光一「管理人、嫁ともども無事です!
ボケにツッコミを入れ励ましながら生きてます♪」
(※当然、嫁と私のどちらがボケかツッコミか? 言わずとも分かりますよね?)
色々心配して下さった方、ありがとうございます!!
どうも、久しぶりに更新間隔が随分開きました、光一です。
というのも、今回は当サイトの更新8年を通しても異常な事態となっていまして……。
管理人自身が被災体験をしました。
このサイト、サブタイトルを見てわかるように、
そして今まで来てくださった皆さんは知っていると思いますが、
"笑える話"を提供できればという運営方針です。
例えば今まででも………………………
光一「車が凹んで、気分も凹んだ!!
これ、サイトのネタにできるじゃん!!
6周年記念のネタが出来てラッキー!!」
と、サイト開設6周年のネタは、事故で自分の車が凹んだ事をネタにしました。
2004年には新車が盗まれた事もネタにしてみせました。
なので今回のケース…………
あえてウチくらい通常の更新をしようか?
そう思ったりもしたのですが、やっぱりキーボードが叩けません。
これほどキーボードを叩く気分が起きないというのも初めて…………
正直な話、毎日のように気分が沈みこんでしまっていて。
いや、こういう時だから更新しないと!
と思うようになったのは、メールフォームなどに多数の投稿。
被災当日などは、心細いというか不安で不安で、
本当にありがたかったです。
ネットが不通の間、携帯から見ていたのですが…………
これほど多くの人に心配いただけて、それで無事な自分は幸せだなと思うと、
やはり自身の無事も含めて、更新をするべきかなと思うようになってきました。
なので当面、通常営業のテイストを取りやめます。
今回の震災について、自分の体験を少し書こうかなと思っています。
いつも通りのネタを期待された方、申し訳ないです。もう少しお待ちください。
『ウェイトレスの暴走萌え日記』は、普段のテイストを残して運営させてもらいます。
私が被災したのは、取引先でソフトのテストをしている時でした。
肝心な時に緊急地震速報がそれを知らせる事もなく、ゆっくり揺れが始まりました。
プレハブ小屋を改良したような建屋が横に揺れ始め…………最初の内は
「お? 揺れてない?」
って程度で、周囲も笑いながら作業をしていましたが、
10秒もすると周りの空気も一変して
「なんかおかしくないか?」
という空気が漂いだすや否や、急激な揺れが始まりました。
ガタンガタンガタン!!
物が次々崩れだし、ロッカーが一斉に開いて中の荷物が飛び出しました。
結束バンドで固定してあるはずの壁際のサーバーやモニターは、
落下あるいは宙吊りの状態に……倒れないようモニターを押さえていたら、
一斉に停電となりました。2Fが崩壊して落下するのではという恐怖に耐えたのは、
1〜2分ぐらいだったのでしょうが、その時はあまりに長い時間に感じました。
「広場に移動してー!! 次の揺れが来る前に!」
最初の揺れが収まると、声が上がって一斉に工場内の広場へ移動を始めます。
自分たちがいた建屋は、大きく歪み、壁が至るところはがれ落ちていました。
移動中に見た別の建物は、1F部分に天井が落下して折り重なっていました。
あの天井が自分たちの上に落ちていたら……と思うと、今でもぞっとします。
「ずっと身体が揺れてる感覚がする…………」
広場に移動する間も、余震が相次ぎました。地面から不気味な揺れが伝わります。
そうする内に、
「また来た!! かなり大きいぞ!」
今度は茨城沖を震源とする東北地方とは別の地震が始まりました。
広場の向かいにある、液化窒素などを貯蔵したタンクが、
互いにぶつかるのではというほど大きく揺れます。
「東北地方がとんでもない事になってるぞ!」
その後も揺れは収まらず、余震が続きます。
