可能性に賭けてみた。正確には賭けたかった。もう一度会いたいというのが切実な願いだった。

 アレックスがギルドに戻ると、テレーズが一階のテーブル席に座っているのが目に入った。目の前に一通の手紙があるが、テレーズの視線は床に注がれていた。

「テレーズ」

 アレックスは、テレーズが一階に降りてきていることには驚かなかった。すでにパリス市内は混乱の極みにある。風俗街の者たちも、自分の安全を図るだけで手一杯になっているはずだからだ。

「アレックスさん。戻られるの……遅すぎです」

 顔を上げたテレーズの目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。

 アレックスはテレーズを軽く抱き寄せた。少しは落ち着いたのか、テレーズは話し始めた。

「そこの手紙。サビーネさんが今日の夜明け前に置いていったんです」

「来たのか?」

 テレーズは首肯した。アレックスは後悔したが、遅かった。

「サビーネさん。そろそろ手が回りそうだから、もう会うのはこれが最後だねって言われて、その手紙を置いて出て行ったんです」

 アレックスは、テーブルの上に置いてある手紙を手に取った。




『アレックス。正体隠したままでゴメンね。テレーズから聞いただろうけど、私はパリス国内のレジスタンスに参加してた。しかも幹部。驚いた? でもね、市内は大混乱。私の力じゃ止めようがなかったよ。貴族の連中あんな酷い事を百年以上もやってきたんだからね。一度火が付いたら止めれやしなかったんだ。あの混乱の中とはいえ、あれだけ動き回ってたんだ、私はおそらく憲兵や秘密警察が追うところになるわ。だからもう会えない。うまく逃げたレジスタンスの仲間に迷惑かけてもマズイから、地下にも潜伏しない。つけられていたらそれで一網打尽だからね。そろそろ手紙を閉じる。




 …………最後に言わせてくれ。私はアンタが好きだった。それじゃあね。テレーズのこと頼むよ。もうアンタしか頼れない娘なんだから』

最後までバカな女マインツ・サビーネより

 手紙には、その後ろに追記があった。

『アレックス。もし、レジスタンスに手を貸してくれるなら、ジャック・ポールという男に会ってくれ。住んでいる場所、合言葉はテレーズに教えた。できれば会ってほしい。そう言うとアンタは苦しむだろう。だから頼む。レジスタンスに加わってくれ。と最後に卑怯なセリフを残す』

 アレックスの唇は噛みしめられた力によって、今にも音を立てて血を噴き出しそうだ。テレーズはそれを黙って見ているしかなかった。

 

 

 精悍なその男の表情は憔悴しきっていた。彼、ポールの耳には市民が敗北し、郊外から軍が押し寄せて、市街戦が繰り広げられているという悲報が届いたからである。

「だから早かったんだよな。傭兵ギルドの姉ちゃんよ」

 ポールは、テーブルの上に置かれた手紙と、資料が入った袋を安楽椅子に腰掛けながら見ていた。それは、先ほどポストに投げ込まれた物である。

「オレが正体知らねえと思っていたんだな。甘く見ちゃいけねえ」

 そう独り言を漏らすポールは、口調とは裏腹に沈痛である。

「律儀に、渡した資料全て戻しやがった」

 袋に入っていた資料は、この前のセーヌ川での会合時に渡したものであった。

 ポールはコーンパイプの煙をくゆらせながら、手紙を手に取った。

『どうやら秘密警察に私の存在が嗅ぎつけられつつあるようだ。だから氏に送る手紙はこれが最後になるかもな。氏がくれた資料は、貴族側に渡るとマズイし、燃やすにも炎系刻印が押してあって焼却できなかったから返す。今夜の内には秘密警察が私を突き止めると思う。それまでにパリス市から脱出できれば私は助かるかもな。最後だろうから名乗ってやるよ。傭兵ギルドのマインツ・サビーネだ。じゃあな』

                                マインツ・サビーネの手紙『不良中年のポールへ』

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