他に目を移せば、膝を抱えて身体をさすっている職員も。
ワンセグが受信するTV映像にくぎ付けになる人々から、
東北地方でとにかくとんでもない事が起きたと聞こえてきました。
こういう時にまず真っ先に思い浮かぶのは、家族です。本当に浮かびます。
このような状況になると、携帯などは繋がりにくくなる事は知っていましたが、
そんな知識があろうとなかろうと、当事者になると関係ないことが分かりました。
「なんで出ない? なんで出ない?」
実家とは不通状態。両親も携帯に反応が無く、嫁の反応もありません。
手足の震えが止まりませんでした。メールもなかなか送信できず、通話はほぼ不可能。
時折電話がつながっても、相手が出ません。
メールを打つ手が震えて、何度も文字を打ち直しました。
「文明の機器ってこういう時、役立たずですねー」
と、周囲に笑って見せたものの……顔は少々引きつっていたかもしれません。
「今日は帰宅してくださーい!」
やがて帰宅命令が出て、それぞれ帰宅することとなりました。
駐車場へ向かう途中、国道は大渋滞。信号が点灯していない道路は混乱状態です。
道々の塀が崩れ落ち、または倒壊している建物が……
付近のゲームセンターは2Fの外壁が丸々落下して、店内が露出していました。
人々が荷物を抱えて、広場へ移動するのを横目に、車を動かして部屋に戻ろうとしました。
主要道路の渋滞は容易に想像がつくため、
裏道という裏道を利用したのですが……やはりどこも混んでいる。
場所によっては、警察が立っていて通行止め。橋によっては通れなくなっていました。
最終的に出た道では、付近の建物が損壊し、崩れ落ちたブロックや瓦が道をふさぐ形に。
そうこうする内に、嫁からメールが届きました。
動く気配のない道。車の中で携帯を握りしめて大きく息を吐き出しました。
実家の父とも連絡が取れ、実家は酷い状態だけど無事とのこと。
仕事に出ていた母とはこの日、連絡が取れませんでした。
嫁「あ、帰ってきた!!」
普段なら20数分。ピーク時でも40分で戻れる部屋に3時間をかけて帰宅。
真っ暗な部屋の中で、嫁は懐中電灯を頼りにワンセグで地震情報を見ていました。
光一「実家とは連絡ついた?」
嫁「全然……メールも返ってこない」
嫁の実家は岩手県。実家を出た弟君も仙台市。
情報が手に入らず、停電で真っ暗な部屋……不安な気持ちばかりがこみ上げてきます。
義祖母「光一さんも〜☆♪яьф〜?」
光一「やっぱりさっぱり分からな〜い!」
おばあちゃん達の言っている言葉が分からないと以前書きましたが、
この時ばかりは、本当に岩手の言葉を聞きたい気持ちで一杯でした。
おばあちゃんたちの顔が浮かんできます……どうしているのか……
光一「毛布とかを持って、今日は車で寝よう」
余震が相次ぐ中、電気・水道・ガスを断たれた部屋を出て、
周囲が開けた駐車場の車中で一夜を明かしました。
幸い、作り置きの麦茶やお菓子があったため、それを食糧としました。
フィーンフィーン!!
夜闇の中、何度も鳴り響くエリアメールの緊急地震速報。
数分おきに繰り返す余震に車が揺れます。
寒くて、身体がのばせず、何度も揺れる車中で結局一睡もできずに一夜を明かしました。
あの一晩の不安と言ったら、本当に思い出しても恐ろしいものでした。
夜が明けると2日目からは更に色々な問題が起きてきました。
それについてはまた、出来れば今週中に状況を報告します。
▼受信(yukiさん):(受信メール内容全文への返信もあります)
▼とにかく無事でした。広範囲での震災となり、今後はどうなるのでしょうか?
▼県内含め、東北各県で被災された人達が1人でも多く助かる事を祈るばかりです。
▼今日の一言▼
震災……是心傷残事也(これこころにきずをのこすことなり)
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